<▽41行くらい> 敵国条項ってのは,ドイツに対して締結されていた条文であって,日本に対して用意された条文ではなかった。 なぜなら,今ではヴェノナ文書が公開されて,ルーズベルト政権とは,コミンテルンに乗っ取られていたことが白日の元に晒されているので,非常に分かりやすいわけだが, スターリンとルーズベルトは,日本を独立国として残す意図は無かったので,,,
敵国条項に当たる国って,ルーズベルト政権による草案時にはドイツしかなかった。
ところが,ルーズベルト政権による草案直後に,本当に病死なのか殺害されたのか,ルーズベルトは急死し,それから1か月でドイツは降伏, さらに1ヶ月後に,サンフランシスコで調印された国連憲章は,その目的として,敵国が日本しか存在しなくなってしまっていたという事実しかない。
スターリンは出席大使を通じ,サンフランシスコ平和条約締結時にも,日本を独立国として残留させることを認めず,日本を4国領として分割編入すべきとして,出席国に記名式の投票を求めたように, 国連憲章草案とは,スターリンとルーズベルトによって(日本は消滅して国家として不在)(すべて信託統治という名の下に4国で分割)となる前提だった。
日本を国家として残そうというのは,チャーチルとトルーマンの新英米ラインの方針。
ルーズベルトは,(大西洋憲章に違反するのだが台湾は中国領に戻して欲しい)と願う蒋介石に,スターリンがサンフランシスコで提唱する(九州まで中国領)を実現するため,中国軍による沖縄上陸作戦を強行するよう,カイロ会談時に焚き付けており, 蒋介石が,戦力不足でそれを履行できないと断って,台湾を中国領に取り戻すことを泣き泣き諦めたとは,陳水扁時代の台湾政府が発信したことである。
このとき台湾政府は,カイロ会談に対するチャーチルの英議会における発言↓ (カイロ宣言というのは,ルーズベルト政権が勝手に合意したと捏造しているもので,カイロ宣言の各項目は議題にすらなっていない,チャーチルが大西洋憲章に違反する合意を交わしたことは無いし,大西洋憲章に違反する合意を英米中は締結できない,また締結したと言っても無効だ) ↑ を引用していて,台湾が中国領に当たらないことについて,このように説明されている。
このように, 敵国条項とは,(日本が失くなる🟰日本領である台湾も中国のものになる)というルーズベルトが死んで, (日本は失くならない)というトルーマンとチャーチル路線に則って,敵国条項を日本用に解釈されたというだけなので, 本当は,台湾も日本領なんだよね。
だって,大西洋憲章批准国は,すべての国が自国に台湾を編入できないんだから, 大西洋憲章批准国であるアメリカ・イギリス・ソビエト・中国は,戦争の結果,領地の拡大をすることはできないんだから。
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