http://www.asyura2.com/24/cult49/msg/515.html
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さて問題です。
どちらが本物のパウロ6世でしょう?
答えは最後の方に出てきます。
教皇パウロ六世氏の人格が変わってしまった事実が記載されています。が、
記事長いので…。キリスト教に詳しくないとわからないかも。私も詳しくないですが。
そんな人は暇な時にでもお読み下さい。(byイワツバメ)
(転写開始)
本当のモンティーニさん、お立ち頂けますか?
http://lastpapist.blogspot.com/2009/07/impostor-pope.html
http://www.tldm.org/News13/WillTheRealPopePaulVIPleaseStandUp.htm
http://to-chihiro.blogspot.com/2011/07/will-real-montini-please-stand-up_04.html
http://stjohnsvaldosta.blogspot.com/2009/07/impostor-pope.html
WILL THE REAL MONTINI PLEASE STAND UP? [1]
Posted by Robert Kumpel [2]
以下に掲げるのは、私が数日前に受け取った魅力的なEメールの完全なテキストである。私はこの情報の含む如何なるものも確かめることはできなかったし、またこの情報の基となるウェブページも、更にそれを書いたのが誰であるかも突き止めることができなかった。私はこの情報が確かだと請け合うわけにはいかない。しかしあらゆる陰謀説と同様に、この中の幾つかには意味がある筈である。もしこの中の「全て」が真実なのだとしたら(それは非常に大きな「もし」であるが)、その時私達は実際、巨大な仕方で騙されていたということになるだろう。
教皇パウロ六世は新ミサの起草者ではない
教皇パウロ六世は、おそらく、自身の臣下によって好き放題に私的制裁を加えられ、また彼らのデザインを推し進める上で彼の名が利用された、史上最も裏切られた教皇であろう。
伝統主義者達の間においてさえ持たれている一般的な間違いは、教皇パウロ六世は実質的にはそれに何ら関わっていなかったにかかわらず、「教皇パウロ六世は公会議後のミサ(ノヴス・オルド)の立案者だ」としていることである。しかし彼は第二バチカン公会議の最後の二年間において実際は新ミサの持つどのような概念にも抵抗したのであって、1965年9月3日にはこう書いている。
どのような個人であれ、おのれ自身を権威として、聖体に関する信仰教義を提案するために、トリエント公会議が用いた公式を修正しようなどとすることは、大目に見られることはできない。
ミステリウム・フィデイ [3]
*** フリーメーソンの策謀 ***
伝統主義者達は第二バチカン公会議について必ずしも全体像をつかんでいない。フリーメーソンのエージェント達が公会議に侵入した時、彼らの目的とするところは、改革を引き起こして信仰を腐敗させることばかりではなかった。それと同時に彼らが計画したのは、教皇政治の評判を落とすために、またそうすることで彼らが何の邪魔もなしにその破壊的な計画を実行できるよう教会から善きカトリック信者達を追い出すために、教皇の上に責任を転嫁するということであった。それは私達に「パウロ六世は新ミサを立案指揮したモダニズムの罪人である」「最近の五人の教皇達は対立教皇だった」「現在のミサは有効ではない」などと考えさせるために、彼らが周到に計画したものだった。そのようにすれば、善きカトリック教徒はもはや教区の中に留まって戦う理由を感じなくなるだろうというわけであった。
60年代の初めに第二バチカン公会議が開かれた時、彼らの狙いは、新しい改革に先鞭をつけるために教皇パウロ六世を利用しようとすることであった。しかし教皇が彼らの計画に気づき(オッタビアーニ枢機卿の介入によって)、新ミサに関する彼らの提案を拒絶した時、彼らは彼に激怒し、それ以来彼を罰することをやめようとはしなかったのである。残念なことに、今日、この罰の多くは伝統主義者達から来ている。
教皇パウロは確かに完全ではなかった。例えば、彼は典礼改革に対してもっと強固に断固とした態度を取ろうとすれば取れたであろうように、1969年5月における彼の手による聖体拝領への禁止を、それにもう少し力を加えて持ち堪える〔維持する, 貫く〕こともできたであろう。しかし〔それはともかく〕新ミサは彼の手になるものではなかった。それは決して彼に起因していない。特に、彼がこれほど多くの世紀にわたって信仰を保存してきた言語 [ラテン語] の規則は「信仰深く保存されねばならない」(1965年9月3日)と宣言した後は、尚更である。
*** ノヴス・オルド ***
典礼の変化は、実際は、第二バチカン公会議の中にその司教達を侵入させた悪魔の仕業だった。聖職位階が弱かった(霊に無警戒だった)正にその時に、地獄の敵が教会に押し入り、そして後に教皇パウロ六世をして次の有名な声明を言わしめたのである。「どこかの裂け目からサタンの煙が神の教会の中に入りました」
その戦略はミサに変更を加えることであった。新世界秩序( Novus Ordo Seclorum)。悪魔は、もし彼が扉を越えて一歩中へ踏み込むことができるならば、この新秩序を推し進めるための会議場として教会を使うことができるであろう、またそうなれば、来たるべき新世界秩序への道を舗装することにもなるであろう、と知っていたのである。40年間のゆっくりとした条件付けは、正にこの計画に実現をもたらした。──改革はよく計画されていたのである。
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