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何でも親である死刑囚の始まりは、親の離婚で、どちらにも引き取られず、子宝に恵まれぬ親類夫婦が引き取り愛情豊かに育ててくれたが、自分が中学生の時に養父が実の子供が欲しくなり愛人を作り子供を産ませた、養母が邪魔になった養父は自殺に偽装して養母を殺し、第一発見者の死刑囚の証言は採用されず自殺で処理され死刑囚はずっと養父を恨んで大人となり結婚して子供を設け、円満な家庭を築いていたが養父と再会した時に心中しようとして失敗したが、養父はほどなく死に、やはり殺人ではなく自動車事故が原因の死亡と一旦処理された。
養父の親族が死刑囚による殺人と騒ぐが死刑囚の妻は死刑囚を信じて疑わなかったが警察の再捜査で逮捕が迫ってきた時に妻に真相が知れる前に浴槽で殺した後に、海で溺死を偽装し一旦は事故死で処理されるも数年後に全てが明らかになり息子が高一の時に逮捕された。
息子である自分は、ぐれたり仕事を転々とした末に風俗に安住の地を得て、最近、死刑囚の息子として講演や動画を始めたという事のようである。
果たして彼はどう生きるべきかという話だが、死刑判決については養父殺人は情状酌量の余地があるものの無実の妻を身勝手な理由から殺めた、結果として二人殺めたのは死をもって償うしかないという判断だと思うが、死刑囚は致し方ないとして、その息子はこれからどう生きていくべきかは重い問題である。
皆さんと大して変わらない深呼吸以前の私の常識的な考え方は省略し、皆さんが受け入れ難いであろう今の感覚を書くと、仇討ちのように殺された養父も悲しい殺され方をした妻もほどなく処刑される死刑囚も永遠の輪廻転生と言うのか循環の中でガスやヘリウムとして次に向かっているだけの話であるから、人材を育て仕事も残して大往生で亡くなる人と同様に見なしてオーケーである。
そして、壮絶な経験をした息子は、もう一段悩み苦しんだ末に荘子にたどり着く事で、自分も三人も人間である前に生物、生物である前に物質、物質である前に元素、その輪廻転生を延々と繰り返しているに過ぎず、死刑囚の息子として過ごす今生もそのごく一部でしかない事に気がつく事で、因果応報だの自業自得だのと考えず、自分にとって救いだった風俗という場で生きる事が運命や宿命だったとも考えず、本来であればとも考えず、居心地のいいここでの境遇が天から与えられた最高の場所と捉えて今ここを楽しむ事で、もう開き直れているようだが、バッシングすら死刑囚の息子ですどうぞ宜しくと芸人が美味しいと思うように受け止めるべきで、そんな気は毛頭ないと思うが、エリート官僚やエリートサラリーマンにでもなった積りで強くと言うか楽しく生きる事で、荘子の世界観や人生観や死生観と常に深呼吸を心掛ければそれが簡単だと分かる筈である。
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