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私の場合は、到底、家族や友人や同僚が受け入れられない死後は普通にある、但し人間が考えた天国や地獄や浄土や無ではなく、天体の循環同様に、ガスやヘリウムに戻る、そこから気の遠くなるような年月を経て、人間が生命と呼ぶ段階もこれから幾度となく経験するのだと思うが、生命だけにスポットを当てた輪廻転生の拡大バージョン、つまりは形を変えて永遠のように存在する、だから人間としては死別は悲しいものであるが全体としては次の段階に移行しているだけで悲しむとかそういう問題ではないと思うようになったが、物質科学の死んだら無という者の主張を丁寧に聞けば循環論だと思われ、ただ彼らの中に諦めという気持ちが強くあるのに対して私はそれがない感じである。
それがいいのか悪いのか未だ分からないが、そうとでも考えないと自然地震に偽装した北陸はギリギリ受け止められても能動的に殺し続けるガザを何もできずに発狂するのは耐えられず、ただの逃げではないかとの批判も甘受するが、超過死亡の積み上がりも同じ事で、泳がせているゴミ二匹のような不真面目な受け止めは私にはできず、強靭な精神力を持とうとした結果、現時点ではそのような理解で進めているところである。
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