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パレスチナに地獄を作り出したイギリスはアメリカと手を組んで戦争を支援する
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202410070000/
2024.10.07 櫻井ジャーナル
イスラエルはガザで住民を虐殺、アメリカやイギリスをはじめとする欧米諸国はそうした行為を本気で止めようとしていない。それだけでなく、そうした残虐行為をやめさせようとする国や組織、そして抵抗するパレスチナ人をテロリスト扱いしてきた。
言うまでもなく、「パレスチナ問題」は先住のアラブ系住民が住む豊かな土地にイスラエルなる人工的な「国」を作り上げたことから始まった。
シオニストはパレスチナから先住民を消し去るため、1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動させ、虐殺を始める。虐殺を恐れて逃げ出さなければ殺すという計画だ。そして1948年5月にイスラエルの建国が宣言されたのだが、このシオニストをユダヤ人/教徒と混同してはならない。
シオニズムは16世紀の後半、エリザベス1世が統治するイギリスで広がった。アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信じる人物が支配層の中に現れたのだ。ブリティッシュ・イスラエル主義である。スチュワート朝のスコットランド王ジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)のほか、オリヴァー・クロムウェルの周辺にもそう信じる人がいたという。
クロムウェルを支援者していた富裕層の中にポルトガル出身のフェルナンデス・カルバジャルというコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教へ改宗した人びと)が含まれていた。そうした関係もあり、クロムウェルは1657年にユダヤ人がイングランドへ戻ることを認めている。イングランドでは13世紀からユダヤ教徒が追放されていた。
クロムウェルがユダヤ人の帰還を認めた理由のひとつは新約聖書のマタイによる福音書23章の37節から39節の記述だという。そこには「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」と書かれている。
この時代、スペインやポルトガルは世界各地を襲撃、略奪している。その重要な侵略先のひとつはアメリカ大陸で、例えば1521年にエルナン・コルテスは武力でアステカ王国(現在のメキシコ周辺)を滅ぼして莫大な金銀を奪い、インカ帝国(現在のペルー周辺)ではフランシスコ・ピサロが金、銀、エメラルドなどを略奪しながら侵略を続けて1533年に帝国を滅ぼしている。
彼らは莫大な量の貴金属を盗んだだけでなく、先住民を奴隷として酷使、鉱山開発も行った。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山である。スペインが3世紀の間に南アメリカ全体で産出した銀の量は世界全体の80%に達したと言われている。全採掘量の約3分の1は「私的」にラプラタ川を経由してブエノスアイレスへ運ばれ、そこからポルトガルへ向かう船へ積み込まれていた。(Alfred W. McCoy, “To Govern The Globe,” Haymarket Books, 2021)
このようにしてスペインは略奪した貴金属を船で運んだが、そうした船を海賊に襲わせ、財宝を奪い、人間をさらっていたのがイギリスにほかならない。エリザベス1世の時代だ。イギリス王室に雇われた海賊の中にはジョン・ホーキンス、フランシス・ドレイク、ウォルター・ローリーが含まれている。
ホーキンスは西アフリカでポルトガル船を襲って金や象牙などを盗み、人身売買のために拘束されていた黒人を拉致、その商品や黒人を西インド諸島で売り、金、真珠、エメラルドなどを手に入れている。こうした海賊行為をエリザベス1世は評価、ナイトの爵位をホーキンスに与えている。
ドレイクは中央アメリカからスペインへ向かう交易船を襲撃、ホーキンスと同じように英雄として扱われた。女王はそのドレイクをアイルランドへ派遣して占領を助けさせるが、その際、ラスラン島で住民を虐殺したことが知られている。ドレイクもナイトになっている。
ホーキンスとドレイクの後継海賊がローリー。占領者のイングランドに対して住民が立ち上がったデスモンドの反乱を鎮圧するため、アイルランドにも派遣された。ローリーもナイトの爵位が与えられた。(Nu’man Abo Al-Wahid, “Debunking the Myth of America’s Poodle,” Zero Books, 2020)
パレスチナを含む中東地域は古代文明を生み出した場所であり、富だけでなく知識があった。「十字軍」と称する強盗集団もその富と知識を盗みに行ったわけで、改めて押し込もうとしたのがシオニズムだとも言える。
19世紀から帝国主義体制に突入したイギリスでは、外相だったアーサー・バルフォアが1917年にウォルター・ロスチャイルドへ出した書簡からイスラエル建国が具体化していく。建国の大きな目的のひとつはスエズ運河の安定的な支配だっただろう。
運河によって地中海と紅海を感染が行き来できることはイギリスの戦略上、重要。そのためにイギリスは先住のアラブ系住民を弾圧する一方、ユダヤ人の入植を進めた。1933年からドイツではナチスが実権を握り、この年の8月にシオニストはナチス政権との間でユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることで合意した。「ハーバラ合意」だ。
ユダヤ人弾圧によってユダヤ教徒をパレスチナへ向かわせることができるとシオニストは考えたようだが、ヨーロッパのユダヤ人はパレスチナへ移住したがらない。文化も風習も違うわけで、当然だ。
1938年11月にドイツではナチスがユダヤ系住民を襲撃、多くの人が殺され、収容所へ入られ始めるが、この「水晶の夜」以降もユダヤ教徒はパレスチナでなく、アメリカやオーストラリアへ逃れた。そこで、シオニストはイラクなどに住むユダヤ教徒に目をつけ、テロで脅してパレスチナへ移住させる。
宗派や宗教の対立が激しくなるのは欧米の帝国主義者が乗り込み、中東を植民地化してからだ。パレスチナ問題もこうした帝国主義者によって生み出された。
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