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ウクライナ戦争を引き起こしたのは一体誰か?
ジョン・J・ミアシャイマー
2024年8月5日
ウクライナ戦争を引き起こした責任は一体誰にあるのかという問題は、2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻して以来、深く論争を呼ぶ問題になっている。
この質問の答えは極めて重要だ。なぜなら、この戦争は様々な理由で惨事になっているが、最も重要なのは、ウクライナが事実上破壊されたことだ。ウクライナは相当の領土を失い、更に失う可能性が高く、経済は破綻し、膨大な数のウクライナ人が国内避難民となったり国外に逃亡したりしており、何十万人もの死傷者が出ている。もちろんロシアも大きな血の代償を払っている。戦略レベルでは、ロシアとヨーロッパ、そしてロシアとウクライナの関係は、予見可能な将来にわたり悪化しており、これはウクライナ戦争が凍結紛争に変わった後も、ヨーロッパで大規模戦争が起こる脅威がずっと続くことを意味する。この惨事の責任は一体誰にあるのかという問題は、すぐには消えないだろうし、むしろ惨事の規模がより多くの人々の目に明らかになるにつれ、より顕著になる可能性が高い。
欧米諸国の通説では、ウクライナ戦争を引き起こしたのはウラジミール・プーチン大統領だ。この侵攻の狙いはウクライナ全土を征服し、大ロシアの一部にすることだったというのがその主張だ。その狙いが実現すれば、ロシアは東ヨーロッパに帝国を築こうとするだろう。第二次世界大戦後のソ連とよく似ている。したがって、プーチン大統領は欧米諸国にとって究極的に脅威で、力で対処しなければならない。つまり、プーチン大統領は、豊かなロシアの伝統にうまく適合するマスタープランを持った帝国主義者なのだ。
私も同感だが、明らかに欧米諸国では少数派の意見である別の議論は、アメリカと同盟諸国が戦争を引き起こしたというものだ。もちろん、ロシアがウクライナに侵攻して戦争を始めたことを否定するものではない。しかし、紛争の主因は、NATOがウクライナを同盟に組み入れる決定で、ほぼ全てのロシア指導者は、これを排除しなければならない存在的脅威とみなしている。しかし、NATO拡大は、ウクライナをロシア国境の欧米の防壁とすることを目的とした、より広範な戦略の一部だ。キーウを欧州連合(EU)に加盟させ、ウクライナでカラー革命を推進して欧米寄り自由民主主義に変えることが、この政策の残りの2つの柱だ。ロシア指導部は三つの柱全てを恐れているが、最も恐れているのはNATOの拡大だ。この脅威に対処するため、ロシアは2022年2月24日に予防戦争を開始したのだ。
ウクライナ戦争の原因は誰かという議論は、ドナルド・トランプ前大統領とイギリスのナイジェル・ファラージ議員という2人の欧米指導者がNATO拡大が紛争の原動力だと主張したことで最近白熱した。当然ながら、彼らの発言は一般通念を擁護する人々から猛烈な反撃を受けた。また退任するNATO事務総長イエンス・ストルテンベルグが過去一年に二度「プーチン大統領がこの戦争を始めたのは、NATOの扉を閉ざし、ウクライナが自らの道を選ぶ権利を否定したかったからだ」と述べたことも注目に値する。NATO事務総長によるこの驚くべき告白に欧米で異議を唱える人はほとんどおらず、彼もそれを撤回しなかった。
ここでの私の目的は、プーチン大統領がウクライナを侵略したのは、彼が大ロシアの一部にしようとした帝国主義者だったからではなく、主にNATOの拡大と、ウクライナをロシア国境における欧米拠点にしようとする欧米諸国の取り組みのためだったという見解を裏付ける重要な要点を列挙した入門書を提供することだ。
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まず、従来の常識を否定する七つの主な理由から始めよう。
まず、2022年2月24日以前にプーチンがウクライナを征服しロシアに組み入れたいと考えていた証拠は全く存在しない。プーチンがウクライナ征服に固執していたことを示すような文章や発言を、一般通念の支持者は何も指摘できない。
この点について反論されると、常識を広める人々は、プーチンがウクライナに侵攻した動機とはほとんど関係のない証拠を提示する。例えば、ウクライナは「人工国家」で「本当の国家」ではないと彼が言ったことを強調する人もいる。しかし、そのような不透明な発言は、彼がなぜ戦争を始めたのかに関して、何も語っていない。ロシア人とウクライナ人を共通の歴史を持つ「一つの民族」と見ているというプーチン発言についても同じことが言える。また、彼がソ連崩壊を「今世紀最大の地政学的大惨事」と呼んだことを指摘する人もいる。しかし「ソ連を懐かしく思わない者は心がない。ソ連の復活を望む者は頭がない」ともプーチンは言った。さらに、彼が「現代のウクライナは完全にロシア、より正確にはボルシェビキ、共産主義ロシアに作られた」と宣言した演説を指摘する人もいる。しかし、それは彼がウクライナ征服に興味を持っていた証拠にはほとんどならない。更に、彼は同じ演説の中でこうも述べた。「もちろん、過去の出来事を変えることはできないが、少なくとも、それを公然と正直に認めなければならない。」
プーチンがウクライナ全土を征服し、ロシアに編入しようとしていたと主張するには、1) それが望ましい目標だと考えていた、2) それが実現可能な目標だと考えていた、3) その目標を追求するつもりだった証拠を提示する必要がある。2022年2月24日にプーチンがウクライナに軍隊を派兵した際、独立国家としてのウクライナを終わらせ、大ロシアの一部にするとプーチンが考えていた、まして意図していた証拠は公文書に存在しない。
実際、プーチンがウクライナを独立国として認めていることを示す重要な証拠がある。ロシアとウクライナの関係を扱った2021年7月12日の有名記事(一般通念の支持者は、しばしば彼の帝国主義的野心の証拠として指摘する)で、彼はウクライナ国民に「あなた方は独自の国家を樹立したいなら歓迎する!」と語っている。ロシアがウクライナをどう扱うべきかについては「答えは1つしかない。敬意を持って」と書いている。彼はその長い記事を次の言葉で締めくくっている。「そしてウクライナがどうなるかは、国民が決めることだ」。これら発言は、プーチンは、ウクライナを大ロシアに組み入れたかったという主張と真っ向から対立する。
2021年7月12日の同じ記事と、2022年2月21日に行った重要な演説で、ロシアは「ソ連崩壊後に形成された新たな地政学的現実」を受け入れるとプーチン大統領は強調した。2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻すると発表した際、彼は同じ点を3度目に繰り返した。特に「ウクライナ領を占領するのは我々の計画ではない」と宣言し、ウクライナの主権を尊重することを明らかにしたが、それも、ある程度までだ。「ロシアは、現在のウクライナ領から永続的脅威に直面している限り、安全と感じて、発展し存在し続けることはできない」。本質的に、ウクライナをロシアの一部にすることにプーチン大統領は関心はなく、ウクライナがロシアに対する欧米諸国の侵略の「踏み台」にならないようにすることに関心があったのだ。
第二に、プーチン大統領がウクライナ傀儡政権を準備していたり、キーウで親ロシア派の指導者を育成していたり、あるいはウクライナ全土を占領し、最終的にロシアに統合することを可能にする政治的措置を追求していた証拠はない。
これら事実は、プーチン大統領がウクライナを地図から消し去ることに関心があったという主張と全く相反する。
第三に、ウクライナを征服するのに十分な兵力がプーチン大統領には全くなかった。
まず全体の数字から見てみよう。私は長い間、ロシア軍がウクライナに侵攻した兵力は最大19万人だと見積もってきた。最近、ウクライナ軍の現最高司令官オレクサンドル・シルスキー将軍はガーディアン紙インタビューで、ロシア侵攻軍は10万人だったと述べた。実際、ガーディアン紙は戦争が始まる前に同じ数字を使っていた。10万人や19万人の軍隊でウクライナ全土を征服し、占領し、大ロシアに吸収するのは不可能だ。
1939年9月にドイツがポーランドの西半分に侵攻した際、ドイツ国防軍の兵力が約150万人だったことをお考え願いたい。ウクライナは、地理的には1939年のポーランド西半分の3倍以上の大きさで、2022年のウクライナ人口はドイツ侵攻時のポーランドのほぼ二倍だった。2022年に、10万人のロシア軍がウクライナに侵攻したというシルスキー将軍の推定を受け入れるなら、ロシア侵攻軍はポーランドに侵攻したドイツ軍の15分の1の規模だったことにない。そして、その小さなロシア軍は領土の広さ、人口の両方でポーランドより遙かに大きな国を侵略していたのだ。
数字はさておき、ロシア軍の質の問題もある。まず第一に、ロシア軍は主に侵略からロシアを守るために作られた軍隊だ。ウクライナ全土を征服したり、ましてヨーロッパ他地域を脅かしたりするような大規模攻勢を仕掛ける準備ができている軍隊ではなかった。更に、2021年春に危機が激化し始めた時、ロシア人は戦争を予想していなかったため、戦闘部隊の質は望ましくない点が多かった。そのため熟練した侵略軍を訓練する機会はほとんどなかった。質と量両面で、1930年代後半から1940年代前半のドイツ国防軍と同等からロシア侵略軍は程遠かった。
ロシア指導部は、ウクライナ軍は規模が小さく、武器も劣勢なため、自国軍が容易にウクライナ軍を打ち破り、国全体を征服できると考えていたと主張する人もいるかもしれない。実際は、プーチン大統領と側近たちは、2014年2月22日に危機が最初に勃発して以来、アメリカとヨーロッパ同盟諸国がウクライナ軍に武器を供給し、訓練してきたことをよく知っていた。モスクワの大きな懸念は、ウクライナが事実上、NATO加盟国になりつつあることだった。更に、ロシア指導部は、自国の侵攻軍より規模の大きいウクライナ軍が2014年から2022年の間、ドンバスで効果的に戦っているのを観察していた。ウクライナ軍が欧米から強力な支援を受けていることから、迅速かつ決定的に打ち負かされる張り子の虎でないことを彼らは確実に理解していた。
最終的に、2022年内にロシア軍はハリコフ州とヘルソン州西部から撤退せざるを得なくなった。事実上、戦争初期の数日間に征服した領土をモスクワは明け渡した。ウクライナ軍の圧力がロシア軍撤退を余儀なくさせる役割を果たしたのは疑う余地がない。しかし、より重要なのは、プーチン大統領と将軍たちが、ハリコフとヘルソンで軍が征服した領土全てを維持するのに十分な兵力を持っていないことに気づいたことだ。そのため彼らは撤退し、より管理しやすい防御陣地を作った。これはウクライナ全土を征服し占領するため構築され訓練された軍隊に期待される行動とは到底言えない。もちろん、その目的のため設計されたわけではなく、従って、非常に困難な任務を達成できなかったのだ。
第四に、戦争が始まる数か月前、醸成されつつある危機に対する外交的解決策をプーチン大統領は見つけようとしていた。
2021年12月17日、プーチン大統領はジョー・バイデン大統領とNATOのストルテンベルグ事務総長両者に書簡を送り、1)ウクライナはNATOに加盟しない、2)ロシア国境付近に攻撃兵器を配備しない、3)1997年以降に東欧に配備したNATO軍と装備を西欧に再配備するという書面による保証に基づく危機解決策を提案した。アメリカが交渉を拒否したプーチン大統領の第一段階の要求に基づく合意の実現可能性についてどう考えるにせよ、それは彼が戦争を回避しようとしていたことを示している。
第五に、戦争が始まってすぐ、ロシアはウクライナに働きかけ、戦争を終わらせ、両国間の共存の道筋を模索するための交渉を開始した。
キーウとモスクワの交渉は、ロシア軍がウクライナに侵攻したわずか4日後にベラルーシで始まった。そのベラルーシの交渉は、最終的にイスラエルとイスタンブールの交渉に取って代わられた。入手可能な証拠は全て、ロシアが真剣に交渉しており、2014年に併合したクリミアと、おそらくドンバスを除き、ウクライナ領を吸収するのに関心がなかったことを示している。交渉は終了時、順調に進んでいたが、イギリスとアメリカに促されて、ウクライナが交渉から離脱して終了した。
更に、プーチン大統領は、交渉が行われ進展していた時、善意の表れとしてキーウ周辺からロシア軍を撤退させるよう求められ、2022年3月29日にそれに応じたと報告している。欧米諸国政府も元政策立案者もプーチン大統領の主張に異議を唱えていないが、これは彼がウクライナ全土を征服しようとしていたという主張と真っ向から矛盾する。
第六に、ウクライナを別にすれば、東ヨーロッパの他の国々を征服しようとプーチンが考えていた証拠は微塵もない。
更に、ロシア軍はウクライナ全土を制圧できるほどの規模もなく、ましてバルト諸国やポーランドやルーマニアを征服できるほどではない。さらに、これらの国々は全てNATO加盟国で、そうなれば、ほぼ確実にアメリカと同盟諸国との戦争になるはずだ。
第七に、2000年にプーチンが権力を握ってから2014年2月22日にウクライナ危機が始まるまで、欧米諸国でプーチンが帝国主義的な野心を抱いていたと主張する人はほとんどいなかった。その時点で、彼は突如、帝国主義的侵略者になった。なぜか? それは、欧米諸国指導者連中が、危機を引き起こしたかどで、彼を責める理由が必要だったからだ。
おそらく就任後最初の14年間、プーチンが深刻な脅威とみなされていなかったことを示す最も良い証拠は、彼が2008年4月にブカレストで開かれたNATOサミットに招待客として招かれたことだ。このサミットでNATOは、ウクライナとジョージアが最終的に加盟すると発表。もちろんプーチンはその決定に激怒し怒りを表明した。しかし、その発表に対する彼の反対はワシントンにほとんど影響を与えなかった。ロシア軍は1999年と2004年の拡大の波を阻止するには弱すぎたのと同様、NATOの更なる拡大を阻止するには弱すぎると判断されたからだ。NATO拡大を再びロシアの喉元に押し付けられると欧米諸国は考えたのだ。
関連して、2014年2月22日以前のNATO拡大は、ロシア封じ込めを目的としたものではなかった。ロシア軍事力の悲惨な状況を考えると、モスクワはウクライナを征服する立場になく、東ヨーロッパで復讐主義政策を追求するどころではなかった。断固たるウクライナ擁護者で、プーチン大統領を痛烈に批判する元アメリカ・モスクワ大使のマイケル・マクフォールは、危機が勃発する前に、2014年のロシアによるクリミア占領は計画されていなかったと指摘している。それは、ウクライナの親ロシア派指導者を打倒したクーデターに対する衝動的行動だった。つまりNATO拡大はロシアの脅威を封じ込めることを意図したものではなかったのだ。欧米諸国はロシアの脅威があるとは考えていなかったためだ。
2014年2月にウクライナ危機が勃発して初めて、プーチンは帝国主義的野心を持つ危険な指導者で、ロシアはNATOが封じ込めなければならない深刻な軍事的脅威だと突如アメリカと同盟諸国は描写し始めた。この突然の言説変化は、この危機の責任を欧米諸国がプーチンに押し付け、責任を免れられるようにする重要な狙いがあった。当然ながら、プーチンのこうした描写は、2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻した後、更に大きな支持を得た。
従来の常識にひねりを加えた点が一つある。モスクワがウクライナ侵攻を決断したのはプーチン本人とはほとんど関係がなく、プーチンよりずっと前から存在し、ロシア社会に深く根付いている拡張主義の伝統の一部だと主張するむきもある。この侵略への傾向は、ロシア外部の脅威環境ではなく、長年、近隣諸国に対し、事実上全てのロシア指導者を暴力的に振るまうよう駆り立ててきた内部勢力に引き起こされたと言われている。この言説において、プーチンが主導権を握っていること、または彼がロシアを戦争に導いたことは否定できないが、彼にはほとんど主体性がないと言われている。ほとんど誰でも、他のロシア指導者も、同じように行動したはずだ。
この議論には二つの問題がある。まず、この議論は反証不可能だ。なぜなら、この攻撃的衝動を生み出すロシア社会の長年の特性が特定されていないためだ。誰が権力を握っていても、ロシア人は常に攻撃的で、これからもそうだと言われている。まるでそれが彼らのDNAに刻み込まれているかのようだ。これと同じ主張が、かつてドイツ人についてもなされていた。20世紀に、ドイツ人はしばしば生来の攻撃者として描かれた。この種の議論が学問の世界では真剣に受け止められないのには十分理由がある。
更に、1991年からウクライナ危機が勃発した2014年までの間、アメリカや西欧諸国ではロシアを本質的に攻撃的だとみなす人はほとんどいなかった。ポーランドとバルト諸国以外では、ロシアの侵略に対する懸念は、この24年間、頻繁に表明されることはなかった。ロシアが侵略的なら当然だ。この議論が突然現れたのは、ウクライナ戦争を引き起こしたとしてロシアを非難するための都合の良い口実だったのは明らかだ。
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話題を変えて、 NATO拡大がウクライナ戦争の主因だと考えられる三つの主な理由を述べたいと思う。
まず、戦争が始まる前に、NATOのウクライナへの拡大は排除しなければならない存在的脅威だと考えているとロシア指導部全員が繰り返し述べていた。
2022年2月24日以前にも、プーチン大統領は、この主張を展開する公式声明を数多く発表している。2021年12月21日、国防省理事会で、彼は次のように述べた。「彼らがウクライナで行っていること、またはしようとしていること、計画していることは、我が国の国境から何千キロも離れた場所で起きているのではない。それは我が国のすぐそばで起きているのだ。我々にはこれ以上退却する場所がないことを、彼らは理解しなければならない。我々がこれら脅威に気づいていないと彼らは本当に思っているのだろうか。それとも、ロシアに対する脅威が出現するのを我々がただ黙って見ていると思っているのだろうか?」2か月後の2022年2月22日、戦争が始まるわずか数日前の記者会見で、プーチン大統領は次のように述べた。「我々はウクライナのNATO加盟に断固反対する。これは我々にとって脅威で、これを裏付ける議論があるからだ。このホールで私は繰り返しこのことについて話してきた」。そして、ウクライナがNATOの事実上の加盟国になりつつあることを認識していることを明らかにした。アメリカと同盟諸国は「キーウの現政権に最新型兵器を大量に供給し続けている」と彼は述べた。更に、これを阻止しなければ、モスクワは「完全武装した『反ロシア』勢力を残すことになる。これは全く受け入れられない」と述べた。
ウクライナ危機の原因として、NATO拡大が中心的役割を果たしていると国防大臣、外務大臣、外務副大臣、駐米ロシア大使を含む他のロシア指導者たちも強調した。2022年1月14日の記者会見で、セルゲイ・ラブロフ外相はこの点を簡潔に述べた。「全ての鍵となるのは、NATOは東方に拡大しないという保証だ」
ウクライナが近い将来NATOに加盟する可能性はなかったため、ロシアの懸念は根拠がないという議論をよく耳にする。実際、戦争前にはアメリカとヨーロッパの同盟諸国はウクライナをNATOに加盟させることにほとんど注意を払っていなかったと言われている。しかし、たとえウクライナがNATOに加盟したとしても、NATOは防衛同盟なので、ロシアにとって実存的脅威にはならないだろう。したがって、NATO拡大は、2014年2月に勃発した当初の危機や、2022年2月に始まった戦争の原因ではなかったはずだ。
この議論は間違っている。実際、2014年の出来事に対する欧米諸国の対応は、既存の戦略を強化し、ウクライナをNATOに一層近づけることだった。同盟は2014年にウクライナ軍訓練を開始し、その後8年間で毎年平均1万人の兵士を訓練した。2017年12月、トランプ政権はキーウに「防衛兵器」を提供すると決定した。他のNATO諸国も直ちに行動を起こし、更に多くの武器をウクライナに送った。さらにウクライナ陸軍、海軍、空軍はNATO軍との合同軍事演習に参加し始めた。ウクライナ軍を武装させ:訓練する欧米諸国の取り組みは、戦争初年、ロシア軍に対して非常にうまく戦えた理由のかなりの部分を説明する。2022年4月のウォールストリート・ジャーナルの見出しは「ウクライナの軍事的成功の秘密:長年のNATO訓練」と述べていた。
ウクライナ軍をNATO軍と並んで活動できる、より強力な戦闘部隊にするための同盟の継続的な取り組みはさておき、2021年、ウクライナのNATO加盟に欧米諸国で新たな熱意が見られた。同時に、ウクライナのNATO加盟に、これまであまり熱意を示しておらず、進行中の危機を解決するためロシアと協力することを求める政策で2019年3月に選出されたゼレンスキー大統領は、2021年初頭に方針転換し、ウクライナのNATO加盟を受け入れただけでなく、モスクワに対し強硬姿勢をとった。
2021年1月にホワイトハウスに入ったバイデン大統領は、長年ウクライナのNATO加盟に尽力しており、ロシアに対し超強硬派だった。当然ながら、2021年6月14日、NATOはブリュッセルでの年次首脳会議で声明を発表し「我々は、ウクライナが同盟国となるという2008年のブカレスト首脳会議での決定を改めて表明する」と述べた。2021年9月1日、ゼレンスキーはホワイトハウスを訪問し、アメリカが「ウクライナの欧州大西洋構想」に「しっかりと肩入れしている」ことをバイデンは明らかにした。その後、2021年11月10日、アントニー・ブリンケン国務長官とウクライナのドミトロ・クレーバ国務長官が、重要文書である「アメリカ・ウクライナ戦略的提携憲章」に署名した。この文書によれば、両国の目的は「ウクライナが欧州および欧州大西洋諸国の機関に完全統合するために必要な徹底的かつ包括的改革を実施する約束を強調すること」だ。また、アメリカの「2008年ブカレスト首脳宣言」への約束も明確に再確認している。
ウクライナが2021年末までNATO加盟に向け順調に進んでいたことは疑いようがないようだ。それでも、この政策を支持する人々の中には「NATOは防衛同盟で、ロシアにとって脅威ではない」ため、モスクワはその結果を心配するべきではないと主張する人もいる。だが、プーチン大統領や他のロシア指導者はNATOについてそうは考えておらず、重要なのは彼らがどう考えているかなのだ。つまり、ウクライナのNATO加盟を、モスクワが放置できない存在的脅威と見ていたのは確実だ。
第二に、NATOの拡大、特にウクライナへの拡大は、ロシア指導者から致命的脅威とみなされ、最終的には大惨事につながることを、欧米諸国で影響力を持ち高く評価されている相当数の人物が戦争前に認識していた。
現在CIA長官のウィリアム・バーンズは、2008年4月にブカレストで開催されたNATOサミット当時、モスクワ駐在アメリカ大使だったが、当時のコンドリーザ・ライス国務長官に宛てたメモで、ウクライナをNATOに加盟させることに関するロシアの考えを簡潔に述べている。「ウクライナのNATO加盟は、(プーチン大統領だけでなく)ロシア・エリート層にとって絶対譲れない一線だ。クレムリンの闇にいる図体ばかり大きな愚か者から、リベラル派の最も痛烈なプーチン大統領批判者まで、ロシアの主要人物と2年半以上にわたり話したが、ウクライナのNATO加盟は、ロシア権益に対する直接の決闘状以外の物ではないと考える人物に会ったことがない」とバーンズは記している。バーンズは「NATOは…戦略的挑戦状の叩きつけと見なされるはずだ。今のロシアはそれに反撃するだろう」と述べていた。ロシアとウクライナの関係は完全に凍結されるだろう...それはクリミアとウクライナ東部へのロシア干渉にとって、肥沃な土壌を作り出すだろう。」
2008年にウクライナをNATOに加盟させることが危険を伴うことを理解していた欧米政策担当者はバーンズだけではなかった。実際ブカレスト首脳会談では、ウクライナのNATO加盟を進めることにドイツのアンゲラ・メルケル首相とフランスのニコラ・サルコジ大統領の両者が反対した。ロシアを驚かせ激怒させることになると理解していたからだ。最近、メルケル元首相は反対の理由を次のように説明した。「私はプーチンがそれをそのままにしておくはずがないと確信していた。彼から見れば、それは宣戦布告になる。」
更に一歩進めて、1990年代にNATO拡大の決定が議論されていた時、多くのアメリカの政策立案者や戦略家がクリントン大統領の決定に反対した。これら反対者は、NATO拡大を自国の重要な利益に対する脅威とロシア指導者が見なし、最終的に、この政策が破滅につながることを最初から理解していた。反対者のリストには、ほんの数例を挙げるだけでも、ジョージ・ケナン、クリントン大統領の国防長官ウィリアム・ペリー、統合参謀本部議長ジョン・シャリカシビリ将軍、ポール・ニッツェ、ロバート・ゲーツ、ロバート・マクナマラ、リチャード・パイプス、ジャック・マトロックなど著名な体制側の人物が含まれていた。
遠く離れた大国が西半球の国と同盟を結び、そこに軍隊を配備するのは許されないというモンロー主義を長年信じているアメリカ人は、プーチンの立場の論理は完全に納得できるはずだ。アメリカは、そのような動きを存在的脅威と解釈し、その危険を排除するため、あらゆる手を尽くすはずだ。もちろん、これは1962年のキューバ危機の際に起きたことで、核弾頭ミサイルをキューバから撤去する必要があるとケネディ大統領はソ連に明言した。プーチンも同じ論理に深く影響されている。結局、大国は遠く離れた大国が自国の裏庭にやって来るのを望まないのだ。
第三に、ウクライナのNATO加盟に対するロシアの深い恐怖の中心は、戦争が始まって以来起きた二つの進展によって示されている。
侵攻開始直後に行われたイスタンブールでの交渉で、ウクライナが「永世中立」を受け入れなければならず、NATOに加盟できないことをロシアは明らかにした。ロシアの要求をウクライナは特に抵抗することなく受け入れたが、それは彼らがそうでなければ戦争を終わらせることは不可能だと知っていたからに違いない。最近、2024年6月14日、停戦と戦争終結交渉開始に同意する前に、ウクライナが満たさなければならない二つの要求をプーチン大統領が提示した。その要求の一つは「NATO加盟計画を放棄する」とキーウが「公式」表明することだった。
NATO加盟国としてのウクライナを、いかなる犠牲を払っても阻止しなければならない存在的脅威だとロシアは常にみなしてきたため、これは何ら驚くべきことではない。この論理がウクライナ戦争の原動力になっている。
最後に、イスタンブールでのロシアの交渉姿勢や、2024年6月14日の演説での戦争終結に関するプーチン大統領発言から、彼がウクライナ全土を征服し、大ロシアの一部にすることに興味がないのは明らかだ。
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2024年8月11日 (日)
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