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2019年08月26日
天皇の戦争責任とは何か
【昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記】
昭和天皇が戦後、戦争への後悔や退位の可能性に繰り返し言及していたことが、19日公開された初代宮内庁長官の故田島道治による昭和天皇との詳細なやりとりを記した資料から明らかになった。戦前の軍隊を否定しつつ改憲による再軍備の必要性にも触れた政治的発言を、田島がいさめた様子が残されていた。資料は手帳やノート計18冊。田島は「拝謁記」と題していた。
拝謁記には、軍部が暴走した張作霖爆殺事件(1928年)や、青年将校による二・二六事件(36年)、太平洋戦争などに関する昭和天皇の回想が登場する。
(8月19日、共同通信)
残念なことに貴重な歴史資料である「拝謁記」は準国営報道機関であるNHKの手に落ちてしまい、今後全文が公開されるのか分からない状態にある。その報道も都合の良いところをつまみ食いした形になっており、にわかには信じられない内容になっている。
その主旨の一つは「昭和帝は反省していた」というものだが、何について反省し、誰に対して表明しようとしていたのかについては明確では無い。そして、「天皇が謝罪すると、天皇に責任があったことになってしまうから、公式謝罪はダメだ」という結論になっている。
果たしてこれは美談なのだろうか。そんなわけは無いだろう。
過去ログを引用しながら考えてみたい。
近代の絶対王政は、国王が一身に国防の義務を担い、それを果たすために軍事権や外交権の占有が認められている。
しかし、国王が軍事権と外交権を専横するとなると、あっという間に財政が破綻してしまい、税を搾り取られるブルジョワジーが保たないという話になり、「まずは課税権だけでも制限して、新規課税は議会を通してもらおう」として誕生したのが近代議会だった。
その議会が上手く機能せず(あるいは気に入らないからと)、弾圧しようとして勃発してしまったのが清教徒革命であり、フランス革命だった。
大日本帝国軍のあり方を見てみよう。大日本帝国憲法の記載はシンプルだった。
天皇は、陸海軍を統帥する。(第11条)
日本臣民は、法律の定めるところに従い、兵役の義務を有する。(第20条)
ここから分かるのは、天皇が唯一の統率権(軍事大権)を有することと、主権を持たない臣民が兵役義務を負っていた点だけであり、軍隊が誰のために何を目的として設置されているのか分からない。ところが、明治帝政においては、現代日本の「自衛隊法」やロシアの「国防法」のような根拠法や基本法が存在しないため、法律に根拠を求めるのも難しい。そこで傍証的に、まず軍人勅諭を見ることにしたい。原文は長文の上、旧字体ばかりで文字化けするので、現代文で抜粋代用する。
朕は汝ら軍人の大元帥である。朕は汝らを手足と頼み、汝らは朕を頭首とも仰いで、その関係は特に深くなくてはならぬ。朕が国家を保護し、天の恵みに応じ祖先の恩に報いることができるのも、汝ら軍人が職分を尽くすか否かによる。国の威信にかげりがあれば、汝らは朕と憂いを共にせよ。わが武威が発揚し栄光に輝くなら、朕と汝らは誉れをともにすべし。汝らがみな職分を守り、朕と心を一つにし、国家の防衛に力を尽くすなら、我が国の民は永く太平を享受し、我が国の威信は大いに世界に輝くであろう。
ここから分かるのは、天皇は唯一の国家守護者であり、軍隊は天皇の守護責任を補佐するための道具であるという考え方だ。その前の文では、長期にわたって武家に預けていた(奪われていた)軍事権が天皇に帰したことを受けて(明治維新)、二度と軍事権が他者に渡らないようにするという誓いが立てられている。
これは近代絶対王政の考え方で、王権神授説に基づき天皇が統治権と軍事権を占有するとともに、国防の責務を負うというもので、臣民は天賦の軍事権を占有する国王の責務を全うする道具として兵役徴集されることになる。言うなれば、「人民のものは王のもの、王のものは王のもの」というジャイアニスムである。
ただし、軍人勅諭は西南戦争後の近衛兵の反乱を受けて、軍を戒めて統率を厳にすることを目的につくられた経緯があり、天皇個人への忠誠が強調されていることは否めない。だが、他に軍の存在意義を規定する法律が存在しないために、軍人勅諭の内容がデフォルトになってしまったことも確かだ。例えば、明治5年の徴兵令には、「四民平等を実現するために全国で募兵した陸海軍を作ることになった」旨が書かれており、フランスやオランダ寄りの民主的要素をわずかに感じ取ることが出来る。
話を整理すると、明治帝政下では、無答責(責任を問われない、憲法第3条)の天皇が国防の義務を有しつつ、軍事大権を占有、帝国臣民は天皇が負っている義務を全うするために奉仕すべく義務兵役が課されていた。つまり、天皇=国家であり、臣民はこれに奉仕する道具に過ぎず、帝国軍は天皇の私軍であると同時に国軍という位置づけだった。例えば、日露戦層の開戦詔書には、
朕茲に露国に対して戦を宣す。朕か陸海軍は宜く全力を極めて露国と交戦の事に従ふへく朕か百僚有司は宜く各々其の職務に率ひ其の権能に応して国家の目的を達するに努力すへし。
とあるが、要は「朕(天皇)はロシアに宣戦布告したから、朕の陸海軍は国家目的を達成するよう全霊努力せよ」ということである。第二次世界大戦も同様で、天皇の名において宣戦布告し、天皇のプライベート・アーミーが全アジアを廃墟と絶望の淵へと追いやったわけだが、天皇が戦争責任に問われることはなかった。そして、休戦条件として軍の武装解除が、天皇免責の代償として軍事権の放棄がなされたはずだったにもかかわらず、国際情勢の変化を受けてわずか数年で「自衛隊」という形で復活するに至った。
以上で重要なことは、大日本帝国憲法は西欧の絶対王政に倣って天皇に軍事権と外交権を帰属させた。これは欧州の法律解釈に倣えば、天皇が国防義務を担い、それを果たすために軍事権と外交権を有するということになる。だが、実際の運用については輔翼者の助言の下に駆使するとされ、外交権については外務大臣、軍事権については参謀総長などが輔翼者となった。そのため、天皇は最終責任を負わず、輔翼者は天皇に対して責任を負う立て付けとなった。
ここで重要なのは、輔翼者の責任はあくまでも助言者としての責務であり、国防の義務自体は天皇にあるということである。
敢えて補足しておくが、戦前の法体系において国防の義務は天皇にあって、臣民は義務を担っておらず、天皇が果たすべき義務に対して忠実に従うことのみが求められた。それが特攻のような自殺攻撃の根拠となっていく。
古来、中国でも欧州でも、王が国防の義務を果たせない時は王権が瓦解し、別の者が義務を担うところとなった。
日本の場合、長いこと天皇から軍事権を委託された征夷大将軍が国防と国内治安を担い、それに失敗すると「政権交代」が起きて、他家に軍事権が委譲されるという制度にあった。
幕末に起きたのは、「確かに軍事権は徳川家に委託したものの、外交権まで渡した覚えは無い」という問題で、これが鎖国・開国問題の発端となり、「徳川家に国防は任せられない」となって、勤王・討幕運動に発展していった。最終的には、第二次長州戦争の失敗によって徳川幕府に国内治安を維持する力が無いことが示されたことで、幕府権力の正当性が失われたと見て良い。
戊辰政変によって徳川家は軍事権を返還(大政奉還)、朝廷は軍事権を他者に委託するのを止め、天皇自らが軍事権を行使する制度が発足した。明治帝政である。この時点で、国防の責務は天皇が一身に負うところとなったが、その実際の運用は輔翼者が行い、天皇に対して責任を負い、天皇は責任を負わない(帝国憲法第3条)というのが、明治帝政の法解釈だった。とはいえ、この無答責は国防の責務を負わないことを意味するのでは無く、「輔翼者の失敗の責任について天皇が負うものではない」と解釈するのが妥当だろう。
1945年の敗戦は、昭和天皇が国防義務を果たせず失敗し、300万人以上の臣民を殺害した挙げ句、全植民地の統治権と沖縄等の行政権を失うという結果に終わった。
明治憲法の原理に基づけば、国防に失敗したのはまず輔翼者の責任であり、特に軍部(参謀総長と陸海軍大臣)と外務省(外務大臣)が天皇に対して責任を取らなければならない。ここで重要なのは、「天皇に対して責任を取れば良い」ということであって、臣民・国民・市民は謝罪の対象とはならないということだ。さらに天皇は無答責であるため、敗戦をもたらし、国防義務を果たせなかった輔翼者を任命した責任が問われることは無い。さらに言えば、輔翼者を処罰する法制は存在しない。
そのため明治法制下では、失政の責任を問うシステムが存在せず、日本市民が革命を起こすか、外国勢力による処断を待つことしかできなかった。
連合軍司令部(GHQ)は、日本で共産革命を起こさせないために、同時に休戦条件(ポツダム宣言)を履行するために、敗戦の責任者を自ら処罰するという選択を行う。根源的には、日本政府あるいは国民が自ら処断すべきだったが、明治日本にはその仕組みも概念も無かったため、放置することはできなかっただろう。
そして、アメリカの占領政策の基本的な考え方は、「軍部に戦争の全責任を負わし、天皇制と明治官僚は傀儡として残して、対ソ戦の前進基地となす」というものだった。実際、日本側の強い抵抗と人身御供の精神もあって、極東軍事裁判は軍部を中心にごく一部の「戦犯」が処断されたのみに終わり、民主化の担保となるはずだった公職追放も、講和条約の締結=冷戦勃発の中で解除され、敗戦の責任追及は不完全に終わった。
少し話を戻そう。
明治帝政下では、天皇は、原理的に国防の義務を一身に負っている。そして、その義務を果たすために軍事権と外交権を占有している。
ところが、明治以降、日本が行った戦争あるいは武力行使のうち、明らかに「国防上不可欠」というものは何一つ無かった。日清戦争は朝鮮半島の利権を清国から奪うため、日露戦争は朝鮮と満州の利権を巡るもの、シベリア干渉戦争に至っては沿海州に傀儡政権を打ち立てるためのものだった。日華事変・日中戦争に至っては、誰も何のための戦争か説明できず、太平洋戦争は「半年後に石油が無くなってしまうから、先に叩こう」として始めた戦争だった。
これらの戦争も勝利しているうちは、国防の義務が果たされているとして強弁できるが、敗戦して国土が灰燼に帰し、あまつさえ外国軍によって占領されるとなれば、事情は違ってくる。だが、日本では思想原理が全く未熟だったことも災いし、国防義務を果たさなかったことに対する責任追及の声は高まらず、天皇制がそのまま継続するところとなった。世界史上の奇跡である。
欧州型の政治制度では、王権(行政府)による軍事権と外交権の濫用を防ぐために議会が設置され、監督することになっているが、日本では議会にそうした権限は与えられず(従って情報も提供されない)、むしろ議会がこぞって侵略戦争を支持する構図になってしまったことも不幸だった。これは、制度の原理や意味を考えずに形式だけ真似たことにも起因しており、その弊害は現代にまで及んでいる。
近代共和制は、王が有していた国防の義務は市民が受け持ち、その義務を果たすために全ての市民は国防の義務を負う、同時に全ての市民は主権者である、という原理の上に成り立っている。
戦後日本は、国防の義務を実質的に放棄して国連に丸投げするという画期的すぎる憲法をつくった。これ自体は、天皇の免責を得るために軍そのものを廃止せざるを得なかった日本側の事情も大きく影響している。だからこそ当時は左右ともに憲法を支持して、むしろ共産党が安全保障上の理由と天皇制存続に反対するという、状況が見られたのである。
ところが、冷戦の激化に伴い、アメリカの要請もあって、日本政府は「軍事力では無い実力組織」を再建してしまう。これ自体は、当時の国際情勢と政治情勢を反映したものだったが、戦後憲法制定時に国防の義務を放棄してしまったため、「誰が国防の義務を負うのか」という議論の無いまま、実質的な再軍備が進められてしまった。
現在のところ、自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣で、実質的に統括するのは防衛大臣であるわけだが、恐ろしいことに憲法でも法律でも国防の義務を負っていない。例えば、自衛隊法を見ると、
自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
(自衛隊法第三条)
とあり、任務=職務は書かれているが、国防の義務には触れていない(同時に市民は防衛の対象になっていない)。防衛省設置法も同様だ。
これは法理上どうにもならないことで、日本国憲法第9条で軍事権を放棄してしまった以上、天皇にも国民にも国防の義務を課すことはできなくなっているためだ。
その結果、「自衛隊は憲法9条が否定する軍事力では無い」という解釈改憲論に立脚して、法律上の職務として「防衛省と自衛隊は国防を担う」とする他なくなっている。「誰にも義務もないし、責任も問われないけど、法律上の職務である」というのが、現代日本の国防の立脚点になってしまっている。
現在のところ、自民党を中心に憲法改正の主張が高まっているものの、仮に「自衛隊は憲法9条二項に違背しない」旨を書き加えてみたところで、「国防の義務と責任は誰が負うのか(天皇か国民か)」という大命題は残り続けることになる。そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。
にもかかわらず、国連は機能不全、米軍の撤退は時間の問題、中露韓台とは領土紛争を抱えているという日本の安全保障環境は危機的状況にある。
やはり明治帝政はもはや詰んでいるとしか思えない。
【参考】
・軍隊のあり方について続・日本軍の場合
・軍隊のあり方についてB〜近代国民軍の成立
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