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ガザでも事実を隠蔽、米支配層にとって都合の良い話を作成、流す西側メディア
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202402250000/
2024.02.25 櫻井ジャーナル
国際連合もアメリカ支配層の影響下にあることは言うまでもないが、その国連の機関であるOHCHR(人権高等弁務官事務所)の「専門家」が2月19日、ガザやヨルダン川西岸でパレスチナ人女性/少女がひどい人権侵害を受けていると表明した。ガザでは女性/少女が恣意的に処刑され、その多くは家族と一緒に殺されているという。
専門家の報告によると、拘束されているパレスチナ人女性/少女をイスラエル軍の男性将校が裸にし、身体検査しているだけでなく、さまざまな形の性的暴行も受けているとされている。少なくともふたりの女性がレイプされたほか、レイプや性暴力で脅迫された人もいると伝えられている。多くの女性が月経パッド、食事、薬の提供を拒否され、ひどい殴打を受けているともいう。
女性だけでなく男性もパレスチナ人は非人道的で品位を傷つける扱いを受けている。
ちなみに、「専門家」とはリーム・アルサレム(女性と少女に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者)、フランチェスカ・アルバニーズ(1967年以来占領されているパレスチナ領土における人権状況に関する特別報告者)、ドロシー・エストラーダ・タンク(議長)、クラウディア・フローレス、イヴァナ・クルスティッチ、ハイナ・ルー、ローラ・ニーリンキンディ(女性と少女に対する差別に関する作業部会)だ。
ガザでイスラエル軍は民間人を虐殺、3万人近くが殺され、その約4割が子ども、女性を含めると約7割に達するとされている。瓦礫の下にも相当数の死体がまだあるはずで、犠牲者の総数は明確でない。
OHCHRがガザにおける人権侵害について発表した前日、ブラジルのルーラ・ダ・シルバ大統領はガザでのパレスチナ人虐殺をアドルフ・ヒトラー体制における虐殺に準えた。イスラエル政府は「ホロコースト」の呪文を持ち出してルーラ大統領を批判したが、ブラジル大統領の主張に賛意を示す人は少なくない。
アメリカのジョー・バイデン政権はイギリスと同じようにガザでの虐殺を支援、西側の有力メディアはイスラエルを擁護、パレスチナ人の虐殺を封印しようとしている。有力メディアとは支配者のためのプロパガンダ機関にほかならない。
メディアは科学技術の発展に伴い、この世に現れた。輪転印刷機が19世紀に発明された後に新聞などの印刷媒体が、また20世紀には電信技術の発明でテレビやラジオなど非印刷媒体が出現している。
こうしたメディアを利用して人びとの心理を操る仕組みをアメリカで作られたのは第2次世界大戦の後だろう。デボラ・デイビスの『キャサリン・ザ・グレート』によると、1948年頃に「モッキンバード」と呼ばれる情報操作プロジェクトがスタートしているのだ。
このプロジェクトを実際に動かしていたのはコード・メイヤーだとされているが、その上には4名のグループが存在していたという。ひとりはOSSやCIAの幹部を務めたアレン・ダレス、OSS時代からダレスの側近で、大戦後には破壊工作を実行する極秘部隊OPCの局長を務めたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近リチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポストのオーナーだったフィリップ・グラハムである。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
イギリスの情報機関MI6と同じように、アメリカの情報機関も金融界との関係が深い。例えば、ダレスとウィズナーはウォール街の弁護士であり、ヘルムズの母方の祖父であたるゲイツ・ホワイト・マクガラーはBIS(国際決済銀行)の初代頭取、またフィリップ・グラハムの義理の父にあたるユージン・メイヤーは世界銀行の初代総裁だ。
メイヤーの祖父にあたるイサクはユダヤ教のラビで、メイヤー自身は友人のルイス・ブランデイスに引きずられる形でシオニズムに傾倒、ロンドンからパレスチナへ資金を流す手助けをしている。ユージン・メイヤーは1933年に倒産したワシントン・ポストを競売で落札した。
ユージンの娘、キャサリンは1940年6月にフィリップ・グラハムと結婚、大戦が始まるとフィリップは陸軍の情報部の要員として東南アジアで活動した。そこで彼はダレス、ウィズナー、ヘルムズらと親しくなっている。この関係のおかげでワシントン・ポストは大戦後に急成長して「有力紙」と呼ばれるようになった。
フィリップはジョン・F・ケネディと親しかったが、ケネディが暗殺される3カ月前の1963年8月に自殺、キャサリンが新聞社の社主に就任している。新社主にはポリーという友人がいたのだが、この女性はフランク・ウィズナーの妻にほかならない。この人たちのネットワークはエリート層の内部に張り巡らされ、メディアは支配システムの一部として機能することになる。
キャサリンは後にリチャード・ニクソンを失脚させたウォーターゲート事件で名を馳せるが、彼女は反戦派を嫌い、少なくとも一時期はニクソンを支持していた。
ちなみに、ニクソンが最初に当選した1968年の選挙では最有力候補だったロバート・ケネディが直前に暗殺され、72年の選挙では反戦派だった民主党の候補ジョージ・マクガバンは民主党内の好戦派に攻撃されてニクソンに敗れた。
マクガバンを攻撃していた民主党のグループで中心的な役割を果たしたヘンリー・ジャクソンの事務所では後にネオコンの中核を占める若者を育成、デタント派になったニクソンが失脚した後に副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領はデタント派を粛清、ネオコンを要職につけた。ネオコンが台頭してくるのはこの政権だ。
ワシントン・ポストの記者としてウォーターゲート事件を調査したカール・バーンスタインはニクソンが大統領を辞任してから3年後にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。
その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任すると、新たなプロパガンダ計画がスタートする。アメリカ国内における「プロジェクト・トゥルース」と国外における「プロジェクト・デモクラシー」だ。
政府のメディア操作で中心的な役割を果たしていた人物がCIAのプロパガンダ担当オフィサーで、1982年からNSC(国家安全保障会議)のスタッフになっていたウォルター・レイモンドだ。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)
レーガン大統領は1982年6月にイギリス下院の本会議で「プロジェクト・デモクラシー」という用語を使い、83年1月に「NSDD(国家安全保障決定指示)77」に署名、新しい段階に入った。プロジェクトの中枢機関としてNSCの内部に「SPG(特別計画グループ)」を設置し、相手国の人々を操ろうとしたのだ。(前傾書)
フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。
こうした情報操作プロジェクトにとって事実は敵であり、内部告発を許すことができない。内部告発の支援をしていたWikiLeaksが敵視されるのは当然だった。この団体の象徴だったジュリアン・アッサンジをイギリスの警察が逮捕、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束している理由もそこにある。米英支配層はアッサンジを獄死させようとしていると言われている。アッサンジの運命は言論の運命そのものだ。
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