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2024.01.06
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アメリカはシティやウォール街を拠点とする強大な私的権力にコントロールされている。1970年代から急速に進んだ新自由主義化の結果、私的権力はすでに国家を凌ぐ力を持っているが、現在、私的権力は国というシステムを経由せず、自分たちが直接統治する体制を築こうとしている。
彼らが推進しようとしていたTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)、最近ではパンデミック条約やIHR(国際保健規則)改定案も主権国家を否定する試みの一環だ。
私的権力が民主主義国家そのものより強くなると民主主義国家の自由は危うくなり、その本質はファシズムだとフランクリン・ルーズベルト大統領は1938年4月29日に主張した。すでにアメリカはファシズム体制に入っているということであり、新自由主義はファシズムの別名だとも言える。
1991年12月にソ連は消滅するが、その年の1月にアメリカ主導軍はイラクを攻撃したが、その際、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領はサダム・フセイン体制を倒さなかった。ブッシュや彼の仲間はフセイン体制をペルシャ湾岸の産油国をイランから守る防波堤だと認識していたからだ。
それに対し、ネオコンはフセイン体制を倒して親イスラエル体制を樹立し、シリアとイランを分断した上で両国を個別撃破しようと考えていた。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、湾岸戦争でブッシュ大統領がフセイン体制を倒さなかったことにネオコンは怒ったが、その際、中東でアメリカが軍事力を行使してもソ連軍は出てこないと理解した。その年の5月にクラークは国防総省を訪問、そこで会った国防次官のポールはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたという。
シオニストであると同時に私的権力の代理人でもあるネオコンはソ連が消滅した直後、1992年2月にDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇プロジェクトを作成した。その当時の国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツだ。
DPG草案はウォルフォウィッツが中心になって作成されたことから、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。ブッシュ・ジュニア以降、アメリカの世界戦略はこれに基づいて決められてきた。
このドクトリンは第1の目的を「新たなライバル」の出現を阻止することだとしている。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジア、東南アジアにアメリカを敵視する勢力が現れることを許さないというわけだ。さらに、ドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、新たなライバルの出現を防ぐとも謳っている。
ここからネオコンの世界制覇プロジェクトは始まり、1999年3月から6月にかけての期間、ユーゴスラビアを空爆した。例によって偽情報を流して攻撃の正当化を試みたが、単なる侵略だということはまもなく明らかにされた。その間、4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。
ウォルフォウィッツ・ドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACは2000年に「アメリカ国防の再構築」を発表、それに基づいてジョージ・W・ブッシュ政権は軍事政策を作成した。その政策を実行する口実になる出来事が引き起こされたのは2001年9月11日。その日、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。
その攻撃から6週間ほど後、国防長官の周辺で攻撃予定国のリストが作成されていたことを統合参謀本部でクラークは知らされている。そのリストに載っていた国はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイラン。イラクが攻撃されたのは2003年3月だ。
これもウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づく計画だろうが、アメリカやイスラエルには「脅せば屈する」という信仰がある。例えば、何をしでかすかわからない国だと思わせれば自分たちが望む方向へ世界を導けるとリチャード・ニクソンは考え、イスラエルは狂犬のようにならなければならないと同国のモシェ・ダヤン将軍は語っている。ネオコンも同じで、この戦術はロシアや中国にも通用すると考えていた。
米英支配層と深い関係にある外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカ軍の先制第1撃で破壊できるようになる日は近いとされていた。簡単にロシアや中国に勝てるということだ。
それに対し、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は問題を外交的に解決しようとしてきたが、ネオコンはそれを「弱さ」だと考えた。そのプーチンは2017年10月、ソチ開かれたバルダイ国際討論クラブの会議で「西側との関係で我々が犯した最も深刻な間違いは信用しすぎたということだ」と記者に対して語っている。その判断は正しいが、それでも2020年代に入っても外交的に問題を解決しようとしていた。プーチンがアメリカとの話し合いに見切りをつけたのは2023年の秋頃だ。
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