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五木寛之氏・新春随想「一寸先は闇」の新春
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/334118
2024/01/01 日刊ゲンダイ ※後段文字起こし
五木寛之氏(C)日刊ゲンダイ
先日、神社の境内で、おびただしい数の絵馬を見た。人々の素直な願いがつづられた絵馬のピラミッド。
時間をかけて丹念に読んでみると、おおむね3つの願望に要約されるようである。
まずは<商売繁昌>。
これは要するに経済の問題だ。身も蓋もない言い方をすれば、お金が廻りますように、という願いだろう。
続いて多いのが<家内安全>。
家内というのは、一家のことだけではない。世界が平和であってほしい、という切実な祈りである。昨年は海の向うの戦争で心萎える一年だった。心おだやかに過ごしたいという祈り。
3番目が<病気平癒>。
要するに健康の問題だ。古代から現代まで、庶民大衆の本音はこの3つにきわまるのではないか。<金>と<体>と<心>。
これをKANEと、KARADAと、KOKOROと書けば、期せずして現代の3Kとなる。
少年の頃は正月を迎えると、
<今年こそは──>
と、心に誓ったものだった。日記も松の内ぐらいは続けて書いた。
〽年のはじめの ためしとて
終りなき世の めでたさを
と、子供たちまでがうたい、やがて替え歌を高唱して大騒ぎした。昔というのは昭和の初年ごろの話である。
いまは国全体が新年の気分にひたるということがない。個々ばらばらに年の変り目を迎えるだけだ。
しかし、それでもなお人間は気分を変えて、ちがう一年を迎えようとする。今年こそは、と心に誓ったりもする。
さて、今年はどんな一年になるのか。
それは誰にもわからない。はっきりしているのは、「一寸先は闇だ」という捨てばちな気分である。
海の向うのできごとが、いつこの国にもおこらないとは限らない。現実の歴史は、常に世の識者の予測とは真逆に動く。
せめて「きょう一日」「あす一日」といった感じで希望を長期的に考えないことだろう。
1年先のことを考えない、という生き方を刹那的、という。しかし、一年は一刹那の連続なのだ。せめて「きょう一日」納得のいく生き方を、と、ひそかに誓う新春である。
◆五木寛之(いつき ひろゆき)1932年福岡県生まれ。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞。76年「青春の門 筑豊篇」ほかで吉川英治文学賞を受賞。2002年には菊池寛賞、10年NHK放送文化賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞。日刊ゲンダイ連載「流されゆく日々」は16年9月5日に連載1万回を迎え、ギネス記録を更新中。小説以外にも幅広い批評活動を続ける。
代表作に「風に吹かれて」「戒厳令の夜」「風の王国」「大河の一滴」「TARIKI」「親鸞」(三部作)など。最新作に「新・地図のない旅V」「人生のレシピ 新しい自分の見つけ方」「元気の素」など。
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