http://www.asyura2.com/23/senkyo291/msg/802.html
Tweet |
https://mainichi.jp/articles/20230922/k00/00m/040/318000c
広島市で原爆投下の米国の責任議論は「棚上げ」に。
広島市で・・・。
広島市民はいいのか・・・それで。
門田佳子市議に「『棚上げ』とはどういう意味か」と問われ、市側はまともな回答が出来ない。
日本人はどうして「曖昧」という罠に自ら嵌ろうとするのか。
あえて逃げ込んでいると言うのが正しいのかも知れない。
「棚上げ」ということは、その場をやり過ごせばいいとの「自己保身」の表れでしかない。
そのことが、「アメリカの責任を不問にすることになる」と指摘されても改めない。
共産党の中村孝江市議の「協定は原爆を投下したアメリカの責任を不問、免罪にするものか」との一般質問に答えた。
(市側)「棚上げ」の解釈について「問題の解決そのものを放棄するのではなく、事情に応じて、一時的に保留するものだと思う」
と。
「何時、棚から降ろすのか?」との質問も必要なようだ。
記事は、登場者の発言を報じたものなので、誤解を招かないように、以下に全文を転載する。
広島市の平和記念公園(中区)と米ハワイ州のパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定締結を巡り、広島市市民局の村上慎一郎局長が21日の市議会本会議で「原爆投下にかかわる米国の責任の議論は現時点では棚上げにし、核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運の醸成を図っていく」と答弁したことに、波紋が広がっている。
共産党の中村孝江市議(安佐南区)の「協定は原爆を投下したアメリカの責任を不問、免罪にするものか」との一般質問に答えた。
松井一実市長は7月の定例記者会見で、「『和解の精神』を重視した対応をするべき時期に来たと判断した」と説明している。村上局長は「和解の精神」について「現時点で責任に関わる議論は双方で棚上げし、二度と戦争の惨禍を繰り返すべきではないという考え方を確認し、未来志向で対処していこうというもの」と述べた。
しかし、翌22日の本会議で無党派クラブの門田佳子市議(中区)から「『棚上げ』とはどういう意味か」と問われると、村上局長は「協定がアメリカの責任を不問・免罪にするためのものではないということを理解してもらうために用いた」と釈明。「棚上げ」の解釈について「問題の解決そのものを放棄するのではなく、事情に応じて、一時的に保留するものだと思う」とも述べた。
6月の協定締結を巡っては、被爆者や市民団体から「早急だ」「市民の声を聞くべき」など疑問や批判の声が上がっていた。村上局長は22日の答弁で、「国際情勢を考慮するなら解決を待つのではなく、未来志向に立った対応を逃がさないようにすることが急がれると考えた」と説明した。
「棚上げ」発言について、県被団協の佐久間邦彦理事長(78)は「よく言えたもんだ。言ったこと自体がおかしく、納得いかない」と憤った。そのうえで「実際に和解できるのか。これは広島だけではなく日本全体の問題だ」と述べた。【岩本一希】
記事は以上の通り。
核兵器は「絶対悪」だ。
米国の政府、或いは米国世論の大勢の意識にあるような「必要悪」というものでは「絶対」ない。
「絶対悪」と「必要悪」との認識の差は極めて大きい。
70年前の試作機レベルのたった一発の原爆でさえ、無差別に、一瞬にして大都市の半数の人の命を奪ってしまった。
それは、「無差別大量殺人兵器」であり、「非人道」と言わないで何と表現すればいいのか。
それを2度にわたって投下した当時のアメリカ政府の行為は「戦争犯罪」と断ぜざるを得ないだろう。
そうでなければ、今ロシアがウクライナで民間施設を攻撃し、民間人を殺傷している行為を「戦争犯罪」と断罪することは出来なくなる。
その責任を曖昧にし、「棚に上げて」、「核兵器反対」「核兵器廃絶」を訴えることは「自己矛盾」というものではないか。
『和解の精神』を重視すると言うが、
罪を犯した責任を棚に上げての「和解」は「欺瞞」でしかない。
そもそも、広島市の平和記念公園と米ハワイ州のパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定は、言ってみれば、市民レベルで平和を願って協力しましょうというものではないか。
私達が、米国に「原爆投下」の反省と謝罪を求めているのは、そのことが、「核兵器
廃絶」への力強い一歩となると信じているからだと思うのだが。
広島の人も含めて、私達日本人は、当時まだ子供だったか、生まれていない人に、形だけ頭を下げてほしいわけではないだろう。
米国政府として反省し、謝罪することは、「核兵器は「絶対悪」だ。」との、私達と同じ認識になれたことを意味する。
米国民の中には、私達と同様に「核兵器は「絶対悪」だ。」と考える人も大勢いるだろう。
そのような市民同士が平和への願いを胸に、手を携えようとする姉妹公園協定のために、「原爆を投下したアメリカの責任を不問、免罪にする」かのごとき「棚上げ」は不要だ。
広島市は核廃絶を願ってきた広島市民に、屁理屈を捏ねるのではなく、素直に「棚上げ」を撤回し、謝罪すべきだ。
何故なら、「棚上げ」するということは、「核兵器は絶対悪」という認識から「核兵器は必要悪」という意識に変わることを意味する。
その意識は、「核抑止論の肯定」に繋がっていく。
まさか「広島ビジョン」のあの人に忖度したわけではあるまい。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK291掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK291掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。