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来たる解散総選挙で、野党が政権に返り咲くための「二つの方法」
https://diamond.jp/articles/-/328123
2023.8.24 12:00 木俣正剛:元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 ダイヤモンド・オンライン
岸田政権の支持率はどんどん低下しているが、なぜか解散総選挙をしようという声が自民党内からあがっている(写真はイメージです) Photo:PIXTA
解散総選挙を軽々しく口にする危機感が薄れた自民党
岸田政権の支持率はどんどん低下しています。しかしなぜか、解散総選挙をしようという声が自民党内からあがっているようです。つまり野党が弱すぎて、選挙さえすれば自民党が勝つから、政権を奪われる危険がまったくないと予想しているからでしょう。
しかし、そんなことでいいのでしょうか。私は「必ず解散総選挙で自民党が勝てる」というのは油断にすぎないと思います。国民は野党があまりにひどいので、自民党に政治を任せているだけで、満足しているわけではありません。野党が変われば、いや、自民党に変わって政権を託しうると考える政党が出てくれば、いつでも変化は起こりうるのです。
私はかつて、細川新党=日本新党の立ち上げを眼前で見てきました(結党宣言を月刊文春に掲載)、また民主党政権の誕生前、自民党の支持率が急激に下がる現象も見てきました。その経験から、今回は野党にいくつか提案をしてみたいと思います。
第一の提案は、自民党の最大の弱点を突いて、それを争点に総選挙を闘うことを目的に団結すべきだという点です。弱点とは何かといえば、それは世襲制です。
世襲制で地盤を継ぐから、知名度があり、地盤があれば、看板、カバンもついてきます。しかし、お坊ちゃんお嬢ちゃん育ちの政治家は、弱者の視点を見失いがちであり、それが日本を格差社会にしてしまった原因の大きな理由の一つでもあります。
実は、民主党が自民党から政権を奪取する前、私は民主党にある提案をしたことがあります。親しくしていたPR会社の大物幹部から、総合週刊誌の編集幹部クラスに、「自民党打倒のアイデアをアンケートにして提出してほしい」と頼まれたのです。
私は以下のような提案をしました。
「自民党の最大の武器は『世襲制』にあります。ほとんどの議員が二世か親戚。個人後援会が分厚く支援し、さらに政治資金には相続税がかからないので、政治資金も潤沢になる。だからこそ、まず世襲制の議員は立候補できなくするのが、政権交代の鍵となるのではないか」
とはいえ、野党が世襲制廃止法案を出したところで、議会で否決されるのは目に見えています。だから次期総選挙では「民主党は世襲議員を一人も立候補させない」と、自民党との違いをはっきりさせた選挙を戦うべきだ、という提案でした。
もともと野党には世襲議員は多くありません。もちろん、世襲はダメといっても、日本国民には誰しも立候補できる権利があるので、その権利まで剥奪するわけにはいきません。ただ、三親等までの議員が地盤としていた選挙区から立候補できないというルールにすれば、世襲議員はなくなります(実際、多くの国では世襲制をそういう形で防止しています)。
小沢一郎が地元の選挙区を離れ石原伸晃の選挙区で戦ったらどうか
世襲制反対を旗印に選挙をする以上、なるべく派手なアドバルーンが必要です。私は、アンケートでこう主張しました。
「民主党の大物世襲議員、小沢一郎が『世襲反対』の旗手となり、敢然と岩手の地元を離れ、当時大人気だった東京8区の石原慎太郎の息子・石原伸晃の選挙区で旗揚げしたらどうか」
これほどわかりやすい選挙はありませんし、民主党が世襲を否定する覚悟も国民には極めてわかりやすく伝わるでしょう。メディアの興味は「石原 vs 小沢」の選挙区に集中し、議論は世襲がいいか悪いかに収斂します。こういう場合、守りに回り、大義名分の少ない自民党の勝率は低いものとなるはずです。このアンケートを読んだPR会社の大物は「ウーン」と唸ったあと、「これだよ、これなら勝てる」と大喜びで帰っていったことを覚えています。
この大物氏は単なるPR業者とはいえない、一種のフィクサーでした。大企業のスキャンダルをもみ消したと書かれたこともあるし、原発擁護のPRなど汚れ仕事もうまくやってきたという人物でしたが、週刊誌編集長をバカにすることもなく、私はこまめにつきあい、食事をよくしていました。彼にいわせれば、週刊誌の編集長が一番世論の流れを知っているというのが、つきあう理由だということでした。
彼があれだけ「イケル!」と叫んだのに、民主党から全然「世襲反対」の政策が打ち出されないなと思っていたら、件の大物がグチをいいにきました。「小沢がね、俺は選挙区を離れるのはイヤだっていうんだよ。あれじゃ勝てないな」
本当に進言したのかどうかはわかりません。私へのリップサービスだったのかもしれません。しかし私のこの提案は、今でも有効だと思います。
小選挙区となってから、政治家はひ弱になりました。少しルックスがよく、人当たりがいい方が一人区では当選しやすくなります。かつては地方議員から国会へと羽ばたく議員が大勢いましたが、今はなるべく無難な二世義員を立て、選挙で票さえ獲得できればいいと自民党は考えているようです。政治家としての力量など、候補者選びに関係ないのです。
だからこそ、世襲制反対なら野党は団結できます。ほとんどの議員が二世ではないし、二世議員がいたとしても地盤も強くない場合が多いので、選挙区の鞍替えをさせても、そう弱くはなりません。
自分も「二世議員」になるところだった
私が二世議員を嫌うのは個人的事情もあります。実は、私も二世議員になる可能性がありました。私の父は京都市議を40年も勤めた、いわばボスでした。小学校しか出ていないのに、勉強して活字工から京都の地元紙の論説委員長まで勤め、そこから新市長を応援するために何人かの新聞記者が市議会議員に立候補するという経緯で、議員になりました。
年齢的にも国会議員になる機会がないままでしたが、それでも私は父から何度か「政治家になる気はないか?」と聞かれたことがあります。「地方議員からでは、国会で力を発揮するには時間がかかる。今なら、自分の力で直接国会議員選挙に出ることも考えられるし、そのために学生時代から修業もできる」というのです。
私の方は青二才で、「民主主義は世襲じゃないはず」と言い切り、父もジャーナリスト出身だから「それでこそ俺の息子」と喜んでくれたこともありました。多分、その気になれば、一度くらいは国会議員になれたかもしれません。
しかし、正直、当時の議員の子どもから見ると、政治家という仕事は魅力のあるものではありませんでした。毎日が陳情の嵐。建設事業の落札のお願いから、教員の人事異動願いなどで走り回る父を見て、プライベートのない政治家などなりたいと思わなかったというのが、正直なところでした。
父親だけではないのです。留守番の家族も同様に多忙です。「汲み取りがこない」(当時は京都市の下水は完備されていなかった)「夜中に子どもが熱を出した」などと、市議のところには支持者といわれる人からしょっちゅう電話がきます。
両親が不在のとき、対応するのは家族の役目です。両親がいなくても対応してくれる「医者や市役所の職員の電話番号」が自宅に張り出してあり、中学生の私が電話をかけるという毎日でした。公的機関が休んでいる大晦日や正月などは、急病、急患、汲み取り、ゴミ収集といった火急のクレームに追われて、休むヒマもありません。
正月の思い出といえば、近所からの差し入れのお節を食べたことくらいで、父の手伝いに忙しい母の手作りのお節を食べたという記憶もありません。留守番をしているときに建設会社の人がきて、菓子折りを置いて行くことが何度もありました。帰宅した父が包装を開くと、札束が……。顔色を変えた父親が返却のために出て行った姿を、何度も見ました。だいいち選挙の度に、車の上から土下座する両親など見たくもありません。
「土下座選挙」を見ることなく政界に出ていく二世、三世たち
それなのに、なぜ世襲議員が増えたのか。答えは簡単です。今の二世、三世は地元で育っていないのです。
父母は土日になると地元に帰り、土下座選挙などという屈辱的行為をしていると思いますが、それを見ることもなく、金持ちの東京の坊ちゃんは私立のいい中学・高校に通って、のうのうと成長し、そのまま国会議員になってしまいます。安倍晋三しかり、麻生太郎然り――。これでは地元のことなどわからず、政治家になっても周囲の金持ちの意見ばかり聞いて、格差社会を深刻にしてしまうのは当然でしょう。
時事通信の調査(2021年10月)では、「父母、義父母、祖父母のいずれかが国会議員、または三親等内の親族に国会議員がいて同一選挙区から出馬した候補」を「世襲」とすると、2021年の衆院選では131人が世襲となり、前回の128人から3人増えて、新人は24人だったといいます。全体に占める世襲候補の割合は、12.5%(前回比1.6ポイント増)。政党別に見ると、自民党が前回比1.2ポイント増の29.5%(99人)。次いで、立憲民主党の10.4%(25人)。公明党、日本維新の会、国民民主党の世襲候補はいずれも1人です。
この調査は、世襲を国会議員かその親族に限定していますが、両親か義父母が同じ地域で首長や県議を務めた場合も考慮すると、もっと数は増えるはずです。
江戸時代の藩の数はだいたい500以上といわれています。取り潰されたり、新たに創られたりしたものがあるので、正確な数字はわかりませんが、藩があれば世襲制の大名・小名がそれだけ存在します。これは、今の衆議院議員数の468人とほぼ変わりません。
失われた20年を取り戻し、かつての豊かな日本に戻るためには、こうした「お殿様政治家」を国会から追放し、国民の生活を第一に考える政治家を選ぶこと、つまり「第二の大政奉還」が必要だと思うのです。
野党が「世襲廃止論」を武器にできる二つの提案
とはいえ、「世襲制廃止だけでは野党政権など信用できない」という声も出てくるでしょう。そこで、新たなアイデアを二つ提案したいと思います。
一つめのアイデアは、野党間の主張の異同をわかりやすくする方法です。名付けて「国会レッドカード制度」。ネット上、そして各党の本部に大きなボードをつくり、自民党議員への評価を野党各党が書き出す仕組みをつくったらどうでしょうか。
問題を起こした議員、失言をした議員があまりに多すぎて、国民も忘れているし、その議員をどの党が問題にしたのかは、もっと忘れられています。しかし、野党の最終目標は政権奪取だという前提に立てば、国民に忘れさせてはいけないのではないか。そこで、ある自民党議員に異を唱える野党が一つでもあれば、その党はその議員の欄にイエローカードを付けるようにする。各野党が全員イエローカードを付けるなら、さすがに国民も忘れる確率が低くならないでしょうか。
野党や国民の共通認識が「イエローカード」でチェックされ、それが二度、三度と重なれば「レッドカード」となり、全野党が議論をして、議会でその政治家に辞任勧告をするか、大臣不信任案を突き付けるといった、わかりやすい指標となるでしょう。もちろん、そこに加わらない野党もいるかもしれませんが、それはそれで考えはわかります。
なにか起こる度に、あげ足とりのような演説や質問をするだけでは、国民が自民党への不信感を持ったまま、解散総選挙を迎えてしまいます。それに、レッドカード制度により野党が何を問題にしているかがはっきりすれば、選挙協力といっても「野合」感はなくなるのではないでしょうか。
私なら、このボードに公明党も参加するよう促す活動もしてほしいと思います。連立離脱をも示唆するほど仲が悪くなっている、自民党と公明党。それが本音なのか、実は単なるゴネ得なのかは、このボードに参加するかどうかがリトマス試験紙になります。
こうして、政治を少しでも国民に近づけたら、続いて野党全党で提案してほしい法案があります。それが、「国民提案制度」の導入です。
これは台湾やスイスなどで実際に行われている制度ですが、国民の一定数から提案があれば、必ず政府は回答しなければならないという仕組みです。たとえば台湾の場合、「公共政策オンライン参加プラットフォームJOIN」という仕組みが、オードリー・タン氏によって導入されました。市民が一人でも政府に提案ができて、その提案に5000人以上の賛同者がいれば、政府関連部門は書面による回答が義務付けられています。
さらにその中で重要と判断された問題については、タン氏が共同会議を招集し、ステークホルダー(利害関係者)が参加して、関連する政府部門と実行可能な改善案について議論することとなっています。そして、その議論は必ず全容を国民に公開しなければなりません。これだけ透明性を保てば、代議制民主主義制度の中で埋もれてしまう少数者の意見も尊重されることは、間違いないでしょう。
与野党の駆け引きで提出法案が消えたり増えたりする現状とは違い、これは一部の人間だけとはいえ、国民が本気で提案した法案である上に、国会対策で消してしまうことはできません。
たとえば、中国に抵抗した香港の女子大生、周庭(アグネス・チョウ)さんを日本に招き、国立大学の講師にしようという提案が国民から出たとしたら、日本人は相当熱狂するでしょう。中国との関係性もあり、日本政府は香港問題に及び腰ですが、香港の民主主義弾圧や若者たちの抵抗を応援したいと思っている国民は大勢いるはずです。
政治家も、いい加減な答弁で逃げるわけにはいきません。大学講師に招くだけなら亡命ではないし、中国政府は当然妨害するでしょうから、反中などと口だけで叫んでみせている右翼政治家の本気度もこれでわかります。
「そんな夢みたいなこと、日本で実現するかよ」と、若者たちはいうでしょう。しかしだからこそ、この程度のことは実現すべきではないでしょうか。私はもう68歳です。大学で4年間教えてきて、若者たちが政治に何の期待もしていないことが、よくわかりました。だからこそ、高齢者である私たちが道だけは残しておかないといけないと思います。
デモクラシーの行き詰まりを救うかもしれない「国民提案制度」
ちょっと偉そうなことをいわせてもらうと、「国民提案制度」は現代のデモクラシーの行き詰まりを救う方法とも考えられます。
本来、デモクラシーとは代議制民主主義を意味していました。いや、本当は代議制民主制度と訳すべきだったのです。デモクラシーを民主主義と翻訳した時点で、日本人は選挙や国会の意味を「正義」を決める制度と間違えてしまいました。デモクラシーはあくまでも利益の調整であり、数が多い方が税金を使わせてもらうといった制度にすぎません。
西欧の思想は、「実は正義など地上にない。いや、人それぞれに正義は存在し、全員が正義だと思うような正義などない」というのが出発点でした。たとえば、カール・シュミット著『議会主義と現代の大衆民主主義との対立』のこんな言葉は、今のSNS政治の登場を予見したものだといえます。
「議会主義の結果として、あらゆる公的事項が党派の妥協の産物となり、政治はエリートの仕事ではなく、かなり軽蔑された人々の軽蔑された事業になっている」「今日、現代大衆民主主義の発展の結果、議論と公開制にその精神的基礎を置くという代議制民主主義の原理への信念は失われた」
実際、SNSの登場は、代議制民主制度の根幹を変えつつあります。人々がSNSで考えを発信し、政治家もSNSを通じて発信する。SNSは、短い言葉であるだけにわかりやすく、しかも世の中に「絶対正義」があると思っている人が多いため、「代議制民主主義と比べて、より自分の正義を訴えることができる」とSNS好きは思っています。
しかしその結果、民主主義国家の政治はどうなったでしょうか。トランプ、エルドアン、安倍晋三――。SNSを多用する政治家によって国民の分断は深まり、より独裁色の強い政権が誕生する結果になってしまいました。
安倍晋三元首相の逸話としては、常に代理店が密着しており、パーティに出るときは出席名簿からSNSのフォロワーが多い人物を教えられ、必ずその人物と写真を撮っていたというのが実相です(実際、その代理店の証言を聞いたので、間違いないでしょう)。
SNS常用者から見れば、「今日も安倍さんは色々な人と会っている」、あるいは「自分が好感をもっている人物と近い」という印象を持ちます。また、そのような人々が見るのはたいてい自分が好きな人のSNSなので、当然安倍氏への親近感もわくでしょう。
野党よ、自民党を政権から叩き出せ「1年で日本の大掃除を」
こうしたやり方が悪いとはいえませんが、お金がないとこんなことはできません。国費を使える政権側が圧倒的に有利になってしまうのです。国民提案制度があれば、昨今の入管法や同性婚問題など、国民感情としてはまだ微妙な性質の問題についても、もう少し柔軟で、広い立場の議論が可能になったのではないでしょうか。
私は、岸田政権は憲法改正などを議論するより前に、代議制民主主義とそれに伴うメディアの崩壊にこそ、取りくむべきだと考えています。
そして、野党の皆様には失礼ですが、「今度の総選挙では1年だけ、野党に政権を任せてください。1年で日本の大掃除をします。そして、1年で再び解散して信を問います」といった低姿勢でいてほしいと思います。
今国民が望んでいるのは、とりあえずの国会の大掃除。そして、三権分立の確立だと考えます。
(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)
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