小林先生曰く。 「・・・自民党は何を改憲したがっているのか? が私には本当に理解できない。」 と。 そんなことは無いはずだ。 私にでさえ、はっきり分かる。 自民党が日本をどんな国にしようとしているのかを。 自民党は、日本を「戦争をする国」に戻そうとしている。 しかし、自民党が何故日本を「戦争をする国」に戻そうとしているのか?、その理由は私にも本当に理解できない。 普通に考えれば、これはもう「狂気の沙汰」でしかないからだ。 人間は権力を握ると、自分を見失い、「万能の神」をも超える存在との妄想に包まれる動物なのか。 その権力は、主権者たる国民から、一時「信託」されているに過ぎないことを理解していない。 自民党は、日本を「戦争をする国」に戻そうとし、その障壁となっている日本国憲法を変えようとしている。 そのことは、自民党の改憲草案を見れば、一目瞭然だ。 日本国憲法前文には、戦争についての反省が記されている。 「・・・、、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・」 自民党の憲法改正草案(平成24年)ではどうなっているか。 「・・・我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており・・・」 となる。 「戦争の反省をする」どころか、戦争の負の部分を隠し、戦争の荒廃から復活し、再び世界の大国となったと、自画自賛する始末だ。 まさに、テレビでやってた、「日本人凄い!」というやつだ。 「戦争を反省する」ということは、「戦争はやってはいけないこと」とすることと同義であり、日本を「戦争をする国」に戻そうと企む輩からすれば、反省することは、極めて都合が悪いことに違いない。 まるで、小学生並みの、分かり易い行動ではないか。 自民党の憲法改正草案の前文は、 「・・・日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、・・・和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。・・・」 と続く。 小林先生の言う、「自由主義国家群」とは、「自然権思想」が根底にある近代立憲主義憲法を持った国家群ということだろう。 そして日本も、「自然権思想」を是とし、日本国憲法を「自然権思想」に則り、国民が確定した。 小林先生曰く。 「その結果、日本は、今の自由で民主的で豊かな国に変わることができた。その入り口が日本国憲法である。」 とは、こういうことを言っていると、理解しなければならないのだろう。 この「自然権思想」から生まれる「国家」とは、 自然権を自分一人で守ることは不可能であるため、一定の権力を信託し、自然権保護を委ねるものが必要であり、そのために人々が社会契約を結ぶことで作ったものが「国家」だ。 従って、国家とは一義的に「人々の自然権を守る」ことを目的としている。 自民党の憲法改正草案では、国家とは、国民から一定の権力を「信託」されたとの認識は無く、権力者を国民を統治する立場に置き、国民には自助と共助を押し付ける。 そして注目すべき憲法9条。
驚くことに、自民党の憲法改正草案には、「第2章 戦争の放棄」が無い。 何処を探しても出てこない。 良く見ると、「第2章 安全保障」 となっていた。 日本を「戦争をする国」にしようと目論む輩からしたら、「第2章 戦争の放棄」は、在ってはならない文言に違いない。 そして、1項の「・・・武力の行使・・・永久にこれを放棄する。」との規定も、自民党案では、「・・・武力の行使・・・(これを)用いない。」 「永久に・・・」の規定も、いとも簡単に無かったように抹消されてしまう。 「永久に:::」と言うことは、未来永劫変えるなということだろうが、日本語が通じないのか。 そして、極めつけは、 「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない。」 と追加し、「自衛」を口実にすれば、現行9条を埒外に置き、結果として9条を「無きもの」にせんと狙う。 さらに続く、・・・もう呆れるしかないのだが、「軍隊」を持つと言う。 自民党の憲法改正草案には、 「・・・内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。・・・」 とある。 「国防軍」は「国際的に協調して行われる活動」を行う事ができると記載され、「集団的自衛権」を認める規定を潜り込ませ、 さらには、国防軍に「軍事審判所の設置」も明記され、軍人等の職務の遂行上の犯罪などが通常の裁判所ではなく軍事審判所で裁かれるようになる。 日本国憲法では、76条で、特別裁判所の設置を禁じている。 それは、全ての国民は、最高裁判所、そしてその下級裁判所に与えられた司法権の下で、法の下の平等を旨とした裁判以外で裁かれることは無い、ということだろう。 そこで適用されるのは、一般法以外は想定されていない。 裁判官も、検事も、弁護士も、ことごとく軍法を見たことすらないわけだから、当然と言えば当然と言えよう。 自民党の改憲案では、「軍事審判所」と目くらましの名称で、軍法会議を設置するものに他ならない。 そして、日本に軍制を制定し、軍法を規定し、「軍事審判所」という名の軍法会議を設け、戦時国際法の下で、「戦争」をすることを責務とした、「軍人」さんを大量生産する。 ウクライナ戦争の実態がすでに消耗戦の様相を呈して長いが、そのことは兵器のみならず人的損耗に対する補充が、勝敗を決することになる現実を目にし、日本を「戦争をする国」に戻そうと画策する輩にとっては、兵員補充のシステムの構築が喫緊の課題として持ち上がっているに違いない。 そして、自民党の改憲案9条の3には「国民と協力して」とあり改憲案前文と共に国民に「国防義務」を課している。 これは、「徴兵制」の入り口に過ぎない。 アメリカの情報公開により、戦争時に自衛隊が米軍の指揮下に入る事が日米合同委員会で合意されている事が判明しているが、 国防軍も同様の合意で実質的に米軍の下部組織となることは疑いようがないのだろう。 こうして自民党の改憲案を追っていくと、そのハードルの高さに、気が沈む思いになるのも理解できるというものだが、アメリカは待ってくれない。 「台湾有事」が目前に迫っていると囃し立てる。 そこで、「ナチスに倣え」となり、日本国憲法すべてを停止することが可能となるような「緊急事態条項」の追加が、俎上に上ってきたということではないのか。 国政選挙が出来ない事象が発生したとしても、国会議員の任期延長など、2院制にあっては、大した問題ではない。 そんな、些細な課題に目を奪われて、政府、自民党の本当の狙いを、国民の眼から隠すことに、協力すべきではない。 全ての行動は、 日本を「戦争をする国」に戻す。 そのことに繋がっている。 自民党が何故日本を「戦争をする国」に戻そうとしているのか?、その理由は私にも本当に理解できない。 ただ一つ、あるとすれば、 そのことは、全てが、「アメリカの都合によるものである」ということではないのか。 そうだとしたら、唯々諾々と従う日本政府、自民党は「売国奴」「国賊」でしかない。 日本国憲法前文には、 「・・・われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。・・・」 と記されている。 主権者である国民が、日本国憲法を確定するにあたり、大日本帝国憲法のように、人類普遍の原理に反するような「憲法」、それらに基づいて発せられていた「法令」及び「詔勅」を「排除した。」 「新しい国」の建設に障害となるもの、「国民の生存権、基本的人権を脅かすもの」、それらを「排除」したということだろう。 そして、今後も、「国民の生存権、基本的人権を脅かす」、そんなものは「排除する。」と。 ここで言う、「排除する」とは、自然権である「国民の生存権」を守るため「抵抗権」を行使すると言っていることになる。 詳しくは書かないが、 自民党の目論む「緊急事態条項」は、憲法で保障された「侵すことのできない永久の権利」を侵すことになる。 これこそ、排除の対象でしかない。 そのことは、 国家権力が暴走し、国民の生存権を脅かす存在になったとすれば、国家への権力の信託を解消し、われわれ国民が生まれながらにして持つ自然権(生存権)を自ら守るために、国民誰にも備わっている「抵抗権」の行使なのだから。 「・・・これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」 「人類普遍の原理」・・・人類が存続している間、例外なくあてはまる原理であり、言い換えれば、永久に変わることはない原理ということになる。 その人類普遍の原理に反する、自民党憲法改正案、そして、自民党の目論む「緊急事態条項」は、日本国憲法に従って、「排除」しなければならない。 そのことを、見過ごしたり、傍観したりすることも、すなわち日本国憲法に違反する行為と言えよう。
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