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NATOを利用して米国と露国を戦争させる道を閉じようとした議員の事務所が火事
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307280001/
2023.07.28 櫻井ジャーナル
国の内外で追い詰められているジョー・バイデン大統領とその側近たちが来年の選挙前、NATOを利用してロシアと直接的な軍事衝突に突入することを懸念しているケンタッキー州選出のランド・ポール上院議員は「2024年NDAA(S2226)」に修正案を提出、「北大西洋条約第5条は、アメリカが戦争に参加する前に議会が宣戦布告するという憲法上の要件に取って代わるものではない」ことを明確にしようとした。そのポール議員のケンタッキー州にあるオフィスが7月21日の早朝、炎に包まれた。
NATOは1949年4月、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクで創設された軍事同盟。NATOの初代事務総長でウィンストン・チャーチルの側近だったヘイスティング・ライオネル・イスメイによると、NATO創設の目的はソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえつけること。有体に言うならば、第2次世界大戦後のヨーロッパをアメリカとイギリスが支配する仕組みだ。
ヨーロッパを支配する上で重要な役割を果たしてきた秘密部隊のネットワークがNATOにはある。大戦中、西部戦線でドイツ軍と戦っていたレジスタンスに対抗するため、アメリカとイギリスの情報機関が編成したゲリラ戦部隊のジェドバラが秘密部隊ネットワークの源だ。
秘密部隊は全てのNATO加盟国に存在、それぞれ固有の名称がつけられているが、イタリアのグラディオが特に有名だ。レジスタンスの活動部隊だったイタリアやフランスではコミュニストの人気が高く、そうした状況を変える必要があるとアメリカやイギリスの情報機関は考え、活動に力を入れていた。
イタリアでは陸海空3軍にそれぞれ存在していた情報機関を統合するため、SIFAR(作戦状況情報部)が設置された。この機関は1959年までに民間人を対象にした情報収集工作を開始、64年には「ソロ作戦」と名付けられたクーデターを計画している。その計画にはバレリオ・ボルゲーゼや「右翼過激派」が参加、コミュニストに甘いと見られていたキリスト教民主党のアルド・モロ首相を暗殺する計画も含まれていた。
1964年からNATOの秘密部隊によるクーデター計画や「テロ」が目立つようになるが、その2年前の11月にアメリカ欧州軍総司令官に就任したライマン・レムニッツァーはジョン・F・ケネディ大統領から統合参謀本部議長の再任を拒否された人物。1963年1月にはNATOヨーロッパ連合軍最高司令官にもなっている。
その10カ月後にレムニッツァーの再任を拒否したケネディ大統領は暗殺され、副大統領から昇格した新大統領のリンドン・ジョンソンはベトナム戦争へのめり込んでいく。その節目になったトンキン湾事件が引き起こされたのは1964年8月のことである。
イタリアでは情報機関が関係した破壊活動が露見、1965年にSIFARはSIDへ組織替えになるが、この程度のことで情報機関の体質が変わることはなかった。1969年4月にはパドゥア大学とミラノの産業フェアで爆弾テロがあり、同じ年の12月にはミラノのフォンタナ広場にある国立農業銀行でも爆弾を炸裂して16名が死亡、約90名が負傷している。
1970年12月にイタリアの有力貴族であるバレリオ・ボルゲーゼを中心とするクーデターが試みられ、失敗した。クーデターの暗号名は「トラトラ」。爆弾テロに続いてクーデターが計画された理由のひとつは、1968年5月に実施された総選挙にある。この選挙で第1党になったのは39%の票を獲得したキリスト教民主党だが、第2党には27%を獲得したコミュニストが入ったのだ。社会党は15%で第3党にとどまった。
こうした中、コミュニストの入閣に前向きな姿勢を見せていたアルド・モロをアメリカ政府は警戒する。モロは1974年9月に外務大臣としてアメリカを訪問するが、そこでヘンリー・キッシンジャーから政策を変更しろと脅されたという。アメリカはモロをロッキードから賄賂を受け取った容疑で失脚させようとしたが、成功していない。(Claudio Celani, “Strategy of Tension Part 4,” EIR, April 30, 2004)
そのモロが1978年3月16にchに拉致される。モロの妻、エレオノーラによる議会の調査委員会における証言によると、キッシンジャーはモロの政治プランを諦めるように要求、さもないと代償を払わされることになると警告したという。
そうしたアメリカ側の意志を知った上でモロは「歴史的妥協案」に関する書類をスーツケースに入れて家を出た。1976年の選挙で34.4%を獲得したしたコミュニストからの入閣を認める決意をして国会へ向かったと言われている。
その途中、モロのリムジンが交差点に近づいた時に1台の外交官ナンバーをつけたフィアットが進路を妨害、リムジンは急停車する。フィアットから降りた2名と道路で待ちかまえていたアリタリア航空のパイロットの制服を着た4名が銃撃を開始、見事な手際で5名の護衛を殺害してしまい、モロは誘拐される。その際、モロと襲撃犯は無傷だった。モロの死体が発見されるのは5月9日のことである。(Daniele Ganser, "NATO's Secret Armies, Frank Cass, 2005)
こうした工作を実行したのはNATOの秘密部隊ネットワークであり、工作を指揮しているのはCIAとMI6だと考えられている。NATOとはそう言う組織だ。
このNATOを利用し、アメリカをロシアとの戦争へ引き摺り込もうとしている勢力が存在する。アメリカが参加してもロシアと中国に勝てるとは思えないが、アメリカがいなければ話にならない。
NATOの内部は分裂しているが、好戦的な国に暴走させてNATOを動かし、アメリカをロシアと戦争させようとしている勢力が存在する可能性が高い。ポール上院議員はそれを恐れている。
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