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ロシアや中国を侮り、自分たちは驕るアメリカの未来は暗い
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2023.06.16 櫻井ジャーナル
アメリカは自国で行われている野球のリーグ戦における優勝決定戦を「ワールド・シリーズ」と称している。また自国の略称を「US」とも表記する。アメリカ人にとって「世界」とはアメリカであり、アメリカは「我々」だということなのだろう。
その傲慢なアメリカだが、1970年代から「衰退」が言われるようになった。その衰退を誤魔化すために始められたのが新自由主義、つまり金融マジックだ。
1970年代にCIAはアフガニスタンでソ連をトラップにかける計画が始まる。その中心がズビグネフ・ブレジンスキー。ジミー・カーター大統領がブレジンスキーの考えた秘密工作を承認したのは1979年7月だが、その月の2日から5日にかけてエルサレムでアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとが「国際テロリズム」に関する会議を開いた。
イスラエルからは軍の情報機関で長官を務めた4名を含む多くの軍や情報機関の関係者が参加、アメリカからもジョージ・H・W・ブッシュ元CIA長官(後の大統領)やレイ・クライン元CIA副長官など情報機関の関係者が参加していた。そこから「テロの黒幕はソ連」というプロパガンダが始まる。
カール・バーンスタインによると、1982年6月7日にロナルド・レーガン米大統領とローマ教皇のヨハネ・パウロ2世はバチカンで50分間にわたって会談、ソ連圏の解体を早めるための秘密工作を実行することで合意した。バチカンを舞台にしたポーランド工作にはポーランド出身のズビグネフ・ブレジンスキーが重要な役割を果たしたとされている。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992)
この会談の3週間ほど前、レーガン大統領はNSDD 32を出し、ソ連を「無力化」するために経済的、外交的、そして秘密工作を使うことを承認している。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)
ポーランドでは1980年9月に反体制労組の「連帯」が創設された。この組織はアメリカの情報機関CIAの支援を受けていたが、その事実を労組側も隠していなかった。
NEDなどを経由してCIAの資金が流れ込んでいたほか、当時のポーランドでは入手が困難だったファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドへアメリカ側から密輸されたという。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992)
連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。(レフ・ワレサ著、筑紫哲也、水谷驍訳『ワレサ自伝』社会思想社、1988年)
工作資金を送る重要なルートとして、イタリアの大手金融機関であるアンブロシアーノ銀行、そしてバチカン銀行(IOR/宗教活動協会)も知られている。送金にはローマ教皇庁や西側の労働組合が持つ銀行口座も利用されていた。
しかし、こうした不正融資の実態が発覚、アンブロシアーノ銀行は倒産し、ロベルト・カルビ頭取は1980年5月に逮捕され、翌年の6月にロンドンのブラックフライアーズ橋で変死体として発見された。
バチカン銀行の不正融資で中心的な役割を果たしたのはシカゴ出身のポール・マルチンクス頭取。ローマ教皇パウロ6世(ジョバンニ・バティスタ・モンティニ)の側近として知られている。
パウロ6世はモンティニ時代からCIAと緊密な関係にあった。CIAでパウロ6世/モンティニと最も強く結びついていた人物はジェームズ・アングルトン。この人物は父親の代からアレン・ダレスの側近だ。
そのパウロ6世は1978年8月に死亡、アルビーノ・ルチャーニが新教皇に選ばれ、ヨハネ・パウロ1世を名乗った。若い頃から社会的な弱者に目を向けていた人物で、CIAとの関係はなかったと見られているが、1978年9月、つまり在位1カ月余りで急死してしまう。
そして登場してくるのがポーランド出身のカロル・ユゼフ・ボイティワだった。1978年10月に次の教皇となり、ヨハネ・パウロ2世と呼ばれるようになる。そしてポーランド工作に深く関与していく。
このヨハネ・パウロ2世は1981年5月に銃撃されている。引き金を引いたモハメト・アリ・アジャはトルコの右翼団体「灰色の狼」に所属していたが、この団体はトルコにおける「NATOの秘密部隊」の一部と言われている。この事件では3名のブルガリアが起訴されたが、1986年3月に無罪の判決が言い渡された。
1989年1月にはジョージ・H・W・ブッシュがアメリカ大統領に就任し、91年12月にソ連は消滅する。ブッシュたちはソ連を崩壊させるために「ハンマー作戦」を実行したと言われている。
1991年12月にソ連が消滅するとネオコンはアメリカが「唯一の超外国」になったと認識、92年2月にDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成。その時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。DPG草案はウォルフォウィッツが中心になって書き上げられた。そこでこの世界制覇計画は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
目的のひとつは新たなライバルの出現を防ぐことにあり、警戒する地域には旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジア、西南アジアが含まれる。ドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、「民主的な平和地域」を創設するともしている。
ネオコンは1992年2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プラン、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」が作成する。他国や庶民を無視して行動できると思い込んだのである。日本をこのドクトリンに従わせ、アメリカの戦争マシーンに組み込むため、ジョセイフ・ナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表した。
このドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACは2000年に「アメリカ国防の再構築」を発表、それに基づき、ジョージ・W・ブッシュ政権は軍事政策を作成している。
その政策が現実になるのは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてからだ。
CIAは2002年に対イラク工作を始めているが、その年の11月に中東全域のCIA支局長がロンドンのアメリカ大使館に集められ、IOG(イラク作戦グループ)から対イラク戦争は決定済みであり、嫌なら辞めろと脅されたという。そして2003年3月にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃した。(James Risen, “State of War,” Free Press, 2006)
イラク戦争はネオコンの思惑通りに進まず、泥沼化するが、まだアメリカが「唯一の超大国」だと信じていた。フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載された論文はそうした心情を表していると言えるだろう。この雑誌は外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物で、記事には支配層内部の雰囲気が影響している。
キアー・リーバーとダリル・プレスはその論文の中で、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるとしている。ロシアと中国は取るに足りない存在だと信じていたわけだ。
その後、アメリカは侵略戦争を続ける。リビア、ウクライナの体制も軍事的に倒されたが、シリアは倒されていない。ウクライナでは東部や南部の反クーデター派が抵抗、ロシア軍の支援を受けてキエフのクーデター体制やアメリカ/NATOを窮地に追い込んでいる。
COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動を利用、「ワクチン」というタグの付けられた遺伝子操作薬で人類を改造、さらに管理する計画が進められていると考える人もいる。
これもアメリカ/NATOが簡単にロシアや中国を倒せるという前提で成り立っているが、その前提が崩れている。アメリカ/NATOの権力者が今後も世界を支配できるなら自分たちが行ってきた犯罪的な行為を封印できるだろう。支配者の座から陥落した場合、資産や地位を失うだけでなく責任を問われることになる可能性が高い。
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