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日本のコロナ対策が迷走した原因は「国民の健康より国家の都合」な厚労省の体質にある どうする、どうなる「日本の医」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/323329
2023/05/23 日刊ゲンダイ
世界的にみて異様な厚労省の対応(加藤勝信厚労相)/(C)日刊ゲンダイ
なぜ、我が国のコロナ対応は迷走したのか。コロナ対策の主体は厚労省だ。その前身である厚生省は昭和13年に内務省から分離独立した。今回の迷走劇を考える上で、内務省を理解することは重要だ。
内務省は、征韓論を端緒とする明治6年の政変をきっかけに設立される。初代内務卿に就任した大久保利通は、内務省を通じた治安維持の強化をもくろんだといわれている。次官、警保局長、警視総監を「内務三役」と称したことなど、その象徴だ。
明治7年、明治政府は日本初の総合的医療・衛生制度である「医制」を公布する。中心となったのは、文部省医務局長や東京医学校(現在の東京大学医学部)の校長を務めた長与専斎だ。状況が変わったのは、翌8年に「医制」の所管が、文部省から内務省に移った時だ。明治19年には衛生局が設置されるが、警保局が所管した衛生警察行政の影響を受ける。
警保局は、大逆事件を機に、明治44年、思想警察である特別高等警察(特高)を設置、大正14年に制定された治安維持法を所管した部局だ。当時、警保畑の内務官僚は、衛生警察と特高をローテーションした。これが我が国の公衆衛生のひな型となる。
現在も影響は残っている。感染症法は、患者の検査や治療を受ける権利には言及せず、国家による強制隔離を認めている。基本的な枠組みは明治以来変わらない。
問題は感染症法だけではない。旅館業法も同様だ。同法では、ホテルに宿泊する際には、氏名と住所を記さなければならないと規定されている。その目的は伝染病の蔓延を防ぐことだが、交通機関や飲食店と旅館を区別して扱う合理的理由はない。平成7年のオウム事件で、偽名で宿泊した信者が逮捕されるなど、現在でも別件逮捕の口実に使われている。
厚労省の歴史を振り返れば、国民の健康より国家の都合を優先した事例は枚挙にいとまがない。厚生省が内務省から分離したのは、陸軍省の要請を受けてのもので、筆頭局は体力局だった。国民体力法を制定し、徴兵制度を推し進めた。
コロナ禍で、厚労省の医系技官や周囲の医師は、「日本の病院を守るため」や「保健所を逼迫させないため」などの理由で、国民が検査や医療を受ける権利を制限した。これは世界的には異様だ。
患者と国家の間で軋轢が生じれば、医師は患者の味方をしなければならない。これはギリシャ・ローマ時代以来のプロフェッショナルとしての責務だ。彼らが、こんなことを言って平気だったのは、国民の権利より国家の都合を優先する内務省以来の価値観が残り、そのことを感染症法などが法的に規定しているからだ。我が国の感染症対策は、国民主権で抜本的に見直さねばならない。
上昌広 医療ガバナンス研究所 理事長
1968年兵庫県生まれ。内科医。東京大学医学部卒。虎の門病院や国立がん研究センター中央病院で臨床研究に従事。2005年から16年まで東京大学医科学研究所で、先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究。16年から現職。
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