<■52行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 当時、霞ヶ関で下っ端として働いていた森永卓郎氏。その森永氏が、1985年のある事故を切っ掛けとして、日本側が【ガラッ】と変わってしまい、 米国側に全面服従するようになってしまったと話しています。当時、森永氏は霞ヶ関の中にいたので、その余りの変わり様、急激な変貌を肌で感じていたのだろうと思います。 航空機メーカーの修理ミスが原因とされましたが、諸々の検証や傍証によると、やはり123便墜落事故は、自□隊の誤射の疑いが濃厚ですね。 それを隠す為、誤魔化す為に、米国に大きな借りを作った…そして、全面服従するようになった、と。 考えてみれば、GHQが撤退した後〜80年代半ば迄の日本にも日米合同委員会がありました。東西冷戦時代だったにせよ、日本は日本独自の資本主義と民主主義を行っていた訳です。 ベルリンの壁の崩壊、旧ソ連の崩壊が起こり、いくら米国一強になり、米国の新たな世界戦略(1992年)で日本が米国の仮想敵国(米国の新仮想敵国は、日、独、中、露)になったとはいえ、プラザ合意後から今迄に起きた諸々のことは、余りにおかしすぎます。 日本自ら進んで、贄になっている様に見えます。 時代は、隠されていたものが暴かれる水瓶座に入りました。 いくら隠しても、いづれ真相はバレます。 事故当時、真相を隠さず、直ぐに救助に向かっていれば…その後の日本経済や日本の諸々は、今とは違っていたかと思うと、中曽根元首相の残酷な短慮が悔やまれてなりません。 【討論】若者vs高齢者−日本経済の未来は地獄図か?[桜R5/10/23] 1:24:10〜 https://m.youtube.com/watch?v=rI9SqreWSG8&pp=ygUS44OB44Oj44Oz44ON44Or5qGc (1:24:10頃からの書き起こし) 正に仰る通りでね。 私、1984年〜86年まで経済企画庁で官僚の仕事をしていたんですよ。 何をしていたかというと、もうほぼ毎日、午前2時か3時まで残って、…で、経済企画庁って色んな役所の官僚が集まって来るんですね…、ズーッと天下国家を議論してたんです。ズーッと。 私あの、1人でタクシー代300万使って局の予算がバンクするという事件まで起こしたんですけれども、 深夜だからね。 そうそう、もう電車が無くなっちゃうんで。
でも、それが80年代後半から、【ガラッ】と変わったんですよ。 施さんが仰った、グローバル資本の言いなり?に変わったんですね。 で、私はその切っ掛けは… その〜ちょっと具体的な中身まで細かく話すと、キチンと整理しないといけないので、今日の時間じゃ言えないんですけれど、、、 私は、【1985年の8月12日の日本航空123便の墜落事件】が原因だと、私は思っています。 あそこで、日本政府は、米国に大きな借りを作っちゃって、そのあと、全面服従をせざるを得なくなったんだろうなって…。 で、政策見てると、正に、その通りなんです。 私、例えば、日米構造協議とかで、その時、私はシンクタンクにいたんですけれども、私は日本側の使いパシリをやっていたんですよ。 で、米国側の使いパシリ、何の権限も無い兵隊がいるんですけれども、話していて、彼らと、 『何で日本は、何にも反論せずに、全面的に米国に服従するするんだ? お前ら、少しは抵抗してみたらどうなんだ?』って言われて、 『そうだよ、俺もそう思うんだけど、全部言いなりなんだよ』って言って、年次改革要望書から構造協議から全部が進んで行くんです。 あれ、仕組み上は、日本も米国に要求出来るとなっていたんですけれども、日本が要求したもので実現したものは、恐らく1個も無いと思います。
|