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健康法的に深呼吸に拘って一年弱、それ以上の何かがあると感じて半年になるが、高次かどうかは分からないが本来のちゃらんぽらんなサボリーマンの自分と違う自分が肺だか心臓の辺りにいる気がするが、彼曰く真我だったり魂だったりするらしいが、日常生活で60年培ってきた自分の信念よりもそちらを優先して取り組むと何事もスムーズと言うか、他人事みたいで気楽と言うか、自分の判断ではないから喜怒哀楽が生じないと言うか、生老病死も他人事みたいで怒りや悲しみや恐怖を感じず、自分や周囲の死もそうだが、ガザ虐殺も以前だったら発狂していたと思うが、諦めでなく冷静に受け止めている自分にビックリするが、その理由も分かっており、死後は普通にある、但し宗教の比喩的な表現と違い体積も容積もない状態で期待を込めて意識だけあるエネルギー状態、従って宇宙全体のように感じるのも地球に根を張っているように感じるのも自由、時間も人生八十年のように区切りはなく、永遠と解釈するのも自由、仏教的な輪廻転生的に次の現場があると考えるのも自由という感じで、まだ定見はないが、言えるのは今の人生に拘り過ぎる必要はないという事で、それで自分や周囲やガザでの死に以前のような死生観で怒りや悲しみや恐怖を感じなくなってしまった訳で、事実はどうか分からないが、京大卒の坊主ではないが、死後があると考えて生きるのと無いとかどうなるのだろうと不安に思いながら生きるのは雲泥の差で、故人や看取ったペットに対する考えもガラッと変わり、乱世を生き延びるのに強靭な精神力が必要と始めた深呼吸だが、初代三平ではないが、こんなに気楽な感じで過ごせてどうもすみませんという感じである。
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