<▽36行くらい> 「在日Koreanの渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」 (記事資料昭和34年7月11日/昭和35年2月外務省発表集第10号より抜粋)(中略) この手のお役所の文章で、「したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているようなKoreanは犯罪者を除き1名もない」 「1名もない」という強い書き方をすることは、あまり例がありません。 「はぐれもの」となったKoreanたちは、更にいっそう過激な行動に走りました。 幼子を連れた若く美しい日本人のご夫人が、白昼の往来の人々が見ている前でまる裸にされ、彼ら不逞Koreanたちによって輪姦されたうえ、最後にはナイフで鼻を削がれるという事件までありました。 昭和21(1946)年には、「首相官邸暴動事件」が起こりました。 約2000人の不逞在日Koreanが「戦勝国民」の権利を謳って首相官邸に乱入し、警官隊や米軍憲兵隊と戦闘を行ったのです。 昭和23(1948)年には同じく「戦勝国民」の地位に酔ったKorean3万人が一斉蜂起し、様々な破壊行動を行い、米軍憲兵隊(MP:ミリタリーポリス)の指揮下で鎮圧され、約1000人の逮捕者が出ました。 大阪と神戸では府県庁を襲撃して、知事や役人に暴力を行った上で監禁しました。 この事件でGHQは緊急事態命令を発し、累計2000名におよぶKoreanを逮捕しています。 昭和26(1951)年、滋賀県では「日野事件」が勃発しました。 Korea戦争の戦禍から逃亡してきたKorean50名が武装集団となり、警察署を襲撃したのです。 昭和27(1952)年の「吹田事件」では、Korea戦争の開戦をお祝いしていた「在日Korea統一戦線」の学生達およそ1100名が「革命思想」をもとに興奮し、警察や街の工場施設を襲撃した上で拳銃を奪って逃走しました。この事件では113名が逮捕されています。 昭和29(1954)年に起きた第二の神戸事件では、900名の在日Koreanが区役所や税務署を襲撃して破壊し、警官隊と戦闘を繰り広げ、188名の逮捕者が出ました。 このようにして数々の犯罪を繰り返し、米国の占領中に発生したKorean犯罪を米軍が統計したところ、昭和22年から昭和25年までの、わずか3年間のKoreanの犯罪者検挙数は、 殺人・強盗 4656件 レイプ 224件 放火 57件 傷害 17,552件 窃盗 44,494件 です。この他、集団での蜂起ではないKorean個人の犯罪は、ここに表れた数字の千倍はあったであろうとも言われています。
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