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元記事http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/2057756.html
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「はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする」
(早く帰って来てください。早く帰って来てください。一生のお願いです。)
野口シカが一九一二(明治四十五)年、米国で感染症の研究にいそしむ息子の英世に宛てた手紙の一節である。私は小学校の修学旅行で福島県猪苗代町にある野口英世記念館を訪れたとき、この手紙の前で立ち尽くした。子供なりに考えるところがあったのだろう。
二〇〇〇年代に入り、私は故西部邁(にしべ・すすむ)教授を師と仰いでいた時期がある。塾が終わると新宿二丁目のバーに行くのが習わしだ。師匠がおもむろに切り出した。
「野口英世の母親って、どうしようもないよなあ。何だ、あの無能な手紙は。息子がやっている重大さがさっぱり分かってない」
言いたいことは分かるが、私は複雑な気持ちになった。私も重要なことをしているときに母親から自分の都合で「やめなさい」と妨害され、嫌な気持ちになった経験は幾度もある。しかし、師匠のこの発言に同意できなかったのは、直感的に野口英世が余計なことをした近代人の一人にしか映らなかったからである。振り返れば、私は社会の「進歩」を否定する記事しか書いた覚えがない。
野口の業績は今ではほとんど否定されている。「黄熱病の病原体を分離した」と語られるが、彼が実験していたのは、ワイル病の検体だったことが判明している。事実、自身が「開発した」ワクチンを打ちながら、ガーナで黄熱病にかかって客死している。何しろ、「ウイルス」は当時の光学顕微鏡では見えなかった。
そもそも、ウイルス感染はあるのか? 『本当の病気の原因〜あなたが病気について知っていると思う全てが誤りの理由』(Dawn Lester and David Parker, “What Really Makes You Ill – Why everything you thought you knew about disease is wrong.”未邦訳)は、「『ウイルス』が病原体だとの主張を支持する『証拠』を提供する実在の論文は一つもない」と告発する。そして、生物学者で国立科学アカデミーの会員、リン・マーギュリス博士の次の言葉を引用する。
「それらは生きている細胞の外側では何もしないので、生きられない。ウイルスは自己増殖する要件を欠いているため、生細胞の代謝作用を必要とする。代謝作用、つまり自己を維持する絶え間ない化学作用は、生命に不可欠な特徴である。ウイルスはこれを欠く」
医学博士の崎谷博征(さきたに・ひろゆき)氏はウイルスの存在自体を疑問視する。バクテリア(細菌)ではないフィルターを通過する微小物質を「ウイルス」と呼ぶにすぎず、二〇世紀に入り電子顕微鏡で可視化されたはずにもかかわらず、血液中にウイルスの姿を誰も捉えていない。電子顕微鏡で見ているのは、細胞の破片やエクソソーム(細胞外小胞)にすぎないと指摘する。
彼によれば、コッホの四原則を満たしたウイルスはない。『ウイルスは存在しない!』(ホリスティックライブラリー)の中で、次のように記す。
「『病原体仮説(germ theory)』が唱えられ始めたのは、ほんの一五〇年前です。それにも関わらず、専門家を始めとして一般の治療家や代替医療を提供する人たちも、この歴史の浅い思想にすぎない仮説に深く洗脳されています」
ロックフェラー財団によって、日本におけるこの「洗脳」に利用されたのが、野口と解す。来日したジョンズ・ホプキンス大学のサイモン・フレクスナー教授に社交辞令でおだてられ、厚かましくも渡米。フレクスナーが所長を務めるロックフェラー医学研究所で研究の手伝いをした。同研究所はスタンダードオイルの創設者、ジョン・D・ロックフェラーが石油を精製することで作られる医薬品を使い、米国の医療を完全支配するために設立された。
金に飽かせて米国医師会を乗っ取り、自らの開発した医薬品を医師会誌で宣伝。「ウイルス学」をでっち上げ、ポリオや天然痘、おたふく風邪、はしか、黄熱病などを引き起こすとの説を流布。それら「伝染病」を予防するワクチンを発見したと主張した。
ロックフェラー研究所と、犯罪的なポリオ詐欺「毒性学 vs ウイルス学」(董狐之筆様より)
ロックフェラー大学の図書館に野口の胸像があるのは、この宣伝に使われた証しだろう。一方で、『生物と無生物のあいだ』福岡伸一(講談社現代新書、二〇〇七)によれば、野口の主張は間違ったものとして同大学でも全く顧みられていないという。
野口の実際の人となりが教科書やNHKで語られるものと正反対であることは、『遠き落日』渡辺淳一(角川書店、一九七九)の広まりで多くの人に知られるようになった。フレクスナーの世辞を真に受けた彼は、渡航資金になるはずだった婚約者の実家から得た持参金を遊郭で一晩で使い果たす。会津若松で書生として住み込ませてくれた血脇守之助が妻の着物をかたに高利貸しから借金までして資金を調達してくれ、米国にたどり着く。
米国で出会った妻も、現地に置き、帰国時も実家に一切話していない。借金と裏切りに満ちた彼の肖像を千円札に刻んだのは、日本人をだましてワクチンを打ち続けたい国際カルトの黒冗談なのだろう。プロビデンスの目を思わせる右目をした野口の頭には、左右からピストルが突き付けられている。
西部翁がシカを批判したとき、私はロックフェラー医療の闇や野口の素性を知っていたわけではない。ただ、新しいことは疑ってかかるのが賢明であると、当然に考えていた。保守思想家のエドモンド・バークによれば、常識とはサーカスの綱渡り師が持つ平行棒のようなものである。そして、彼は次の有名な言葉を残している。
「改革によって得られるものは不確実であるが、改革によって失うものは確実である」
メディアが宣伝しなければ実現されないようなものは、基本的に間違っていると考える。 日本にエレキギターを広めた寺内タケシは、私が高校生のときに講演に来て、エレキバンドを広めるために地域や学校と苦闘をした体験談を誇らしげに話した。高校時代に軽音楽部を創ろうとしたが認められず、先生を殴って退学になったと言う人にも会ったことがある。NHKの朝ドラにはいつも、伝統的秩序にあらがい自立して生きようとする女性主人公が魅力的に描かれている。
しかし、うまくいかないのは本人が間違っているからではないか。ロックは国際カルトがブードゥー教のリズムと悪魔の旋律を使って西側大衆を黒ミサに誘い込むために創ったもの。女性の自立は、ニック・ロックフェラーがアーロン・ルッソに漏らしたように、人類の残り半分に課税し少子化を促すためと認識する。
直感は大抵正しい。賢明な人間ならLGBT法案も、仮想通貨での賃金支払いも、マイクロチップの人体埋め込みも、直感的に拒絶するはずである。
メディアがどんなに野口を英雄として描こうとも、国民全員にワクチンを打とうとすることに私はぞっとする。いや、メディアが誰かを持ち上げ、必要性を訴えるほど、関わりたくないと思うのが本当の常識人ではないか。
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