<■245行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 『ビルダーバーグ倶楽部-世界を支配する陰のグローバル政府 ダニエル・エスチューリン(著), 山田 郁夫(翻訳)』よりCFRに取り込まれた米国政府 一九四七年、米国国家安全保障法に基づき、国家軍政省(一九四九年に国防総省に改称)が発足した。以来、就任した国防長官のうち一四人がCFRと三極委員会に属していた。 筆者にはFBIの秘密捜査にかかわった友人がいる。 報復の恐れがあるので氏名は明かせないが、こんなふうに説明してくれた。「クリントン大統領は三名の国防長官を指名している。 ウィリアム・コーエン、ウィリアム・ペリー、レス・アスピンの三人だ。 国際安全保障問題担当の次官、リン・エサリッジ・デービスは、これら三長官のもとで心理作戦を統括していた。 彼には米国情報畑の人脈があり、七〇から九〇年代に誕生した各政権の一部とつながっていた。 デービスとペリー、それにクリントンは三極委員会のメンバーだ。 そして、デービス、コーエン、アスピン、クリントンの四人がCFRメンバーで、デービスは、デービッド・ロックフェラーのチェース・マンハッタン銀行で副頭取を務めている」。ちなみに、このデービスは一九七四年に 『The Cold War Begins:Soviet-American Conflict over Eastern Europe』と題する本を出した。そこには、「もっとも重要な方策は『志願兵』 による軍隊を国連指揮下に置くことだろう」という恐ろしい一文がある。先のFBT関係の友人は「さて、このリン・エサリッジ・デービスの忠誠はどこに向けられているんだろうな」と、うるさいほどいぶかった。 男女を問わず、誠実で愛国心にあふれた人たちは米国の諜世界にごまんといる。「新たな世界秩序」の脅威との戦いに手を貸そうとする人たちがいても不思議はないのだが、そこに何か不審な点でもあるというのだろうか。 一九四〇年以降、代々の米国国務長官は (サウスカロライナ州知事だったジェームス・バーンズを除き)全員CFRとその下位組織の三極委員会のいずれか一方または双方に属していた。また、同じく一九四〇年以降の国防長官と国防総省下の三軍の長官は、いずれもCFRメンバーだった。そして、米国の過去八〇年の歴史を振り返って見ると、国家安全保障と外交政策に関して助言を呈する重要な立場にあった人物は事実上、その全員がCFRのメンバーだったのだ。 CFRメンバーの大統領候補者(政党選出の正式な大統領候補者) ジョン・W・デービス 一九二四年 ハーバート・フーバー 一九二八、三年 ウェンデル・ウィルキー 一九四〇年 トーマス・デューイ 一九四四、四八年 アドレー・スティーブンソン 一九五二、五六年 ドゥワイト・アイゼンハワー 一九五二、五六年 ジョン・F・ケネディ 一九六〇年 リチャード・ニクソン 一九六〇、六八、七二年 ヒューバート・ハンフリー 一九六八年 ジョージ・マクガバン 一九七二年 ジェラルド・フォード 一九七六年 ジミー・カーター 一九七六、八〇年 ジョン・アンダーソン 一九八〇年 ジョージ・ブッシュ 一九八〇、八八、 九二年 ハワード・ベイカー 一九八〇年 ルービン・アスキュー 一九八四年 ジョン・グレン 一九八四年 アラン・クランストン 一九八四年 ウォルター・モンデール 一九八四年 マイケル・デュカキス 一九八八年 ビル・クリントン 一九九二、九六年 CFRメンバーのCIA長官 リチャード・ヘルムズ ジョンソン政権、一九六六〜七三年 ジェームズ・R・シュレジンガー ニクソン政権、 一九七三年 ウィリアム・E・コリー ニクソン政権、一九七三~七六年 ジョージ・ブッシュ フォード政権、一九七六〜七七年 スタンフィールド・ターナー カーター政権、一九七七~八一年 ウィリアム・J・ケイシー レーガン政権、一九八一~八七年 ウィリアム・H・ウェブスター レーガン政権、一九八七〜九一年 『ビルダーバーグ倶楽部 ダニエル・エスチューリン(著), 山田 郁夫(翻訳)』CFRメンバーの大統領候補者(政党選出の正式な大統領候補者)、CFRメンバーのCIA長官 ロバート・M・ゲイツ ブッシュ政権、一九九一~九三年 R・ジェームズ・ウーズリー 一九九三年~九五年 ジョン・ドイチェ 一九九五~九六年 ジョージ・テネット 一九九七~二〇〇四年 大統領の委任による民間人の公職就任 デービッド・ロックフェラー ウィリアム・ブッチャー チェース・マンハッタン銀行頭取 ソーントン・ブラッドショー アトランティック・リッチフィールド社長 ジョン・マッキンレー テキサコ社長 ルービン・メトラー TRW社長 ジョン・ホワイトヘッド ゴールドマンサックス マリーナ・N・ホワイトマン GMコーポレーション CFRメンバーの国防長官 マッケルロイ 一九五七~五九年 マクナマラ 一九六一~六八年 レアード 一九六九〜七三年 リチャードソン 一九七三年 ラムズフェルド 一九七三~七七年 ブラウン 一九七七年 キャスパー・ワインバーガー 一九八一~八七年 リチャード・チェイニー 一九八七~八九年 フランク・C・カールッチ 一九八九~九一年 レス・アスピン 一九九三~九四年 ウィリアム・ペリー 一九九四~九七年 ウィリアム・コーエン 一九九七~二〇〇一年 ロナルド・ラムズフェルド 二〇〇一年~ 統合参謀本部内の軍関係者 CFRメンバーの秘密リスト (注記 以下の氏名は順不動に記載。 一般に知られているように、統合参謀本部に勤務する将官と佐官級の士官はいずれも戦争経験が豊富な人材であり、大統領はその助言に基づいて戦争方針の決定を下す。 彼らがビルダーバーグの下位組織、恐るべきCFRに取り込まれ、その統制下にあることを読者は承知しているのだろうか) デービッド・ジョーンズ大将 トール・ハンソン中将 ポール・コールマン中将 R・C・ボーマン少将 F・ブラウン准将 W・クラーク中佐 ラルフ・クロスビー大佐 クロウ大将 P・ドーキンス大佐 W・ハウザー大佐 B・ホスマー大佐 R・キミット少佐 F・クロッツ大佐 W・ノールトン大将 J・リー中将 Tルプター大佐 D・ミード大佐 ジャック・メリット少将 E・メイヤー大将 E・オドム大佐 L・オルビー大佐 K・オズボーン大佐 J・パストゥエイ少将 P・A・プティニャーノ大佐 E・L・ローニー中将 ゲイリー・シック大佐 ・シーガル少将 ダウィット・スミス少将 ペリー・スミス准将 W・テーラー大佐 N・J・トンプソン少将 C・A・H・トゥロスト少将 S・ターナー大将 J・ウェルチ少将 米国の財務長官は大統領によって指名され、経済と金融にかかわる政策の助言責任者となる。以下にCFRメンバーの財務長官を挙げる。
ロバート・B・アンダーソン アイゼンハワー政権 ダグラス・ディリオン ケネディおよびジョンソン政権 ヘンリー・ハミル・ファウラー ジョンソン政権 デービッド・M・ケネディおよびジョージ・P・シュルツ ニクソン政権 ウィリアム・エドワード・サイモン ニクソンおよびフォード政権 ミカエル・ブルメンソール カーター政権 ウィリアム・ミラー カーター政権 ジェームズ・A・ベイカー三世 レーガン政権 ニコラス・F・ブラディ レーガンおよびブッシュ(父)政権 ロイド・M・ベンツェン クリントン政権 ロバート・E・ルービン クリントン政権 ポール・H・オニール ブッシュ政権 ジョン・W・スノー ブッシュ政権 米国の財務長官は国家安全保障会議で得られる極秘情報をきわめて重視する。 『トゥルー・デモクラシー』誌二〇〇一年夏季号において大学助教授兼研究員で行動学者の、リチャード・ボイラン博士は、こうした情報によって財務省は「国家安全保障の目標達成、米国の望む国際世論の環境づくり」に寄与することができるのだと述べている。 米国でも一流の調査ジャーナリストで、今は亡きゲイリー・アレンの国際的なベストセラー『The Rockefeller File』 には、 こう書かれた一文が載っている。「ロックフェラー一味は米国財務省を、チェース・マンハッタン銀行の事実上の一支店にしてしまった」 米国の最高裁判所の判事は全員、CFR会長または「特殊グループ」や「秘密チーム」として活動する一〇〇人以上のCFRメンバーの影響下にある大統領によって指名される(最高裁判所の判事に欠員が出ると、時の大統領が代わりの判事を指名する。 普通に考えれば、指名される判事候補は、政治的にも宗教上も、指名した大統領の考え方に近い信条の持ち主となる。ところがここにも、一般市民が聞けば驚くようなことがある。 判事候補を選ぶのは、明らかに共和党あるいは民主党の大統領なのだが、判事就任には議会の承認が必要となる。さてそこで、こう言ったら米国の市民はどう反応するだろう。 実際に判事候補を決めるのは時の大統領ではなく、大統領はただ誰にせよと指示されるだけだ。 そして、最高裁判所の判事、つまりは個人の権利の最後の守護者を最終的に誰にするかの決定は、CFRの利益をにらんで下される。米国市民はそれでもなお、米国の司法制度が信じられるのだろうか)。
CFR統制下の大統領府に選ばれた判事が行うのは、CFRのメンバーが世論として世界に広めようとする考え方を、最高裁の判断として示すことだ。例えば、ロー対ウエイド判決では、女性の妊娠中絶の権利を合憲とする重大な判断が示された。 この裁判の審理を行った判事九名の任命年とその時のCFR大統領は以下の通り。
バーガー 一九六九年、ニクソン大統領 ダグラス 一九三九年、ルーズベルト大統領 ブレナン 一九五六年、アイゼンハワー大統領 スチュワート 一九五八年、アイゼンハワー大統領 ホワイト 一九六二年、ケネディ大統領 マーシャル 一九六七年、ジョンソン大統領 ブラックマン 一九七〇年、ニクソン大統領 パウエル 一九七一年、ニクソン大統領 レンクイスト 一九七一年、ニクソン大統領 ロー対ウエイド裁判の判例集ページ番号 410 U.S. 113' 93 S. Ct. 705' 35 L. Ed.2d 143 (1973) (CFR統制下の大統領府に選ばれた判事が行なうのは、CFRのメンバーが世論として世界に広めようとする考え方を、最高裁の判断をとして示すことだ。例えば、ロー対ウエイド判決では、助成の妊娠中絶の権利を合憲 北アメリカ、西欧、日本で構成される三極委員会 三極委員会発足後、一年半の間に同委員会の見解を表した『トライアングル・ベーパーズ』(三極委員会のトレード・マークになった報告書。委員会の広報文書あるいは一般社会の風潮をさぐる基準書として、同委員会の課題解決に重要な役割を果たしている)が六冊刊行された。このうち一九七三年一〇月の東京会議から二冊、翌一九七四年六月のブリュッセル会議から三冊、同年一二月のワシントンDC会議から一冊が、それぞれ生まれた。 『The Rockefeller File』 で、 著者のゲイリー・アレンはこう書いている。「『トライアングル・ペーパーズ』に何かが兆候として表れているとすれば、それはおそらく、世界経済の統制を狙った四つの大きな動きだろう。第一は、 通貨システムの改編」(目標は達成された。 ビルダーバーグとCFRと三極委員会によって、世界に三つの地域経済圏が生まれた。 EC圏、アメリカ、そしてアジア圏の通貨同盟は現在構築中) 「第二は、持たざる国々の根本的な改革」(目標は達成された。 ロックフェラー・アンド・カンパニーは、数十億ドル相当の米国テクノロジーを旧ソ連共産圏や中国に供与し、将来のグローバル政府を巻き込む独占市場の基盤を整えた) 「第三は、共産諸国との貿易促進」(中国およびロシアとの緊張緩和により、目標達成) 「第四は、エネルギー危機の演出による国際支配の拡大」 (目標達成。 一九七三年以降の石油危機の発生、環境保護運動、 イラク戦争などによって、現在も継続中) 三極委員会(もっぱらデービッド・ロックフェラーが夢見る世界秩序、思想統一、自由国際主義を目指す)は、世界の重要な貿易地域で有力な経済地域、すなわち北アメリカ、日本、西欧の三つの地域で構成される。委員の数は常時三二五名で「任期」は三年となっている。 ホリー・スクラーはその著書 『Trilateralism: The Trilateral Commission and Elite Planning for World Management』 で、こう述べている。「彼らの主目的は、一触即発の世界で、富裕層に西洋資本主義の利権を保護する措置をとらせるよう、これら三大地域の地球規模での相互依存を管理することだ。つまりは、保護主義やナショナリズムなど、指導層同士の争いにつながる動きを抑えることだろう。それによって、経済的な圧力は横にではなく、下方に向けられることになる」。米国連邦準備制度理事会(FRB)の元議長で三極委員会委員のポール・ボルカーはさらに明確に「米国人の生活水準は落とす必要がある」と表現した。 このボルカーは、ロックフェラーのチェース・マンハッタン銀行の出身者だ。 三極委員会の構想は、一九七二年春、ベルギーのノッケにおけるビルダーバーグ会議で、ロックフェラーによって初めて紹介された。きっかけになったのは、コロンビア大学のズビグニュー・ブレジンスキー教授の 『Between Two Ages: America's Role in the Technetronic Era』 だった。そこには、ロックフェラー自身の強い思い、つまり「どの国も、国民、政府、経済が多国籍企業および銀行の要求を満たさなければならない」との見解が示されていたのだ。
その二カ月後の一九七二年七月、ビルダーバーグのメンバーでCFR会長のデービッド・ロックフェラーは、ニューヨーク郊外のポカンティコ・ヒルズにある屋敷を、三極委員会初の組織会合の本部用として提供した (三極委員会の初回公式会合は一九七三年一〇月二一~二三日に東京で開催された)。 三極委員会の表向きの目的は当初から、三極地域の「北アメリカ、西欧、日本のそれぞれの支配層の間に、永続的な協力関係を構築すること」にあった。その理由は、三極委員会を仕切る知恵者によると「ほとんどの国の国民や指導者らは、もはや存在しない観念上の世界―国々に分かれた世界 に住み続けようとするため、(中略)グローバルな視点で(中略) 考えるのが難しい(省略)」からだ。ビルダーバーグの下位組織に位置づけられる三極委員会としては、自らこう言わざるをえなかった。「一九七〇年代初頭、三極委員会の設立メンバーは、相互依存関係の深まりをひしひしと感じていた。今、それはグローバリゼーションの高まりとなっている。三極地域の国々には思想と指導権の共有化が求められる。その必要性は低下するものではなく、ますます高まる。そして、これら諸国が国際主要機関とともに、より広範な世界機構のとりまとめ役であることに変わりはない」(傍点は筆者による) 米国では、次のような人々によって三極委員会が構成されている。 歴代大統領、大使、国務長官、投資家、国際金融家、 財団理事、シンクタンク経営者、ロビー活動専門の弁護士、NATOおよび国防総省の軍幹部、財界の富豪、労働組合幹部、メディア界の大物、大学総長および有力教授、上下両院から選ばれた議員、成功した企業家。 ホリー・スクラーはこうも言っている。 「構成要素となっている労働界は、一般大衆間に見られる孤立主義の傾向を制御し、三極委員会と一般社会との距離を縮める役割の一端を担っている」。ビルダーバーグと三極委員会との違いは、NATO加盟国の取り扱いにある。歴史のはるかに長いビルダーバーグはこれまで、参加国を西欧諸国、米国、カナダに限ってきた。しかし、EUおよびNATO加盟国が増加する現在、旧ワルシャワ機構諸国代表者も受け入れつつある。 一九九八年、三極委員会の設立二五周年を記念する晩餐会の席上、ヘンリー・キッシンジャーは、三極委員会が立ち上がるまでの経緯を、次のように披露した。「一九七三年、私が国務長官の職にあったとき、デービッド・ロックフェラーが私の執務室にやってきて、君には手助けが必要だろうと言ったのです。正直なところ、そのとき私には彼の考えがよくわかりませんでした。彼の提案は、将来構想を練るために米国、欧州、日本から人を選んでグループを組織する、というものでした。で、私はこうたずねました。『デービッド、そのグループを預かるのは誰なんだ』。答えは、ズビッグ・ブレジンスキーでした。それで、私はロックフェラーの意図を了解しました。彼は、重大な何かをつかんでいました。そして、私自身が考えても、実際にそうするニーズがあったのです」(傍点は筆者による) ところが、デービッド・ロックフェラーの回想録では、三極委員会の主要目的が語られていない(それとは別に、もう一つ明らかな目的があったが、キッシンジャーは、前述の晩餐会スピーチで言及しなかった。それは、CFRに代わる新たな世界機構を生みだすことだった。CFRはベトナム戦争をめぐって内部分裂を起こし、極度に弱体化していた)。ウィル・パニオンが『ネクサス』誌に書いた記事、「ロックフェラー国際主義」によれば、三極委員会の目的の一つは「米国指導層の分裂につけこんで自由国際主義計画を拒んでいたニクソン政権を統制することだ。 そして、先進工業国の結束を促進し、第三勢力の諸国にますます牛耳られる国際連合に一時的に取って代わる勢力とする。 先進工業諸国が団結すれば、ロックフェラーの最終目的『政治および経済構造のグローバルな統合』は果たされる」 ブレジンスキー(ポーランド生まれのユダヤ人) のアメリカの世界戦略における日本観(「ウォー ル街の国際銀行家と軍産複合体」の利益)
|