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これから責任追及が激しくなるし、それをかわす新たな悪巧みも激しくなるしで、世の中が騒然としたり殺伐とする事が予想されるが、そんな中で冷静でいるのは生半可の精神力では無理で、死生観をしっかり持つ者が多数を占める事が望まれるが、それを坊主や神主や神父といった宗教サラリーマンに期待しても無駄で、我々が宗教ビジネスのプロ以上の宗教観を持つ事が求められる訳だが、ひょんな縁から星空ジョギングを始めて思ったのは、あの星までの距離は人間にとって事実上無限、あの星が輝いていた時までの時間も人間にとって事実上永遠と考えるしかないという事で、そんな事は高学年の理科で習った事ではあるが、毎晩実感すると、日常生活の時間と空間の方が不思議な感じがしたり狭くちっこく瞬間的に感じられ、理屈で説明しろと言われても困るが、普通に生まれる前と死んだ後があると確信できてしまう訳で、遺族にお勧めしたいのは、ひとしきり怒ったり悲しんだりしたら、故人はどうなったのか突き詰めて考えてみる事で、科学の無も宗教の天国も到底納得できず、味気ないがエネルギーとしてどうなのかと目が向くのと自分もどうなるのかという事に興味がいく筈で、土に還るではないが地底に溶け込んでいくとか、千の風になってではないが大気に溶け込んでいくとか、そんなところじゃねーのといずれにしても前世とか来世とか擬人的な意味ではなく、エネルギーとして普通に前と後があるわなとスピ系でなくても思い至る筈で、ここから先は電気的エネルギーかどうかとか見方が分かれるから深入りしないが、夢が壊れようが壊れまいが、実態として知る事が大事で、もう人間としての故人とはお別れだったと認めざるを得ない寂しさは残るが、それを書き消す位の故人の次は普通にある但し人間としてではなくエネルギーとしてと知れる事でこれまでの死生観をバージョンアップできる事請け合いで、ITスぺ流に言えば故人も神で我々も神で、わざと意地悪に味気なく書くが、神とか擬人的なものではなく、故人も我々も時々で姿を変える永遠のエネルギーで、エネルギーに生老病死も喜怒哀楽もへったくれもないし善悪正邪も四苦八苦同様に人間が考えた観念に過ぎず、私も含めて凡人の我々はそうもいかないが、何事も無限大の空間と永遠の時間の中で物事を捉えようぜ、金融悪魔の下らない演し物とかにやられちゃうも者も出るが、故人も次があるから、奴らがどうあろうが我々は自分が納得する生き方を貫いていこうぜ、もうダメポと思ったら、こっ恥ずかしいが、自分は神だと自分に言い聞かせて元気を取り戻そうぜみたいな感じである。
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