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昭和天皇はアメリカと内通していた、 太平洋戦争はアメリカのスパイだった昭和天皇が起こした八百長戦争だった
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投稿者 中川隆 日時 2024 年 5 月 19 日 07:18:20: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 白洲次郎の真実 _ ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎 伝説はかくつくられる。 投稿者 中川隆 日時 2024 年 5 月 19 日 07:14:27)

昭和天皇はアメリカと内通していた、 太平洋戦争はアメリカのスパイだった昭和天皇が起こした八百長戦争だった
吉田茂の暗号名はヨハンセン その吉田に影のようにつきしたがっていたのが白洲次郎
日中戦争で日本軍は八路軍のゲリラ戦に勝てそうもなくなったので、昭和天皇は、このまま行くと共産主義者ばかりだった満州軍が共産革命軍になって、日本にも共産革命が起きると考えたのですね。それで、日本を共産主義国にしない為にアメリカと八百長戦争をやって、日本をソ連ではなくアメリカに占領してもらう道を選んだのです:

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」=吉田茂
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。
また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CxA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。

吉田茂の暗号名はヨハンセン その吉田に影のようにつきしたがっていたのが白洲次郎
そもそも、吉田茂は戦前から米国のある筋(奥の院)と密通していたと言われている。太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関するいわゆる「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂だった。

吉田茂の出自を見れば、この男が“奥の院=ロスチャイルド”と繋がっていることが分かる。

吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国 大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任 した。

養父・吉田健三とは何者か?ここがポイントなのだ。吉田健三は英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげた。ジャーディン・マセソン商会は国際巨大財閥ロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。

富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。吉田茂の妻は牧野伸顕伯爵の長女・雪子。

雪子は米国駐日大使ジョゼフ・グルーの妻アリス・ペリー・グルーとは幼馴染みであり、アリスから世界経済や政治についてレクチャーを受けていた。実はアリスはペーリ提督の末裔にあたる。このアリスから雪子をはじめ昭和天皇の母である九条節子と秩父宮妃でもある鍋島伸子の娘3人はロスチャイルド=モルガンの情操教育=洗脳教育を受けていた。アリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と麻薬売買で富を築いた悪名高きキャポット一族である。

吉田茂は妻の雪子を通じてロスチャイルド=モルガンに寵愛され、出世街道を上昇していく。ちなみに雪子は麻生太郎元首相の祖母である。

前述の通り、吉田茂は“日本最大の売国奴”だった。米国にとっては最も便利な男だった。その功績で、トルーマン米大統領とマッカーサーの決定で戦後最長の長期政権の首相になったことは言うまでもない。

白洲次郎という男が非常にもてはやされております。これから白洲次郎という男について語ります。この男を語ると昭和史の闇が見えてきます。白洲商会というのがあって、親爺は繊維問屋をやってて、繊維不況の中で倒産します。小さな会社です。親爺は倒産してどうしたかというと、九州の山の中に掘っ立て小屋を建てて、借金取りから逃れて、そこで一生を終わる男です。ちょうど白洲次郎がケンブリッジ大学に行ってるんですね。倒産します。で白洲次郎はどうしたか。白洲次郎は当時のイギリスのクラッシック・カーを乗り回して盛んに遊びます。なぜそんなことが出来るのか?

白洲次郎を助けた男にジグムント・ウオーバーグというのがいます。これはドイツにロスチャイルド家と並んでウオーバーグ家というのが二大財閥でいます。ロスチャイルド家と一時同じくらいの力がありました。そのウオーバーグ家から息子たちがドイツから、長男と次男が残って、ジークムントという従兄弟がイギリスに渡ります。そしてポールという弟がクーン・ローヴ商会という所へ行って、そこの娘と一緒になります。ポールはFRBを創る男ですね。

ジークムントはS・G・ウオーバーグという金融会社を作り、国際金融システムの一員となるんです。その当時ロスチャイルドと対抗できるくらいの金融家にイギリスでなるわけです。その男が生涯にわたって金もなくなった男に巨大な金を与えてケンブリッジに行かせて、その後も一生大事に育てるわけです。おかしいと思いませんかこれ。僕はねどうもこの男(白洲次郎)は日本人じゃないんじゃないか、ウオーバーグの子どもじゃないかという考えをずっと持っておりました。で、ちょっと前に『1945年占領史』という本が出まして、その本を読みました。徳本栄一郎という人が書いた本で、その中にですね、妙なことを書いてました、結局、彼はホワイトクラブというのがあるんですが、最高権力者、チャーチルとかロスチャイルドとかMI6の長官とかトップクラスの者が入る、イギリスの最高の貴族クラスが入るクラブに出入りしていたと。貧乏人の男で親父が掘っ立て小屋に住んでるのに、どうして彼はできるんだろうと。

白洲次郎はユダヤ国際金融同盟の諜報員でありコンプラドールである。戦時中赤紙召集をごまかしてもらい安全地帯に隠れていたくせに、戦後占領期に颯爽と登場するや、吉田茂の私的外務大臣として、あるいは終戦連絡局次長としてその特権を最大限に濫用した男である。商工省の外局にすぎない貿易庁長官でありながら、商工省の大臣・次官に一切関与させず、吉田首相と謀略を練り、外資系企業とくに英国系企業が進出するための抜本改変を敢行した男である。

白洲次郎とは何者か。
吉田茂が戦後台頭すべく画策された秘密工作の全てに関与した男である。2・26の時から抹殺される要人は決定されている。戦後占領期までに昭和天皇と吉田茂の邪魔になる要人はことごとく排除された。この中に山本五十六や近衛文麿が入る。
吉田茂&白洲次郎のコネクションには牛場と松本の他に、寺崎兄弟、奥村勝三、辰巳栄一、中曽根康弘、正力松太郎がいる。寺崎英成と奥村勝三は真珠湾攻撃を騙まし討ちにする工作をした後、戦後になって昭和天皇・マッカーサー会談で通訳として再登場する。このようにコネクションのメンバーは重要な場面でリサイクル活用されている。

白洲がマスコミを賑わせ始めたのは19050年代、吉田内閣の頃だ。前著を書くに当たり当時の記事に一通り目を通してみた。驚いたのはキャラクター・アサッシネーション(人格抹殺)とすらいえる批判の連続だった事だ。「傍若無人」を初め「陰謀家」「吉田内閣宮廷派長官」「ラスプーチン」と言葉が並び、露骨な個人攻撃もあった。半世紀で評価が逆転してしまったのだ。白洲本人が逆転させる謀略を図ったのである。
https://blog.goo.ne.jp/luca401/e/1ed1a90a7eed19075ee9fdde16116c47

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA  

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コメント
1. 中川隆[-10247] koaQ7Jey 2024年6月12日 17:33:39 : 3exduQ2txU : RnVjNHFHQVZWSmc=[3] 報告
<■104行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
明治以降の日本政府が英米の傀儡政権になった理由 _ 明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取りだった。
明治天皇も昭和天皇も天皇家ではなく李氏chousenの王族や両班階級の血筋だった
田布施は李氏chousenの王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏chousenの王の末裔です。
永田町における「chousen系」というのは李氏chousen時代の両班階級出身という意味です。以前、田布施の話をした時にも言いましたが、田布施は李氏chousenの王族や両班階級が逃げてきた場所で、岸信介は李氏chousenの王の末裔です。岸という名字も「李」を分解して木(き)と子(し)にしたから岸(きし)なんだという話をしたと思います。安倍さんは岸家の人なので、当然「chousen系」ですし、今井さんも安倍さんと遠い親戚なのでやはり「chousen系」。二階さんも同じく遠い祖先が李氏chousen系だったという区分けです。また、そういう人たちが集まったのが自民党の清和会です。清和会というのは、多くが「chousen系」の人々の集まりで、永田町では常識です。実際に、清和会の事務所は旧李王家邸で当時の赤坂プリンスホテルの一階にありました。李氏chousen最後の皇族であった李玖も清和会の支援を受け、2005年まで赤坂プリンスホテルで暮らしていました。

これはインターネットで検索したって出てきません。しかし、日本の支配者層にとっては常識中の常識です。
https://tocana.jp/2020/08/post_168418_entry_2.html


故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)

明治維新はイギリスによる東アジア侵略戦略の一環。
米英金融資本の支配下にあった日本が東アジア侵略を進めた 。

明治体制になってからイギリスやアメリカの外交官は台湾や大陸を侵略するように焚きつけて軍事技術を提供、その一方で米英金融資本は戦費を融資している。そして明治政府は琉球を併合し、台湾へ派兵、江華島事件を引き起こし、日清戦争、日露戦争、シベリア派兵へと突き進んだ。
シベリア派兵はロシアで起こった十月革命への干渉だ。日本はイギリスやフランスの要請で十月革命に干渉、1925年までソ連領内に居座った。

 その間、1923年9月1日に東京周辺を巨大地震が襲った。被災者数は340万人以上、死者と行方不明者を合わせると10万5000名を上回ると言われている。損害総額は55億から100億円に達していたという。

 この資金を調達するため、日本政府はアメリカの巨大銀行JPモルガンに頼った。ロスチャイルド金融資本からスピンオフした金融機関だ。その当時、JPモルガンと最も緊密な関係にあった日本人は井上準之助だと言われている。関東大震災を切っ掛けにして日本の政治経済はJPモルガンから大きな影響を受けるようになった。

 地震の当日、総理大臣は不在。山本権兵衛内閣が成立するのは9月2日のことだ。その内閣で井上は大蔵大臣に就任、1924年1月までその職にあった。1927年5月から28年6月までは日本銀行の総裁、浜口雄幸内閣時代の29年7月から31年12月まで、再び大蔵大臣をそれぞれ務めている。

 9月1日の夕方になると社会主義者や朝鮮人をターゲットにした流言蜚語が飛び交いはじめ、2日夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電して戒厳令も施行された。

 こうした雰囲気が社会に蔓延、数千人の朝鮮人や中国人が殺されたと言われている。さらに社会主義者やアナーキストが虐殺されているが、そうした犠牲者のひとりがアナーキストの大杉栄だ。彼は妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉だった甘粕正彦に殺されたのである。地震当時、東京に住んでいた人の話では、焼き殺された朝鮮人もいたようだ。実行者は日本の庶民にほかならない。

 そうした中、JPモルガンは日本に対して緊縮財政の実施と金本位制への復帰を求め、浜口雄幸内閣は1930年1月に要求通りに実行する。緊縮財政で景気が悪化するだけでなく、日本から金が流出して不況は深刻化して失業者が急増、農村では娘が売られる事態になった。

 こうした政策を推進した井上は「適者生存」を信奉していた。強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だとする新自由主義的な考え方をする人物だったとも言えるだろう。当然、失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。浜口は1930年11月に東京駅で狙撃され、31年8月に死亡し、井上は32年2月に射殺された。

 1932年に駐日大使として赴任してきたジョセフ・グルーはJPモルガンと深い関係にある。グルーのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻なのだ。

 この年、アメリカでは大統領選挙があり、ウォール街が操る現職のハーバート・フーバーがニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトに敗れた。慌てたウォール街の住人はクーデターを目論む。計画の中心的な存在である巨大金融機関のJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけることになる。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 話を聞いたバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣する。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。バトラー少将は1935年にJ・エドガー・フーバーに接触してウォール街の計画を説明するのだが、捜査を拒否している。日本の政治経済に大きな影響力を持っていたJPモルガンはアメリカでファシズム体制の樹立を目論んでいたわけだ。

 日本軍は1927年から28年にかけて山東省へ派兵、1931ねんには柳条湖事件、32年に「満州国」建国、37年に盧溝橋事件、39年にノモンハン事件へと続く。その延長線上にマレー半島や真珠湾への奇襲攻撃がある。

 JPモルガンが1932年に日本へ駐日大使として送り込んできたグルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しかった。

 そのグルーは第2次世界大戦後の日本のあり方を決めたジャパンロビーの中心人物でもある。この団体の後ろ盾はウォール街だ。つまり、戦前も戦後も支配システムは基本的に同じ天皇制官僚体制であり、「戦前レジーム」だ、「戦後レジーム」だと騒ぐのは滑稽なのである。

 アメリカやイギリスの支配層は第2次世界大戦の前と同じように中国やロシアの征服を目論んでいる。

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