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chousen半島古代人は全員、アジア東部人の遺伝的変異内に収まりました。
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/405.html
投稿者 中川隆 日時 2023 年 10 月 26 日 14:19:52: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: chousen 人は 1万年の歴史がある古代民族だよ。 投稿者 中川隆 日時 2023 年 10 月 26 日 13:57:58)

chousen人は満州の狩猟民族ではないよ。新石器時代西遼河農耕民だよ。
chousen半島古代人は全員、アジア東部人の遺伝的変異内に収まりました。2つの主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が、さまざまな割合でchousen半島古代人において観察されました。それは、アジア東部北方関連祖先系統と、在来の縄文関連祖先系統です。

 アジア東部北方祖先系統は、ANAおよびNYR祖先系統の混合である現在の中国北東部の新石器時代西遼河農耕民と関連している、と提案されました。その調査結果から、西遼河関連農耕民はchousen語祖語を広めたかもしれない、と示唆されました。それは、西遼河農耕民の祖先系統が現代chousen人では支配的だからです。

次に、chousen語祖語集団は、西遼河的祖先系統を現代日本人の遺伝子プールにもたらしました。現代日本人は、縄文時代個体群と関連する基底部アジア東部系統からの限定的な遺伝的遺産(9%)とchousen人(91%)の混合として表すことができ、例外は縄文時代の人々の直接的子孫とみなされているアイヌです。

 このシナリオは、雑穀(紀元前3500年頃)、稲作(紀元前1300年頃)、鉄生産(紀元前400年頃)など、中国北部からの移民を通じての高度な技術の複数段階の導入が、chousen半島の生活様式を狩猟採集漁撈経済からより定住的な農耕へと劇的に変えた、とする考古学的記録と一致します。これらの技術はその後、chousen半島から日本列島へと伝わった可能性が高そうです。しかし、言語もしくは文化の変化が、常に遺伝的相互作用事象を伴うわけではありませんでした。たとえば、アムール川流域とモンゴルでの持続的な遺伝的連続性から、これらの地域は西遼河農耕民の移住の波に直接的には影響を受けなかった、と明らかになっています。

 chousen半島における縄文祖先系統の遺産と、中国北部からchousen半島への経時的な高度な技術の拡大が人口移住もしくは着想の伝播によりどの程度達成されたのかを解明するためには、高品質の古代人の核ゲノムが緊急に必要でした。最近の研究では、chousen半島の文化および歴史の形成で重要な期間である三国時代の8個体(紀元後4〜5世紀)の、ゲノム規模一塩基多型(SNP)の充分な網羅率とハプロタイプが分析されました。これらの個体は、chousen半島南部の伽耶(加羅)諸国の政治および交易の中心地であった金海(Gimhae)の2ヶ所の重要な埋葬複合施設に由来します。「三国時代」という用語は、高句麗と百済と新羅を指します。伽耶は王国ではなく連合国でしたが、これら三国と同時代でした。

 最近の研究では、可能性のある供給源としてアジア北東部と縄文を割り当てる2方向混合モデルが、全ての標本抽出されたchousen半島古代人の遺伝的構成を完全に説明できる、と分かりました。この場合のアジア北東部人とは、中国北部の青銅器時代の西遼河もしくは黄河関連農耕民を指します。一方で縄文は、最近の考古学的証拠によると、日本列島の縄文文化と関連するのではなく、chousen半島の在来祖先系統の可能性が高そうです。2ヶ所の遺跡の8個体のみに限定されているにも関わらず、最近の研究は、三国時代のchousen半島における高い遺伝的多様性と人口階層化を明らかにしました。この8個体内では遺伝的下部構造が観察され、2個体(34%)は他の個体(7%)よりも縄文関連祖先系統が多くなっています(図1)。この下部構造が社会的地位もしくは性別に起因する可能性は低そうで、代わりに、縄文関連祖先系統の分布の違いとのみ関連しています。

 縄文関連祖先系統を7%ほど有する三国時代chousen人は、混合年代推定において標的集団として用いられた場合、黄河流域農耕民と縄文時代狩猟採集民との間の混合事象が紀元前1400〜紀元前600年頃と推定され、これはchousen半島における青銅器時代(紀元前1400〜紀元前300年頃)に相当します。Taejungniの単一の青銅器時代個体の浅い網羅率のゲノムでは、以前の研究において縄文関連祖先系統の欠如が指摘されましたが(関連記事)、新たな高網羅率のデータでは裏づけられず、縄文関連祖先系統はchousen半島南部において高水準で少なくとも三国時代の紀元後500年頃までは存続した、と示されます。以下は本論文の図1です。

画像
https://sicambre.seesaa.net/upload/detail/image/Wang20et20al.2022E38080E4B889E59BBDE69982E4BBA3E381AEE4BCBDE880B6E381AEE4BABAE9A19EE381AEE382B2E3838EE383A0E38387E383BCE382BFE8A7A3E8AAAC282022080829E59BB31.jpg.html


 現代chousen人は、アレル(対立遺伝子)およびハプロタイプの共有パターンと、共有される支配的なY染色体およびmtDNAのハプログループの特性から推測される三国時代の個体群と、遺伝的に密接に関連しています。現代chousen人のいくつかの固有の表現型の特徴関連の遺伝的多様体は、すでに三国時代の古代人のゲノムに存在しました(関連記事)。縄文祖先系統を有するchousen半島古代人は、chousen半島現代人の遺伝的形成にかなり寄与しましたが、chousen半島現代人は縄文関連祖先系統なしで高い遺伝的均質性を示します。chousen半島のTaejungniの青銅器時代個体が遺伝的にchousen半島現代人と類似しているのかどうかは、この個体のゲノム網羅率がひじょうに低いため、確信的には示されませんでした(関連記事)。この青銅器時代標本を考慮しなければ、あり得るシナリオは、在来の縄文関連祖先系統が侵入してきた中国北部人口集団との混合を通じてほぼ置換されており、その後で消滅して、比較的均質な現代chousen人が形成されました。

 まとめると、最近の研究では、金海の古代人個体群の発見により、三国時代chousen半島の人々の二重起源は、青銅器時代西遼河もしくは黄河流域関連農耕民と縄文時代狩猟採集民の両方に祖先系統が由来する、と提案されました。興味深いことに、縄文関連祖先系統は少なくとも紀元後5世紀までchousen半島南部において高水準で存続しました。
https://sicambre.seesaa.net/article/202208article_19.html  

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コメント
1. 2023年10月27日 01:58:30 : HlSD5Ve0sY : akVHWUl6UjU3MUk=[2] 報告
<■97行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
chousen人は満州の狩猟民族ではないよ。新石器時代西遼河農耕民だよ。
黄河流域にはアジア東部における最初の独立した農耕革命があり、早くも較正年代で10300〜8700年前頃にはアワとキビ両方の工作が行なわれていました。その後、黄河中流域の仰韶(Yangshao)文化の拡大が生計慣行に大きな変化をもたらし、雑穀農耕が主要な戦略として現れました。この農耕パターンは、中国北部の黄河や西遼河から中国南西部を含めて広範な地域に広がりました。

 最近の古代DNA研究では、雑穀農耕は在来の狩猟採集民をほぼ置換した黄河流域から拡大してきた農耕民によりチベット高原および西遼河地域にもたらされました。

chousen半島古代人は全員、アジア東部人の遺伝的変異内に収まりました。2つの主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が、さまざまな割合でchousen半島古代人において観察されました。それは、アジア東部北方関連祖先系統と、在来の縄文関連祖先系統です。

 アジア東部北方祖先系統は、ANAおよびNYR祖先系統の混合である現在の中国北東部の新石器時代西遼河農耕民と関連している、と提案されました。その調査結果から、西遼河関連農耕民はchousen語祖語を広めたかもしれない、と示唆されました。それは、西遼河農耕民の祖先系統が現代chousen人では支配的だからです。

次に、chousen語祖語集団は、西遼河的祖先系統を現代日本人の遺伝子プールにもたらしました。現代日本人は、縄文時代個体群と関連する基底部アジア東部系統からの限定的な遺伝的遺産(9%)とchousen人(91%)の混合として表すことができ、例外は縄文時代の人々の直接的子孫とみなされているアイヌです。

 このシナリオは、雑穀(紀元前3500年頃)、稲作(紀元前1300年頃)、鉄生産(紀元前400年頃)など、中国北部からの移民を通じての高度な技術の複数段階の導入が、chousen半島の生活様式を狩猟採集漁撈経済からより定住的な農耕へと劇的に変えた、とする考古学的記録と一致します。これらの技術はその後、chousen半島から日本列島へと伝わった可能性が高そうです。しかし、言語もしくは文化の変化が、常に遺伝的相互作用事象を伴うわけではありませんでした。たとえば、アムール川流域とモンゴルでの持続的な遺伝的連続性から、これらの地域は西遼河農耕民の移住の波に直接的には影響を受けなかった、と明らかになっています。

 chousen半島における縄文祖先系統の遺産と、中国北部からchousen半島への経時的な高度な技術の拡大が人口移住もしくは着想の伝播によりどの程度達成されたのかを解明するためには、高品質の古代人の核ゲノムが緊急に必要でした。最近の研究では、chousen半島の文化および歴史の形成で重要な期間である三国時代の8個体(紀元後4〜5世紀)の、ゲノム規模一塩基多型(SNP)の充分な網羅率とハプロタイプが分析されました。これらの個体は、chousen半島南部の伽耶(加羅)諸国の政治および交易の中心地であった金海(Gimhae)の2ヶ所の重要な埋葬複合施設に由来します。「三国時代」という用語は、高句麗と百済と新羅を指します。伽耶は王国ではなく連合国でしたが、これら三国と同時代でした。

 最近の研究では、可能性のある供給源としてアジア北東部と縄文を割り当てる2方向混合モデルが、全ての標本抽出されたchousen半島古代人の遺伝的構成を完全に説明できる、と分かりました。この場合のアジア北東部人とは、中国北部の青銅器時代の西遼河もしくは黄河関連農耕民を指します。一方で縄文は、最近の考古学的証拠によると、日本列島の縄文文化と関連するのではなく、chousen半島の在来祖先系統の可能性が高そうです。2ヶ所の遺跡の8個体のみに限定されているにも関わらず、最近の研究は、三国時代のchousen半島における高い遺伝的多様性と人口階層化を明らかにしました。この8個体内では遺伝的下部構造が観察され、2個体(34%)は他の個体(7%)よりも縄文関連祖先系統が多くなっています(図1)。この下部構造が社会的地位もしくは性別に起因する可能性は低そうで、代わりに、縄文関連祖先系統の分布の違いとのみ関連しています。

 縄文関連祖先系統を7%ほど有する三国時代chousen人は、混合年代推定において標的集団として用いられた場合、黄河流域農耕民と縄文時代狩猟採集民との間の混合事象が紀元前1400〜紀元前600年頃と推定され、これはchousen半島における青銅器時代(紀元前1400〜紀元前300年頃)に相当します。Taejungniの単一の青銅器時代個体の浅い網羅率のゲノムでは、以前の研究において縄文関連祖先系統の欠如が指摘されましたが(関連記事)、新たな高網羅率のデータでは裏づけられず、縄文関連祖先系統はchousen半島南部において高水準で少なくとも三国時代の紀元後500年頃までは存続した、と示されます。以下は本論文の図1です。

画像
https://sicambre.seesaa.net/upload/detail/image/Wang20et20al.2022E38080E4B889E59BBDE69982E4BBA3E381AEE4BCBDE880B6E381AEE4BABAE9A19EE381AEE382B2E3838EE383A0E38387E383BCE382BFE8A7A3E8AAAC282022080829E59BB31.jpg.html


 現代chousen人は、アレル(対立遺伝子)およびハプロタイプの共有パターンと、共有される支配的なY染色体およびmtDNAのハプログループの特性から推測される三国時代の個体群と、遺伝的に密接に関連しています。現代chousen人のいくつかの固有の表現型の特徴関連の遺伝的多様体は、すでに三国時代の古代人のゲノムに存在しました(関連記事)。縄文祖先系統を有するchousen半島古代人は、chousen半島現代人の遺伝的形成にかなり寄与しましたが、chousen半島現代人は縄文関連祖先系統なしで高い遺伝的均質性を示します。chousen半島のTaejungniの青銅器時代個体が遺伝的にchousen半島現代人と類似しているのかどうかは、この個体のゲノム網羅率がひじょうに低いため、確信的には示されませんでした(関連記事)。この青銅器時代標本を考慮しなければ、あり得るシナリオは、在来の縄文関連祖先系統が侵入してきた中国北部人口集団との混合を通じてほぼ置換されており、その後で消滅して、比較的均質な現代chousen人が形成されました。

 まとめると、最近の研究では、金海の古代人個体群の発見により、三国時代chousen半島の人々の二重起源は、青銅器時代西遼河もしくは黄河流域関連農耕民と縄文時代狩猟採集民の両方に祖先系統が由来する、と提案されました。興味深いことに、縄文関連祖先系統は少なくとも紀元後5世紀までchousen半島南部において高水準で存続しました。
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