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(回答先: 中国では結婚しても女性は姓が変わらない。いまの日本では夫婦別姓論議がさかんだが、中国の場合、女性の姓が変わらない 投稿者 中川隆 日時 2023 年 8 月 31 日 07:16:28)
西部邁は 氏姓が日本の支配階層だけにしか使われていなかったのを知らないから、見当外れの事ばかり言ってるんだよ。日本人と被差別同和部落民は下層カーストだから姓なんか持っていなかったし、誰が自分の父親かすら わからなかったんだよ:
日本のカースト制 氏姓制度(しせいせいど)
さて、氏姓制度と陰陽修験は、大和朝廷成立前後の重点的政策だった。
思い出して欲しいが、征服者と被征服者の違いが「明治維新まで」は氏(うじ)と姓(かばね)で直ぐに判る仕組みだった。
古代日本に於いて、中央貴族や地方豪族が、国家(ヤマト王権)に対する貢献度、朝廷政治上に占める地位に応じて、朝廷より地位を表す氏(ウヂ)の名と姓(カバネ)の名とを授与され、その特権的地位を世襲した制度を氏姓制度(しせいせいど)と呼ぶ。
五世紀頃から始まったその制度は「氏姓制(ウヂ・カバネせい)」とも言い、「氏(ウヂ)・姓(カバネ)」を音読して「氏姓(しせい)制」とも言う。
大化の改新後、大和朝廷(ヤマト王権)が律令国家の形成に及ぶと、戸籍制に拠って、氏姓(ウヂカバネ)はかつての部民(べみん/渡来部族)、つまり百姓階層にまで拡大され全ての階層の国家身分を表示するものとなった。
この戸籍制に拠って、氏姓(ウヂカバネ)を有しない者は大王(おおきみ/天皇)を始めとする皇族と被差別階級の賤民(せんみん)奴婢(ぬひ)階層のみとなった。
但しこの戸籍制に拠って人口の大半が氏姓(ウヂカバネ)を有したと解されるのは誤解で、該当者は実質総人口の一割程度だったと推測される。
氏(うじ)と姓(かばね)は、征服王の神々の子孫しか名乗らせない。
被征服者の農業従事者(使役農民)や漁業従事者(使役漁師)の生活環境は村里集落であり、身分はその地名に住む誰々(山里村のゴンベイ)で苗字に当るものは無いので有る。
何故なら、苗字の語源が土地の所有(支配権)を意味していたからである。
氏(うじ)は同じ祖先をもつ家族の集団、つまり血の繋がりによって成り立つ同族の集団である。
問題なのは、この氏(うじ)族、実は天孫族を名乗る征服部族で、好戦的な戦人天孫族(いくさびとてんそんぞく)がその「恐怖の大王達」の正体だった事である。
大化改新以前では、この氏(うじ)による集団が、社会的にも政治的にも基礎となる集団だった。
その統率者を氏上(うじかみ)と呼んだ。
この入植集団の守り神が氏神様となる。
姓(かばね)は氏に付いてその職掌・家格や尊卑を表わす呼称である。
氏を基礎単位として、それを姓によって秩序づけたのが、所謂(いわゆる)「氏姓制度」であり、大化以前の大和連合政権の支配形態であった。
この姓(かばね)が曲者で、大王(おおきみ・天皇)から認められた血統の家格を表す制度だが、その家格がそのまま長期に渡り、その一族の身分を保証するシステムだったのである。
この氏姓制度と陰陽修験のシステムが確りと生き残り、千年の時空を隔てて、まさか、明治維新の時点に「鮮やかによみがえる」とは、誰も想像出来ない事に違いないだろう。しかし、そこに日本史の真実があった。
http://jiyodan.exblog.jp/7950159/
公家や神官、武士と違い、彼ら民人は村(居住地)の所属であり、その土地の統治者の所属だった。
村(集落・居住地)の名が、一体化した村人の氏姓(うじかばね)の代わりだった。
つまり氏姓(うじかばね)の代わり、土地の名に支配者の名(苗字)がかざされ、「大田村(太田氏が所有する)のゴンベイ」と言う表記になる。
名字(みょうじ・苗字/なえあざ)は氏姓を持つ土地支配者の名字(なあざ)、つまり土地の名であり村長(むらおさ)の別名「名主(なぬし)」の語源は、ここから来ている。
この名字(なあざ)由来は、平安期に起こった武士の台頭と名田経営体制(みょうでんけいえいたいせい)の成立に拠るものである。
下級貴族・百姓の多くは源氏流・平氏流・藤原氏流・橘氏流を名乗る枝の者が圧倒的に多くなり、混乱を避ける為に名田(みょうでん)の夫々(それぞれ)固有の呼び方(地名)が、名田経営者の氏名乗りである名字(みょうじ)・苗字(みょうじ/なえあざ)となったからである。
その後町が形成されたが、町人も「**河岸のタロ吉、**辻のジロ吉」で、氏(うじ)姓(かばね)は無い。
百姓は氏族、農民は民人が本来の身分の分類であり、百姓は農業従事者であっても農民ではなかった。
従って当初の村主、庄屋、名主、地主などは、その出自が身分の低い氏族の百姓である。
同様に、町家に在っても氏族系の商人や工業主、鉱山主、船主などの百姓(身分の低い氏族)が居て、それらに従事する民人が、本来の町民だった。
町家に在って名字(みょうじ)の他に通用したのは、大店(おおだな)商家の屋号が精々である。
この身分の線引き、かなり時代が下がると一部の例外として士分に取り立てられ、「氏を名乗る者もいた」のだが、あくまでもこの原則は明治維新まで変わる事は無かった。
本来の「姓(カバネ)」は、古代の氏族を政治的分類・格付けしたもので、職掌を示す姓(カバネ)としては、国造(くにのみやつこ)、県主(あがたのぬし)、稲置(いなぎ)。
地位・格式・立場を示す姓(カバネ)としては、公(きみ)、大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)、臣(おみ)、連(むらじ)、造(みやつこ)、直(あたい)、首(おびと)、史(ふひと)、村主(すぐり)などである。
しかし、時代が下がるに連れて姓(かばね)は本来の意味を失い、別の意味に変わって「氏」の同意語や元の血筋を示す意味と成った。
その元の血筋を示すと言う用法の「姓」が、平安中期頃から始まった「藤原姓の工藤氏」、「平姓の村岡氏」、「平姓の北条氏」、「源姓の足利氏」、「源姓の新田氏」と言う様に「氏」が細分化された結果、古代の「氏」にあたるものを「姓」と呼ぶようになったのである。
https://jiyodan.exblog.jp/7938794/
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