<■110行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> 真に必要な支出というのは貧困者や本当にお金を出さなければならない所への支出という意味です。 政治家の仕事は国民から税金を徴収して自分の票田や政治資金を出してくれる企業にお金をばら撒くことであって、貧困者や本当にお金を出さなければならない所には絶対に財政出動しないのですね。MMT論者の経済政策はすべて検討外れなのです。 「紙幣を印刷してばら撒けば誰もが簡単に幸福になる」、確かに紙幣印刷で人々は紙幣を手に入れたが、紙幣の価値が下がったために紙幣でものが買えなくなり、インフレが起こった。 お金が空から降ってくることはない。 お金が木から生えてきたりはしない。 自分にとって都合の良いものを信じたい人にとっては、根拠があろうがなかろうが関係ないらしい。彼らはむしろ根拠を避ける。信じたいものを信じていられることが彼らの幸福だからだ。それが長期には大損への道だとしても、彼らの目は2メートル以上先を見ることができない。 当たり前の帰結なのだが人々は元々インフレが物価上昇という意味だということさえ理解していなかった。それでインフレ政策といううまい話を信じたわけである。 むしろ彼らにとっては、それがうまい話であるという現実を直視するぐらいなら死んだ方がましだっただろう。働きたくもない仕事に人生のほとんどを費やし、その報酬の半分以上を所得税と社会保険料と消費税によって自民党に奪われている自民党支持者の人生は現実逃避で出来ている。 いや、インフレ政策はインフレ(物価上昇)と看板に書いてあるので、うまい話ですらなかったわけだが。それでも彼らはそれを好んだ。まさに墓穴を自分で掘ったわけである。 日本にはいまだに国の借金には問題がないなどと言うアホがいることには驚かされるが、事実日本では増税とインフレが降り掛かっているではないか。インフレ政策の当たり前の帰結に気付くことの出来なかったMMT信者の知性には本当にいつも驚嘆せざるを得ない。彼らの頭脳は最高である。 三橋貴明は「日本強靭化」などと言って公共事業を増やせと力説していましたが、実際に東北復興で公共事業が増えても日本は豊にならなかった。さらには有限の建築業の人材や資材が公共事業に奪われて、民間の事業のコストが増大するクラウディングアウトが起きた。 現在日本では、長大トンネルや巨大橋梁が連続する山間部の「〇〇縦貫道」の建設が盛んだが、便利にはなるが、それによって観光客が大幅に増える事は無い。地域経済の活性化効果も限定的。潤うのは土建会社と道路の補修会社。一方でこれらの施設は、人口が極端に減少する将来、確実に維持費で財政を圧迫する。 経済学者によるインフレ至上主義 インフレとは需要に対して供給が不足していることであり、物が足りないことである。 物が足りないことの何が善なのだろうか? これについて筆者を説得できた経済学者はいまだ存在しないが、インフレは現代の経済学では善とされており、結果としてのインフレではなくインフレ自体をターゲットとした政策が平然と行われている。 何故インフレが政治家や経済学者の間で好まれたのだろうか? それは政治家が支出を好むという事実と関係している。政府が財政出動により人々を失業から救わなければならないというのは現代の経済学ではケインズからの伝統である。 ケインズはその著書のなかで、無意味に穴を掘るだけの事業であっても公共事業として効果がありうると主張している。政治家は自分の票田に金を配ることを主な仕事としているので、ケインズのこうした主張が彼らに受けたことは自然な帰結である。 公共事業は失業を救うか しかしそれが経済学的に正しいかどうかは別の問題である。ハイエク氏は次のように述べている。 現在の通貨の問題の主な原因は、当然ながらケインズとその弟子が、支出の総額増やせば繁栄と完全雇用を長期的に約束できるという古い迷信に科学的権威を与えたと思い込んでいることにある。 公共事業自体はケインズ以前から存在する古い迷信である。しかしそれが戦後の世界秩序の決定に大きな役割を果たした著名人ケインズによって流布されたことで神格化され、世界中の政府と中央銀行の不文律のようになってしまった。 しかしトランプ政権によるインフラ投資は実際に経済を押し上げたではないか? それは勿論そうである。ハイエク氏は次のように述べる。 通貨の量が増加することによって雇用が急速に増大し、最短経路で完全雇用に達することは勿論否定されていない。 しかし問題はそこではない。それが長期的に見ても本当にプラスに働いているのかということである。ハイエク氏はこう続ける。 インフレが加速を止めたとき、失業は過去の誤った政策の結果として、そして非常に残念ながら避けられない結果として出現する。 そして問題はこの部分が経済学的に理解が難しいということである。 公共事業がいかに失業を生むか
何故公共事業が長期的には失業を生むか。ハイエク氏は次のように説明している。 すべての職種に対して画一的に同じ給与を決めることができないように、総需要を操作してすべての労働に対する需要と供給を均衡させることはできない。 雇用の量は経済の各部門の需要と供給が一致することで決まる。つまりは経済のどの部門にどのような需要があり、どういう賃金が割り振られているかによって決まるということである。 これはやや難解な箇所である。そしてここが難解であるためにインフレ主義は何十年も何百年も生き延びてきたのである。 問題は紙幣印刷や公共事業などのインフレ政策が局所的には多大な不均衡を生むということである。GDPで全体の大きさだけを気にすることが常習化した現代においてはこの重要な点が容易に無視されてしまう。 紙幣印刷は経済のどの部分にどれだけの需要が本当に必要かを考えずに経済全体の貨幣量を増やす。公共事業は政府が恣意的に選んだ受益者にだけ大量の資金を投下する。 どちらの方法でも本当に必要な場所に資金が行くことはない。現代の量的緩和バブルでも株式市場がまず上がって実体経済にはなかなか反映されないのと同じである。結果としてインフレは起こるわけだが、オーストリア出身のハイエク氏は1920年代に起こったインフレにおいて街の様子がどうなったかを描写している。 ウィーンの中心街では多くの有名なカフェが街角の一等地から追い出され、銀行の新しい事務所が取って代わった。 こうした政府による資金投下バブルで一番に利益を得るのはいつも金融業である。金融など一部の分野がバブルで先に得をし、他の業種を追い出してゆく。先進国政府が何年も紙幣を刷り続けた結果、富の不均衡が起こり、アメリカでは暴動に発展している。 しかしインフレになったことで銀行業が飲食店より経済的に重要になったという事実はない。それでも紙幣印刷によって膨張した貨幣量は経済に一様には注ぎ込まれず、一部の業種にバブルを引き起こしてゆく。 しかし例えばハイエク氏の例では不必要に増やされた銀行の職員は長期的には必要ではなくなってゆく。ハイエク氏はそのインフレの時代の顛末をこう語っている。 銀行が事業を縮小するか倒産しなければならなくなり、何千人もの銀行員が失業者の行列を作った時代を過ぎ去るとカフェは戻ってきた。 しかし本来はカフェの従業員は一等地から追い出されて失業する必要はなかったし、大量の新しい銀行員がその後失業者の列となる必要もなかった。これがインフレ政策による長期的失業の増加である。 結論 不均衡は必ず長期的にはネガティブな結果を引き起こす。しかしそれでも主流派の経済学者はいまだに完全雇用とインフレを神のように崇めている。 政府が借金を積み上げて無理に作り出した雇用はリーマンショックやコロナ禍などでインフレが止まった瞬間に、それまでは留保されていた分の失業を大量に吐き出す。それは本来存在しなかったはずの、インフレ政策が故意に生み出した失業なのである。
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