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イスラエルは米英の私的権力を支える前進基地
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2023.10.15 櫻井ジャーナル
イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設した。その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査している。アメリカでは1891年にウィリアム・ブラックストーンなる人物がユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。
エルサレムの南東にあるシオンの丘へ戻り、イスラエルを建国しようという運動はシオニズムと呼ばれている。この用語はウィーン生まれのナータン・ビルンバウムが1864年に初めて使ったという。そして1896年にセオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』という本を出版した。
彼らはユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域はユダヤ人の所有物だと考えているが、現在のイスラエルにもそう主張している人たちがいて、その計画は「大イスラエル構想」と呼ばれている。この構想はプロテスタントが言い始めたのだとも言われている。
ロシアでは1903年8月、内務大臣だったビャチェスラフ・フォン・プレーベは近代シオニズムの創設者と言われているセオドール・ヘルツルと会談している。その際、ヘルツルはプレーベに対し、パレスチナにユダヤ人の植民地にすることをトルコ政府に認めさせるよう求めた。
イギリスの支配層は19世紀にロシア制圧を目指し、南コーカサスや中央アジア戦争を始めている。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。これを進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダー。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略だ。
この戦略を可能にしたのは1869年のスエズ運河完成、75年にはイギリスが経営権を手に入れた。運河を買収した人物はベンジャミン・ディズレーリだが、買収資金を提供したのはライオネル・ド・ロスチャイルドである。イギリスは1882年に運河地帯を占領し、軍事基地化している。世界戦略上、スエズ運河はそれだけ重要だった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018)
ディズレーリは1881年4月に死亡するが、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供しはじめている。この富豪の孫がエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドだ。
中東で石油が発見されると、イギリスとフランスはその利権を手に入れようとする。そして1916年に両国は協定を結ぶ。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからサイクス-ピコ協定と呼ばれている。その結果、トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスがそれぞれ支配することになっていた。
協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。
ローレンスが接触していたフセイン・イブン・アリにイギリスのエジプト駐在弁務官だったヘンリー・マクマホンは書簡を出し、その中でイギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束している。フセイン・マクマホン協定だ。このイブン・アリを追い出したイブン・サウドを中心として1932年に作られた国がサウジアラビアにほかならない。
その一方、イギリスのアーサー・バルフォア外相はロスチャイルド卿に宛てに出した書簡の中で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。1917年11月のこと。なお、この書簡を実際に書いたのはアルフレッド・ミルナーだと言われている。
イギリスは1919年、石油利権を手に入れるためにペルシャを保護国にし、その2年後に陸軍の将校だったレザー・ハーンがテヘランを占領する。そして1925年にカージャール朝を廃して「レザー・シャー・パーレビ」を名乗るようになった。
イスラエルやサウジアラビアはイギリスの地政学的戦略や石油利権にとって重要。「ユダヤ人の国」としてイスラエルの建国が宣言されたのは1948年5月のことだ。
第2次世界大戦中、ドイツではユダヤ人弾圧があり、多くの人が国外へ脱出したが、多くはアメリカやオーストラリアへ向かい、パレスチナを目指した人は少なかった。ヨーロッパの生活様式に慣れた人びとが中東へ向かいたがるはずはなかったのだ。シオニストの思惑は外れた。そこでイラクなどに住むユダヤ教徒をターゲットにしたテロをシオニストは実行、パレスチナへ集めている。
イスラエル建国計画には欧米の富豪が資金を出していた。特に有名な人物はエドモン・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグだ。こうした人々はイスラエルの核兵器開発も支援していた。(Will Banyan, “The ‘Rothschild connection’”, Lobster 63, Summer 2012)
フェインバーグはアメリカン・バンク・アンド・トラストの会長を務め、アメリカ民主党の重要な資金提供者だった。その一方、熱心なシオニストで武装組織ハガナのエージェントだったとも言われている。ハガナは後にイスラエル軍の中核になる。(Jonathan Marshall, “Dark Quadrant,” Rowman & Littlefield, 2021)
こうした富豪を後ろ盾とするシオニストは1948年4月4日にパレスチナ人殲滅作戦を始める。「ダーレット作戦」だ。パレスチナに住むアラブ系住民を殺し、恐怖で追い出したのだ。そして同年5月にイスラエルの建国が宣言された。それ以降、パレスチナ人は苦難の道を歩まされることになる。「国際社会」は彼らに救いの手を差し伸べない。
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