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40年前の9月1日にKAL007便がソ連領空を侵犯、核戦争勃発の寸前まで進んだ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309010000/
2023.09.01 櫻井ジャーナル
今から40年前、つまり1983年の8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便はソ連領へ侵入、重要な軍事基地の上空を飛行した後、サハリン上空でソ連の戦闘機に撃墜されたと言われている。この旅客機はアンカレッジを離陸して間もなく航路を逸脱、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切るのだが、その際、NORADは旅客機に対して何も警告していない。担当官が怠慢だったのか、事前に許可をえていたのかいずれかだろう。この出来事はソ連とアメリカとの間で軍事的な緊張が高まっている最中に起こった。
アメリカではジェラルド・フォード政権(1974年8月から77年1月)の時にデタント(緊張緩和)派が粛清され、軍事強硬派がホワイトハウスの実権を握った。その際、台頭してきたのがネオコンだ。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、フォード大統領は日本に対し、日本の核計画に干渉しないと約束していたという。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”)
フォード政権で行われた粛清の中でも重要なものは国防長官とCIA長官の交代。国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、CIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ替わっている。ブッシュはエール大学時代にCIAからリクルートされたと言われているが、父親のプレスコットはウォール街の銀行家だった時代からアレン・ダレスと親しかった。
そのブッシュを含むアメリカの情報機関人脈は1979年7月、エルサレムでイスラエルの情報機関人脈と会議している。主催したジョナサン研究所の創設者であるベンシオン・ネタニヤフはウラジミール・ヤボチンスキーの秘書だった人物で、イスラエルの首相となるベンヤミン・ネタニアフの父親でもある。
アメリカから会議に参加した人物にはブッシュのほか、CIA台湾支局長を経て副長官を務めたレイ・クライン、CIAでソ連脅威論を宣伝していたチームBのリチャード・パイプス、ジャーナリストを名乗るアーノウド・ド・ボルクグラーブやクレア・スターリングなどが含まれる。なお、チームBにはポール・ウォルフォウィッツもいた。会議ではテロの原因をソ連政府の政策、あるいは陰謀だと主張し、ソ連を国際テロリズムの黒幕として非難している。
1981年1月にロナルド・レーガンが大統領になるが、ブッシュはその政権で副大統領に就任。1982年10月にはスウェーデン領海へ国籍不明の潜水艦が侵入、大捕物が展開された。その潜水艦は捕獲されなかったものの、根拠が曖昧なままソ連の潜水艦という印象が広まり、スウェーデンにおける反ソ連感情は劇的に高まる。
1980年までスウェーデンでソ連を脅威だと考える人は国民の5〜10%に過ぎなかったが、事件後の83年には40%に跳ね上がり、軍事予算の増額に賛成する国民の比率は70年代の15〜20%から事件後には約50%へ跳ね上がっている。(Ola Tunander, “The Secret War Against Sweden”, 2004)
追跡が始まった1週間後にスウェーデンではアメリカの支配層から嫌われていたオルオフ・パルメが首相として返り咲いていた。1969年から76年にかけてもパルメは首相を務めているが、その時もこの人物はアメリカ支配層にとって頭痛の種だった。潜水艦騒動はそのパルメを抑え込むことになる。なお、パルメは1986年2月28日に暗殺された。
日本では1982年11月に中曽根康弘が内閣総理大臣に就任、翌年の1月に彼はアメリカを訪問、その際に日本を「巨大空母」に例えている。インタビューしたワイントン・ポスト紙によると、中曽根は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。
それから間もない1983年4月から5月にかけてアメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大規模な艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加した。
演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したとされている。米ソ両軍は一触即発の状態になったのだが、この演習を日本のマスコミは無視した。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年)
そした中、大韓航空007便はソ連の領空を侵犯、しかも重要な軍事基地の上空を飛行したのだが、NATO軍はその年の11月、ヨーロッパで大規模な演習「エイブル・アーチャー83」を予定していた。これを軍事侵攻のカモフラージュだと判断したソ連政府は核攻撃に備える準備をはじめるように指令を出し、アメリカのソ連大使館では重要文書の焼却が始まったと言われている。
NATOが軍事演習を計画していた1983年11月、レーガン政権は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備、作業は85年の終わりまで続く。その一方、アメリカの情報機関人脈はソ連の情報機関KGB(国家保安委員会)の幹部を買収する工作を進めていた。
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