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2023.07.17
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202307170000/
アメリカのバラク・オバマ政権は2013年11月からウクライナでクーデター計画を始動させ、翌年の2月にはビクトル・ヤヌコビッチ大統領の排除に成功した。その時の工作でバラク・オバマ政権が手先に使ったのはNATO諸国で訓練を受けたネオ・ナチだ。
クーデターでキエフや西部地域は制圧できたものの、ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の住民はクーデター体制を拒否、南部のクリミアはロシアの保護下に入り、東部のドンバスでは内戦が始まる。
しかし、内戦でキエフのクーデター政権は勝てないとアメリカやEUは判断、軍事力の増強を図る。そうした時に結ばれたのがミンスク合意だ。ドイツやフランスが仲介したのだが、アンゲラ・メルケル元独首相は昨年12月7日にツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認め、その直後にフランソワ・オランド元仏大統領はメルケルの発言を事実だと語っている。
その後、8年をかけてアメリカ/NATOはクーデター政権に兵器を供給、兵士を訓練、ドンバスの周辺に要塞線を築いた。アゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)が拠点にしていたマリウポリや岩塩の採掘場があるソレダルの要塞は特に有名だ。
ウクライナでクーデターを実行した目的のひとつはロシアとの国境線までNATOを拡大し、「チェックメート」を宣言することにあったのだろうが、ロシアとドイツを分断することも重要な目的だった。ドイツやフランスはロシアとビジネス上の関係を緊密化させていたが、それはアメリカの影響力が低下することを意味する。そうした動きを阻止しなければならなかった。
ドイツとロシアを結びつける大きなファクターはエネルギー資源。ロシアからヨーロッパへ天然ガスを運ぶパイプラインの多くはウクライナを通過していた。ウクライナを支配ることでアメリカは天然ガスの輸送を断ち切ることもできる。
しかし、ウクライナを迂回するパイプラインをドイツとロシアは建設する。「ノード・ストリーム」と「ノード・ストリーム2」だ。このパイプラインが昨年9月26日に爆破された。破壊直後、ポーランドで国防大臣や外務大臣を務めたラデク・シコルスキーは「ありがとう、アメリカ」と書き込み、その後、ノードストリームの破壊はプーチンの策略の余地を狭めるとも書いた。
状況証拠はアメリカ政府による犯行だということを示唆しているが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは今年2月8日、アメリカ海軍が爆破したとする記事を発表した。
ジョー・バイデン大統領はオバマ政権で副大統領を務め、ホワイトハウスでクーデターを指揮していた。その下にいたのがビクトリア・ヌランド国務次官補と副大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていたジェイク・サリバンだ。このトリオにブリンケン国務長官を加えたチームが現在、戦争政策を推進している。
バイデンが大統領に就任したのは2021年1月。その年の後半に新大統領はサリバン国家安全保障補佐官を中心とする対ロシア工作のチームを編成した。その中には統合参謀本部、CIA、国務省、そして財務省の代表が参加、12月にはどのような工作を実行するか話し合ったという。そして2022年初頭、CIAはサリバンのチームに対し、パイプライン爆破を具申している。
その年の1月27日にビクトリア・ヌランド国務次官は、ロシアがウクライナを侵略したらノード・ストリーム2を止めると発言、2月7日にはバイデン大統領がノード・ストリーム2を終わらせると主張、記者に実行を約束した。
ハーシュによると、爆破計画の拠点として選ばれたのはノルウェー。イェンス・ストルテンベルグNATO事務総長の母国だ。3月にはサリバンのチームに属すメンバーがノルウェーの情報機関に接触、爆弾を仕掛けるために最適な場所を聞き、ボルンホルム島の近くに決まった。
プラスチック爆弾のC4が使われたが、仕掛けるためにはロシアを欺くためにカムフラージュが必要。そこで利用されたのがNATO軍の軍事演習「BALTOPS22」だ。その際にボーンホルム島の近くで無人の機雷処理用の潜航艇を使った訓練が行われた。
当然のことながら、爆破されるとパイプライン内の圧力が減少する。その事実をロシアのガスプロムは異常をアラームで知るのだが、詳しい状況は理解できなかった。
そのアラームが鳴った1分後、イギリスの首相だったリズ・トラスはiPhoneでアメリカのアントニー・ブリンケン国務長官へ「やった」というテキストのメッセージを送っている。この情報は10月30日に報じられたが、その前日、ロシア国防省はこれらのパイプラインを破壊したのはイギリス海軍だと発表、トラスはその4日前に辞任している。
アメリカが何カ国かの協力を得てパイプラインを爆破した可能性が高く、ドイツはこの爆破で経済活動に大きなダメージを受けた。
ところが、そのドイツで外務大臣を務めるアンナレーナ・ベアボックは2022年8月31日に「フォーラム2000」で「ドイツの有権者がどのように考えようとも、私はウクライナの人びとを支援する」と発言、23年1月24日に「われわれはロシアと戦争している」とPACE(総州評議会議会)で口にしている。ウクライナに対する軍事支援にも積極的である。
シティ(金融資本)を拠点とするイギリスの支配層は19世紀からロシアの征服を計画、そこに新興国家のドイツを潰すと言う目的が加わり、第1次世界大戦につながった。ドイツとロシアを戦わせるということである。
この戦略を実行する上で重要な役割を果たしたのがイギリスと関係の深い有力貴族、ユスポフ家だ。第1次世界大戦が始まる前からこの家にはイギリス人の家庭教師がいて、サンクトペテルブルクにあった同家の宮殿で家庭教師の子どもが誕生している。スティーブン・アリーだ。
その11年後にフェリックス・ユスポフが誕生、後にイギリスのオックスフォード大学へ留学し、ブリンドン・クラブへ入っている。留学先で親密な関係になったオズワルド・レイナーは流暢なロシア語を話した。
アリーとレイナーは大学を卒業した後、イギリスの対外情報機関MI6のエージェントになる。MI6は金融資本と緊密な関係にある組織だ。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)
第1次世界大戦に参加するかどうかで帝政ロシアの支配層は割れていた。ドイツとの戦争に積極的な産業資本家と消極的な大地主だ。産業資本家側には有力貴族のフェリックス・ユスポフが、また大地主側には修道士のグレゴリー・ラスプーチンがつき、ラスプーチンの背後には皇帝アレキサンドロビッチ・ニコライ2世と皇后アレクサンドラがついていた。
戦争を望んでいなかった皇后は7月13日にラスプーチンへ電報を打って相談、ラスプーチンは戦争が国の崩壊を招くと警告しているが、その内容を盗み見た治安当局は議会などにリーク、ラスプーチンは腹部を女性に刺されて入院してしまう。入院中にロシアは総動員を命令、ドイツは動員を解除するよう要求。それをロシアが断ったため、ドイツは8月1日に宣戦布告している。ラスプーチンが退院したのは8月17日のことである。
すでにドイツと戦争を始めていたロシアだが、ラスプーチンが復帰したことでいつ戦争から離脱するかわからない状況。それを懸念したイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関のチームをペトログラードへ派遣。チームにはアリーとレイナーが含まれていた。(前掲書)
ペトログラードにおけるイギリスのお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年の10月後半から11月半ばにかけて6度運んだという。ユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(前掲書)
ラスプーチンは1916年12月30日に暗殺された。殺したのはユスポフだと言われているが、暗殺に使用された455ウェブリー弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたもので、殺害現場にいた人の中でその銃弾を発射できる銃をもっていたのはレイナーだけだったという。
ユスポフは上流社会の堕落に憤り、犯行に至ったとされているが、世界の上流社会は堕落している。そのようなことで憤る人物が上流社会で生きることはできない。
ロシアの「二月革命」でドイツとの戦争を継続することが決まると、ドイツは「即時停戦」を主張していたウラジミル・レーニンに目をつけるのだが、当時、ボルシェビキの幹部は国外に逃亡しているか刑務所に言えられていた。
そこでドイツはボルシェビキの幹部32名を「封印列車」でロシアへ運ぶ。ウラジミル・レーニンは1917年4月に帰国、7月にボルシェビキは武装デモを行うものの、鎮圧されてしまう。レーニンはフィンランドへの亡命を余儀なくされたが、結局、「十月革命」につながった。
こうした経緯があるため、ソ連とドイツとの関係は良かったのだが、この関係をアドルフ・ヒトラーのナチスが破壊した。このナチスがソ連に破れると、アレン・ダレスなどはナチスの幹部たちを逃亡させ、保護した。
この仕組みはNATOにも組み込まれ、現在のドイツでも影響力を維持している。ウクライナでのクーデター、パイプラインの爆破などでアメリカはドイツを弱体化させようとしているが、ドイツの支配層にはそうした工作に協力するグループが存在しているわけだ。
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