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※画像等はリンク先参照。
検閲されるマイダン虐殺(2014年キエフ政権転覆の要)の研究:隠される外部勢力の関与
<記事原文 寺島先生推薦記事>
The Maidan sniper killings were pivotal for the 2014 Kiev coup – why is research into the massacre being censored in the West?
https://www.rt.com/russia/570921-maidan-sniper-killings-censorship/
Evidence that external forces were involved has been suppressed for ‘political reasons’
マイダン狙撃事件は、2014年のキエフ・クーデターにとって極めて重要なものだった―なぜ欧米では、この虐殺事件の研究が検閲されているのだろうか?
2023年2月27日
マイダンに外部勢力が関与した証拠は、「政治的理由」で隠されている。
筆者:フェリックス・リブシッツ(Felix Livshitz)
出典:RT
2023年2月6日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳NEWSグループ>
2014年1月27日
警察との衝突中に火炎瓶を投げる反政府デモ参加者。ウクライナのキエフで、ディナモスタジアム近くのフルシェフスコホ通りで。© Brendan Hoffman / Getty Images
政治学者のイワン・カチャノフスキー(オタワ大学)は、2014年2月の狙撃によるウクライナのデモ隊の虐殺の証拠をまとめた論文を、「政治的理由」で学術誌に掲載されなかったことを明かにしました。その虐殺が、欧米が支援するマイダンのクーデターの決定的瞬間であったからだ。
「証拠は確かなものだ」
1月6日に投稿されたツイッターの長文スレッドで、カチャノフスキーはまず、自分の論文が却下された経緯と、その論文に含まれる爆弾のような証拠を明らかにした。この論文は当初、査読後に若干の修正を加えて受理され、同誌の編集者は彼の研究を高く評価し、こう書いている。
「この論文が、多くの点で優れていることは疑う余地がない。2014年のウクライナにおける政権交代に関する主流の筋書きに反する証拠を提供しているからだ。... 2014年2月18日から20日にかけてウクライナで起きた”ユーロマイダン”の大規模抗議デモの際に、デモ隊と警察を虐殺したのは誰かという解釈に対して、この研究が生み出す証拠は確かなものだと思われる。これについては、2人の評者の間でも同意が得られている。」
編集者が指摘するように、この虐殺は「政治的に決定的な進展」であり、自由選挙で選ばれたヴィクトル・ヤヌコーヴィチから、元保安庁(SBU)長官のアレクサンドル・トゥルチノフによる違法で狂信的な民族主義政権への「権力移行」につながったのである。この事件は、ウクライナ政府(ヤヌコービッチ政権)の残忍さの象徴として、西側メディアで延々と引用され続けている。それは、民主主義と自由しか求めておらず、無実の親西欧マイダン派抗議者に対する不当な攻撃として利用されているのだ。)
この殺害は、偽旗作戦であるという噂が、すぐに流れ始めた。それは、マイダンを埋め尽くしている膨大な群衆の緊張を煽り、当局に対する暴力を誘発するためのものであった。
2014年2月20日、ウクライナのキエフで、ウクライナ大統領と野党指導者の間で合意された停戦にもかかわらず、独立広場で警察と衝突を続ける反政府デモ参加者たち。© Jeff J Mitchell / Getty Images
西側メディアでは、何が起きたのかの本格的な調査は行われず、狙撃が反政府側内部の犯行であるという主張は、すべてクレムリンの 「偽情報」 として退けられた。しかし、NATOの大西洋理事会付属機関でさえ、2020年にこの大虐殺が未解決であることを認め、これが 「ウクライナに暗い影を落としている」 と述べている。
目撃者に聞け
しかし、運命の日に現場にいた警官たちの裁判が進行中であるので、未解決のままではいられないかもしれない。この裁判は1年以上前から行われているが、ウクライナ国外では全くと言っていいほど報道されていない。カチャノフスキーは、掲載を阻止された論文の中で、裁判の過程で出てきた目撃者の証言や映像の証拠をたくさん出している。
たとえば、事件で負傷した51人のデモ参加者は、裁判で、マイダン支配下の建物から狙撃された、また/あるいはそこで狙撃手を目撃したと証言している。多くは、マイダンの抗議者たちが支配する建物にいる狙撃手が警察を撃っていると話した。これは、カチャノフスキーが集めた他の証拠とも一致している。たとえば、デモ隊が管理する建物で狙撃手がいることを示す14の別々のビデオ、そのうちの10は、ホテル・ウクライナの極右武装集団が下の群衆を狙う様子をはっきりと映し出している。
全部で300人の目撃者が、ほとんど同じことを語っている。同期化されたビデオによれば、警察が発砲した特定の時間と方向は、特定のマイダン抗議者の殺害と一致しないばかりか、当局は単に群衆を分散させるために、壁、木、街灯、そして地面さえも狙っていたのである。
マイダン派と思われる狙撃手に狙われたのは、ドイツのARDのジャーナリストたちだった。ただ、当時、街にいた西側の報道局は彼らだけではなく、ベルギーの記者もいたのだが、彼らはマイダンのデモ参加者がホテル・ウクライナに向かって狙撃手に撃たないでくれと叫ぶ様子を撮影しただけでなく、参加者が積極的に殺害現場へ誘い込まれていく様子も撮影していた。しかし、この衝撃的な映像は放送されなかった。
2014年2月19日、ウクライナのキエフにある独立広場で、反政府デモ隊に石を投げつけるベルクート機動隊員。デモ隊はその石を投げ返していた。© Brendan Hoffman / Getty Images
CNNも同様に、極右勢力がマイダンのバリケードの後ろから警察に発砲し、その後、ホテル・ウクライナの11階から射撃する位置を探す様子を撮影した。その数分後に、BBCが極右議員の宿泊する部屋からデモ隊を撃つ狙撃手を撮影した。しかしそのとき、放送局はこのことを報道しなかった。
純粋にビデオ映像だけに頼る必要はない。カチャノフスキーは、裁判の過程で、14人以上のマイダン狙撃手集団の一員が、明確に虐殺の命令を受けたと証言したと主張している。一方、現場にいた警察官で、非武装のデモ参加者の殺害を指示されたと証言した者はおらず、そのような計画を内部告発した大臣もおらず、ヤヌコーヴィチが殺害を承認した証拠も出てきていない。
裁判とは別に、極右政党スヴォボダの指導者たちは、西側政府の代表が虐殺の前に、デモ参加者の死傷者が一定数に達したらヤヌコーヴィチの退陣を求めると明確に伝えてきたと公言している。この数字は、5人で十分なのか、20人で十分なのか、100人で十分なのか、といった具合に、両者で活発に議論された。最終的に報告されたのは最後の数字で、実際にウクライナ政府の退陣を求める声が上がった。
***
カチャノフスキは2021年にマイダンの虐殺に関する画期的な研究を発表しており、その研究は学者や専門家によって100回以上参照され、Google Scholarによれば、すでにウクライナ専門の政治学者として最も引用されている一人となっています。
この爆弾論文に加えられた政治的圧力は検閲に繋がったが、その政治的圧力の性質と源が何であれ、この動きは、ストライサンド効果*で、大きく裏目に出る可能性がある。実際、あの忌まわしい日に起こったことの真実が明らかになり、殺人の責任者が裁かれる一助となるかもしれない。
*ある情報を隠蔽したり除去しようとしたりする努力が、かえってその情報を広い範囲に拡散させてしまう結果をもたらす現象を意味する。
また、マイダン広場の抗議行動の本質と、マイダンが生み出した政府について、広く再考を促すことにもなるはずだ。野党の禁止、正教会への攻撃、反体制的なメディアの閉鎖、ロシアの文化と言語に対する戦争は、すべてこの結果なのである。
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