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「戦闘的リベラル」の気風を持っていた鈴木邦男さんとの思い出 永田町の裏を読む
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/321072
2023/04/05 日刊ゲンダイ ※後段文字起こし
新右翼団体「一水会」初代代表だった鈴木邦男さん(C)日刊ゲンダイ
日曜日に「鈴木邦男さんを偲び語る会」が開かれ、私も発起人のひとりとして出席した。言わずと知れた新右翼団体「一水会」の初代代表で、極右から極左までの幅広い交友を背景に独特の反権力論調を繰り出して多くの人々を魅了したが、この2年ほど体調を崩し、去る1月に亡くなった。
200人ほどの参会者の中でも、たぶん私は一番付き合いが長い方で、1966年に早稲田大学で学費値上げ反対の半年間ストライキ闘争が燃え上がり、私はその渦中にいたのだが、当時、彼は同大の「生長の家」系の右翼学生運動のリーダー。立場の違いこそあれ顔見知りで、校内ですれ違えば目礼くらいは交わす関係だった。
親しく話をするようになったのは「朝まで生テレビ!」がきっかけだったろうか、1990年代になってからで、ある時、私が彼の立ち位置を「右翼リベラル」と規定すると、「う〜ん」と少し考えた後に、「まあ君も左翼出身でありながらリベラルだからな」と納得してくれたりした。
リベラルの主要な特質のひとつは「多様性の容認」だが、嫌々ながら意見の違いや生き方の別々を認めるというのではなく、むしろ多様性のある人間関係や社会のあり方を積極的につくり出していこうと努め、そうした方が「面白いじゃないか」と言い切ってしまう「戦闘的リベラル」の気風を彼は持っていた。それをなぜ戦闘的と形容するのかというと、その裏側には「言論は凶器である」という信念があったからである。
これは言論に携わる者にとっては一番大事な戒めで、自分が取り扱っているのは凶器であるという強い意識を持って自らを制御することをしないと、論敵に意図しないほどの深手を負わせて立ち直れなくしてしまったり、また正面の論争相手でも何でもない周りの人たちに無用の浅手を多数与えているのに気づかないでいたりする。
言論は、自分自身の言説を含めて、怖くて危ない。だから自分が常に正しいとする思い上がりを避けて他人の多様な意見や主張や自分への批判を可能な限り尊重する。そうすると「あの人は優しい」とよく言われる。いや違う。「他人に優しく」することではなくて「自分に厳しく」することが本当の美徳なんですね。そんなことを鈴木と語り合ったことが懐かしく思い起こされる。
高野孟 ジャーナリスト
1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。
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