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「袴田事件」再審開始 この国で冤罪事件がたびたび起こる原因を改められるのか 永田町の裏を読む
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/320405
2023/03/22 日刊ゲンダイ ※後段文字起こし
再審公判の開始が決まり、あいさつする袴田巌さん(C)共同通信社
「袴田事件」の裁判やり直しを認めた東京高裁の決定に対して、検察当局は20日、特別抗告を断念した。今後開かれる再審で無罪となることはほぼ確定的である。
周知のようにこの事件は、1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起きた強盗殺人事件の犯人とされた袴田巌さんが自白に基づき起訴されたが、第1回公判から無実を主張、80年の死刑判決後も何度も再審を求め、その間、何と45年以上も拘禁され続けた一件。その間に「袴田が犯した(かもしれない)強盗殺人事件」ではなく、とっくに「警察・検察が犯した(に違いない)無実の袴田に対する冤罪事件」に変容し、まさにそのようなものとして決着したのである。
なぜこんな非道なことがこの国ではたびたび起きるのか。郷原信郎弁護士の近著「“歪んだ法”に壊される日本」(KADOKAWA、2023年3月刊)の表現を借りれば、「容疑を全面的に認めないと、勾留が続き、保釈も認められず、長期間にわたって身柄拘束が続くという『人質司法』」がまかり通っているからである。人質司法は一種の拷問で、それから逃れるには検察官の言い分通りに「自白」するしかない。こうして冤罪が生じるのである。
しかも検察は、ひとたび立件したら後に引き返すことはない。有罪判決を得なければ立件したこと自体が間違いだったと認めることになり、その責任が問われるからだ。さらに裁判所も「検察の主張どおりの有罪判決を流れ作業的に生産する場と化している現実」(郷原)があるので、簡単に検察の共犯者になり果てる。
日本の官庁も、社会的な存在である限り、主権者である国民との関係において「ガバナンスの強化」「情報開示義務」「説明責任」の3つを求められるが、検察は自らの行っていることは常に「正義である」としてそれらを無視してきた、と郷原は言う。
私なりに推測すれば、検察のみならず裁判所も警察も、国民が主権者だなどとは一度も考えたことがなく、戦前の天皇主権の下で天皇によってのみ「正義」を保証されて「お上」として臣民を好き放題に取り締まってきた時代をいまだに生きているのではあるまいか。
今回のことで彼らの化石的な思想が少しは改まるのかどうか。
高野孟 ジャーナリスト
1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。
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