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※紙面抜粋
※2023年3月18日 日刊ゲンダイ
※文字起こし
何のための会見?(C)共同通信社
放送法の解釈変更をめぐる総務省の文書を「捏造」と断じた高市経済安保相は、まだまだ強気の姿勢を崩そうとしない。17日の会見でも、「捏造」発言について「撤回するつもりはありません」と言い切った。
参院予算委で野党議員から「ずるずると答弁が変わり信用できない」と批判された際、「信用できないなら質問なさらないでください!」とキレた異例の“答弁拒否”も問題視されているが、これも撤回しないという。
総務省の文書には、放送法が定める「政治的公平性」について、第2次安倍政権下で言論統制を強めようとした経緯が子細に記されている。
当時の官邸で礒崎陽輔首相補佐官が気に食わない番組をやり玉に挙げ、総務省に圧力をかけて放送法の解釈変更を迫った。その結果、2015年5月に当時総務相だった高市が委員会で自民党議員の質問に答える形で、従来の「番組全体を見て判断する」から「一つの番組でも判断できる」にしれっと解釈を変更したわけだ。
高市は「官邸の影響は受けていない」と言い張り、16日には解釈変更の答弁の前夜に総務省側と交わしたとされる一往復のメールが参院予算委の理事懇談会に新資料として提出された。しかし、一部が黒塗りな上に一往復分だけでは前後のやりとりも不明で、これでは何の証明にもなりゃしない。
高市が「捏造」と言う4枚の文書については、当時の担当者などから聞き取り調査を行っているが、この結果も22日までに国会に提示するという。
高市が「捏造だ」と騒いでいるかぎり、4枚の文書の正確性、その確認作業、捏造でなければ高市は約束通り辞めるのかといった問題にばかり焦点が当たり、メディアへの不当な政治介入という本質は置き去りにされたままだ。
何を聞かれてものらりくらり
「安倍政権でメディアへの圧力を高める不当な政治介入の動きがあったことは、総務省の文書から明らかです。官邸の圧力によって放送が歪められたのであれば大問題で、それは放送法の解釈変更を維持している現政権も直撃する。しかし、岸田首相は、いたずらに国会審議を混乱させる高市氏を罷免するでもなく、かといって助け舟を出すわけでもなく、放置しています。まるで他人事のような涼しい顔で、高市氏が自滅するのを楽しんでいるかのような冷酷さにはゾッとする。高市氏に注目が集まっていれば、自分に批判の矛先が向かって来ないと考えているのかもしれません。高市氏や安倍元首相を悪役にしておけば、自分に火の粉は飛んで来ない。実際、ここへきて内閣支持率が微妙に上向き始めているから、内心ニンマリでしょう」(政治評論家・本澤二郎氏)
放送法の解釈変更は安倍政権時代のこと。総務省に圧力をかけたとしても自分は関係ない。岸田首相はそういう態度だが、それでいて、動機も手続きも不当と思われる放送法の解釈変更を見直そうとはしない。「一つの番組でも判断できる」という政府見解は「補充的説明」と強弁して撤回しようとしないのだ。ここに岸田の小狡さがよく表れている。
何を聞かれても、国民や野党の批判に真正面から答えず、のらりくらり答弁でやり過ごす姑息。それを恥じようともしない厚顔。食えない首相である。
政府の言い分垂れ流しの大メディアも情けない
16日の衆院本会議でも、岸田は放送法の政治的公平性の解釈は「一貫して維持されている」と言い、解釈変更が安倍元首相の負の遺産だという野党の指摘は「当たらない」と否定した。
「だったら、岸田首相ははっきり『政治的公平性は番組全体で判断する』『一つの番組で判断することはない』と明言して、安倍政権時代の放送法の解釈変更をあらためて上書きするべきでしょう。『変えていない』という表現だけでは不誠実だし、逃げている。それで押し通せると思っているのでしょうが、首相が曖昧模糊では政治不信、政治離れが進む一方です」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
一連の文書について、岸田は「総務省が責任を持って説明しなければならない」と他人事のように繰り返しているが、放送法の「政治的公平性」に関する現政権の見解はどうなのか。自分が責任を持って説明しろ! という話だ。
この期に及んで政府の言い分を垂れ流しているテレビも情けない。「一つの番組でも判断」と脅し、高市は総務相時代に「停波」にまで踏み込んだ。報道の自由を守る気概があるのなら、この解釈変更を撤回しろと、今こそ岸田に迫るべきではないのか。
総務省の文書によれば、首相補佐官だった礒崎は「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」「無駄な抵抗はするなよ」などと脅しまがいのセリフまで口にして、放送法の解釈変更を主導していた。
ところが、「総務省は関係者に聞き取り調査した結果、当時の礒崎総理大臣補佐官との面会はあったものの、解釈を変えるよう強要されたことはなかったと確認」と報道するのだ。当時の関係者が「大きな声量や強い表現があったようにも記憶しているが、いわゆる鋭い指摘の範囲内だと思っている」と証言したため、「解釈を変えるよう強要されたことはなかった」というのである。
カドが立たないよう穏当に言い換える“霞が関文学”の真骨頂とも言えるが、「恫喝」を丁寧に表現したのが「大きな声量の強い表現」だ。これで「強要はなかった」という政府の言い分をアナウンスするのは、テレビの自殺行為だろう。
善人ヅラした悪人はタチが悪い
「恫喝まがいの圧力で放送法の解釈が変更されたことは由々しき問題だ」とハッキリ言えばいいのに、歯切れの悪い放送局は何を守ろうとしているのか。言論の自由ではなく、自分たちの身分の安泰か? それで、今なお権力に忖度しているのか。
支持率アップに気を良くしたのか、きのう岸田が急に会見を開いたが、何をアピールしたいのか意味不明だった。「年収の壁」見直しや育休給付の拡充など子育て対策をブチ上げていたが、実施時期も財源もあやふや。何のための会見だったのか。それでも記者が厳しく質問することはない。
「大メディアが真正面から批判しないから、物価高に苦しむ国民生活を顧みずに軍拡と増税を推し進める岸田政権の支持率がなぜか上がる。それに気を良くして、岸田首相はますます独善的になる。メディアが政権監視機能を放棄してしまうと、国民にとって良いことは何ひとつありません。岸田首相はハト派の仮面で国民を油断させ、安倍路線を継承した軍拡や原発推進、さらには増税を強行する。放送法の政治的公平性をめぐる解釈変更が国会で炎上しているタイミングで大手メディア幹部と会食したのも、相当なタマと言うほかない。これも安倍路線の継承で、メディアをうまくコントロールしようとしているのでしょう。善人ヅラした悪人ほどタチの悪いものはない。こういう人物に権力を与えてはいけません。岸田首相の姑息さをメディアはもっと糾弾すべきです」(本澤二郎氏=前出)
安倍政権が残した負の遺産をちゃっかり利用し、自分は関与していないといい人ぶって、批判は安倍元首相や取り巻きに向かわせる。放送法の問題でも高市を風よけにして高みの見物を決め込む。狡猾というか、さもしいというか……。こういう人間のことを世間は卑怯と呼ぶ。
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