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※紙面抜粋
※文字起こし
停波にも言及(高市早苗経済安保担当相)/(C)共同通信社
連日、総務省の内部文書をめぐる問題が報じられ、テレビ画面に高市経済安保相の顔が映らない日はない。
この文書には、安倍政権下の2014年から15年にかけ、放送法が定める「政治的公平性」の解釈変更に関して、官邸が総務省側に圧力を強めていった記録が克明に記されている。
3日の参院予算委員会でこの文書が初めて取り上げられた際、当時の総務相だった高市が文書は「捏造」と断言し、捏造でなかったら辞めるとタンカを切ったことで、すっかり高市の進退問題にスリ替わってしまった感があるが、この問題の本質は、「報道の自由」に対する政治の露骨な圧力、不当な介入である。
これは民主主義の根幹を揺るがす大問題だ。総務省が「行政文書」と認めた後も、高市が「文書の正確性」にこだわり続けるのは、ある意味、論点ずらしとも言える。
安倍官邸は特定の番組を「けしからん」「おかしい」などと問題視。放送法の「政治的公平性」についての解釈を変えようと総務省に働きかけたことは、当時の首相補佐官だった礒崎陽輔前参院議員も自ら認めている。
文書には、礒崎の発言として、総務官僚に「抵抗しても何のためにもならない」「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」などとスゴんだことが記載されている。「変なヤクザにからまれた」という総務省側のコメントもあった。
そうやって官邸が相当な圧力をかけた結果、総務委員会での質疑と答弁という形で、放送法第4条の「政治的に公平であること」の解釈が事実上、変更されたのだ。注目される予算委ではなく、テレビ中継のない総務委でコッソリという手法がまた狡猾ではないか。
戦争の反省から生まれた放送法
15年5月12日の参院総務委で、礒崎のシナリオに沿う形で、自民党議員の質問に総務相だった高市がこう答弁した。
「一つの番組のみでも、国論を二分するような政治課題について、不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合は、一般論として、政治的に公平であることを確保しているとは認められないものと考える」
総務省は長年、政治的公平性は「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」と解釈してきたが、これ以降、「一つの番組のみで判断することもある」と答弁するようになった。それは岸田政権でも踏襲されている。
「1950年に公布された放送法は、メディアが権力と一体化してプロパガンダに走り、戦争に加担した反省からつくられました。権力の介入を防ぎ、憲法21条に基づく報道の自由を保障する目的で生まれたのです。政府の意向に従うことなく、放送局の自主性を重んじることが眼目で、放送法はそのための倫理規範と言っていい。批判を抑え込むために権力側が放送法を振りかざすのは、法の趣旨にまったく反しています」(立正大名誉教授の金子勝氏=憲法)
放送法の冒頭にはこうある。
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従って、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一、放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二、放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。
三、放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
「放送法遵守を求める視聴者の会」の不気味さ
放送法が謳う「不偏不党」は権力の介入に屈しないという意味であり、民主主義の発達のために、それを政府は保障する責務がある。もちろん、悪質なデマや差別を助長するような放送は論外だが、一番組だろうが、局全体だろうが、メディアへの政治介入など言語道断なのである。
だから、「政治的公平性」の解釈変更だけでもフザケているのだが、高市は16年2月の国会答弁で、さらに「電波法に基づいた電波停止」にまで踏み込んだ。偏向的な放送が続いた場合、停波を命じる可能性を示唆し、テレビ局を脅したのだ。
「その頃から大メディアはすっかり萎縮し、政権に批判的なコメンテーターはテレビ画面から姿を消してしまった。安倍長期政権の基盤がメディアコントロールで、それは14年に政権べったりのNHK会長を据えたことから始まっています。気に食わない番組や放送局を敵視し、脅し、政権批判を封じ込めてきた。子飼いの高市氏を総務相に起用したのも、メディアに圧力をかけるためでしょう。そんな国家の横暴に唯々諾々と従ってきた大メディアも情けない。権力に屈したら、もはやジャーナリストではありません。言論が衰退すれば、権力が暴走し独裁化する。民主主義は機能不全に陥ってしまいます」(政治評論家・本澤二郎氏)
総務省の行政文書は安倍官邸がメディア統制を進めていた事実を赤裸々にあぶり出したが、思い返せば、当時は異様な状況だった。
政府による言論弾圧を容認するのか
官邸による圧力と足並みをそろえるかのように、15年11月に産経新聞や読売新聞に突如、TBS「NEWS23」のアンカーを務めていた故・岸井成格氏を名指しで批判する「放送法遵守を求める視聴者の会」の意見広告が掲載されたのだ。岸井氏は当時、安倍政権が推し進めていた安保法制に批判的な立場だった。
「放送法遵守を求める視聴者の会」の発足当初の呼びかけ人は、すぎやまこういち氏、渡部昇一氏、ケント・ギルバート氏、小川栄太郎氏ら“保守論壇”の中心人物たち。いわゆる安倍応援団だ。
この会がテレビ局や総務省に対し、放送法第4条を遵守するよう求める公開質問状を送り、高市は「一つの番組でも不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合はある」などと返答。軌を一にして、「NEWS23」の岸井氏や「報道ステーション」の古舘伊知郎氏、「クローズアップ現代」の国谷裕子氏の番組降板が発表された。
「安倍政権は『戦後レジームからの脱却』を掲げていましたが、その実体は憲法改正や平和主義の否定、表現の自由の弾圧でした。その体質は岸田政権にも受け継がれている。放送法の解釈変更をめぐる総務省の行政文書が表に出てきたことを契機として、大メディアは今度こそ報道の自由を守るために協力し、総力を挙げなければなりません。日本の大メディアはクロスオーナーシップなので、テレビが狙われれば新聞も萎縮する。高市大臣の辞任は当然ですが、それは、はじめの一歩です。報道の自由は民主主義の根幹なのです。放送法の解釈変更は撤回させる必要がある。それができなければ、権力に従属するメディアに甘んじるということですよ。それこそ、権力の介入を許さないという放送法の趣旨を思い返してほしい。今度こそ権力の横暴としっかり対峙して、イビツな関係を是正しなければ、政府による言論弾圧を容認することになりかねません」(金子勝氏=前出)
公共の電波は権力者のものではない。国民の知る権利を担保するため、そして政権批判も自由にできることが民主主義のベースだから、格安で割り当てられているのだ。
放送局もその使命を肝に銘じて欲しいが、高市の進退に話題が集中し、そういう本質的な問題提起はほとんど見られない。今なお政権に忖度しているのか?
報道の自由を全力で守る気がない大メディアは、自滅の道を歩んでいるとしか言いようがない。
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