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特集/池田大作氏「称号・賞獲り」のカラクリ
"勲章の権化"と化した池田センセイ
段勲(ジャーナリスト)
昨年の春先、まったく無名の宗教家が他界した。葬儀を終え、しばらく月日を経て、遺族や信徒たちが書斎に入り、遺品の整理を行った。膨大な蔵書や机の中をかたづけているうち、これまで見たことのない賞状やら記念品が続々と出てきたのである。
生前、社会福祉に打ち込んでいたくだんの宗教家が、多くの公的機関や諸団体から贈られていた賞状などだった。所属の信徒はもとより、遺族さえも知らな かった受賞の数々。本人が話題にすることもなかったし、受賞の晴れがましい式典にも、出席を拒んでいたほどであったという。
信徒の供養で禄を食む宗教家は、生活を質素にする一方、弱者を救うことなど当然という哲理を持っていた師である。宗教家として、社会福祉などごく当たり前の振る舞いなのに、賞状など贈られること自体がおこがましいと思っていたようだ。
宗教家が、世間に褒められたり、まして賞など贈られることを、むしろ恥とさえ感じていたのである。だが、同じ宗教家でも、池田大作・創価学会名誉会長のような、勲章の権化と化した奇特な人物もまたいるのである。
「世紀の大思想家に並ぶ」の記事は 後世の語り草に
創価学会の機関紙、聖教新聞の一面記事が、「池田名誉会長の受賞紹介」で埋められるようになって久しい。勲 章、名誉教授号、名誉市民証、名誉会員の授与……。聖教新聞が_勲章新聞_と見間違うほどの変わりようだが、その極致に達した記事が、去る六月二十八日付 の同紙である。おそらく、後世の語り草になるとも思われる記念すべきその記事を紹介してみよう。
二面、三面をぶち抜いた大見出しは、「池田SGI会長の功績は世紀の大思想家に並ぶ!!」と、感嘆詞が二つも付いた大仰さ。上段に、池田氏が受賞してい る四枚のスナップ写真が紹介されており、その下段、横一列に、世界の思想家一二人の顔写真が並んでいる。いずれも、中学、高校の社会科教科書に登場するような世界史に燦然と輝いている著名人たちだ。以下、順次紹介してみよう。
聖教新聞(創価学会の機関紙)より
レオナルド・ダ・ヴィンチ :(池田氏は)「万能の天才を彷彿させる」ロシア・レオナルド・クラブ レオナルド国際賞
ナポレオン :(池田氏は)「英雄の精神遺産を宣揚」ナポレオン歴史協会 名誉会員
ヴィクトル・ユゴー :(池田氏は)「ユゴーの如き信念と実践」フランス・ロシェ社 平和・人道賞
ソロー :(池田氏は)「人間革命はソローと共鳴」アメリカ・ソロー協会 終身名誉会員
トルストイ :(池田氏は)「共に英知と真実の求道者」国際児童基金協会 トルストイ国際金メダル
デューイ :(池田氏は)「偉大なる教育者の後継」デューイ研究センター 人間教育貢献賞
ホセ・リサール :(池田氏は)「独立の父の人類愛を持つ」フィリピン・リサール協会 リサール大十字勲章
タゴール :(池田氏は)「詩聖と同じ文化の心が」インド・アジア協会 タゴール平和賞
マハトマ・ガンジー :(池田氏は)「マハトマと共通の平和行動」インド マハトマ・ガンジー民衆福祉財団 ガンジー平和賞
アインシュタイン :(池田氏は)「アインシュタイン博士が主張した建設的行動の人」世界平和国際教育者協会 アインシュタイン平和賞
魯迅 :(池田氏は)「魯迅、孫文、周総理と一致」中国・北京魯迅博物館 名誉顧問
キング :(池田氏は)「キング博士の非暴力を体現」アメリカ・モアハウス大学 最高学識者称号
ここに並んだ12の賞。ノーベル賞のように、世界的に知られた賞ではない。むしろ、初めて見聞する賞の方が多いが、世界の偉人たちと肩を並べる池田氏の"功績"に与えられた賞だという。
賞の重みはさておき、池田氏の功績は、このような世界史に残る偉人たちと同格なのかどうか。意見が大きく分かれるところだが、身内の機関紙とはいえ、こ こまで報じるとあっぱれというしかない。あと残されている世界の偉人は釈迦とキリストと、日蓮聖人ぐらいのもの。早晩、この偉人たちとも池田氏は、おそら く、同列に並べられるであろう。
世界の人口、五十数億人のなかで、聖教新聞で報じる池田氏ほどの偉人は見あたらない。皆無といっていい。それなのに、ノーベル平和賞の声はなかなかかからないし、肝心な日本国が、これまで池田氏に贈った賞は一枚もないのである。
急げ、小泉総理! 「勲章の王様」から 「裸の王様」へ
ただ、強いていえば、随分とむかしになるが、富士宮市から名誉市民号が贈られている。加えて近年、市町村など全国の地方自治体から立て続けに、平和貢献賞類の賞が贈られた。国より先に、市長や町長が池田氏の功績を認め始めたかと思われたのである。
だが、その地方自治体にしても心もとない。聖教新聞が一面で、連日のように報じていた地方自治体からの授与ニュースが、ぴたりとストップしてしまったのだ。流行病でもないのに、どうしてこうなってしまうのか。
理由の一つは、自治体の長が、一宗教団体教祖の「功績」を認める形で、税金で賞を授与する姿勢はいかがなものか。こうした意見が一部の議会で問題提起さ れ、一部のマスコミも追従した。以来、池田氏に対する地方自治体の賞贈りが、突然、途絶えてしまったのである。
自治体がやはりまずいと判断して自粛したのか。それとも、賞贈りを自治体に働きかけてきた池田・親衛隊が自粛したものか。察するところ後者と思われる が、それにしても近年、池田氏の勲章受章の多さが際だっている。一般紙から、かつて"勲章の王様"とまで報じられたほどだ。
こうした批判に池田氏は時折、二つの論法を用いて反論している。ひとつには、「学会の皆様を代表して受けている」「皆様も喜ぶから」と、いう。そんな気 持ちもあるだろうが、本意ではない。例えば、九六年末、東京牧口記念講堂で開催された本部幹部会で、先ほども登場したフランスの文豪、ヴィクトル・ユゴー を引き合いに出し、本人自らがこう発言しているのだ。
「辻(創価大学名誉教授)先生は、小説『人間革命』に対しても、ユゴーの思想と顕示性を求めずにはいられないと語り、さらに池田先生は生き方そのものが ヴィクトル・ユゴーを彷彿させるものであると、こう言っておられるんです。このへんでひとつ拍手でもしてくださいよ(場内拍手)」 たとえ、"辻先生"が本当に池田氏をそう評価したとしても、「世紀の大思想家」や真の宗教家なら、自ら口に出し、拍手を強要するようなみっともないまね はしない。むしろ、遠大な世界平和の実現を目標にする大宗教家が、大学教授あたりに、過去の一思想家に生き方が似ていると褒められたら、むしろ恥と思わな ければならない。その程度で喜び、拍手など求めていたら、それこそ苦難辛苦が伴う世界平和の実現などとても無理であろう。
もう一つは、池田氏がよく口にするのは「日本の民族は嫉妬心が強い」という言葉だ。日本人が他民族に比較して、果たして、嫉妬心が強い民族かどうかは分 からない。が、この言葉の裏には、「世間やマスコミは批判ばっかりして、どうして俺を偉い人だと認めないのか」という、いらだちが隠されている。
池田氏の目に余るこうした尊大さを助長させている背景には、常に取り巻いている側近にも要因がある。二人の元学会最高幹部が話していたこんなエピソードを紹介してみよう。
「私が池田氏に呼ばれて話し合う機会が出来たとき、いつも苦労することがあった。それは会ったとき、どうやって池田氏を褒めたら喜び、機嫌がよくなる か。そればっかりを考えていた。たとえば、どこそこの大学教授に先生の著書を読ませたら、ものすごく感動しておりました。少し大げさに作って伝えるこの種 の話が一番よかった」
要するに、側近のゴマすりである。もう一人の元最高幹部はこうだ。氏が青年部の男子部長時代、
「みんなは気づいていないが、池田先生は、中国の毛沢東を100人束ねたよりもまだ偉い人だ」
学会青年部を集めた会合で、こんな池田氏宣揚の指導をいつもしていた。名前を明かしてもいいだろが、福島源次郎元副会長(故人)である。ちなみに氏は晩 年、毛沢東を100人束ねた池田氏にあっさりと背を向け、『蘇生への選択』という意見書まで書き、池田氏の行動を痛烈に批判した。こうなると青年部時代、 福島氏は、池田氏を心の底から尊敬していたのかどうかも怪しくなる。
ともあれ、昭和三十五年の会長就任以来四〇年間、こうした側近だけに囲まれてきた池田氏は、故・内藤国夫氏がよく言っていたように、いつの間にか"裸の王様"になっていたのである。
勲章や名誉欲など、宗教家の対極にあることにもマヒし、むしろ側近者たちもそう煽ってきた。とりわけ、平成三年、宗門との離反以降、信仰の根本である 「本尊」の在りようがぎくしゃくしたことで、組織の求心力が失われた。肝心の本尊に替わる組織の求心力として、池田氏の存在の重さをより高める必要があっ たのである。その飾り付けとして勲章や名誉が欠かせないものになってきたのだ。しかし、急ぐあまり、無理も起こる。
脱会した海外幹部による、
「学会本部の命令で、大学から池田先生に名誉教授号が贈られるよう、努力せよと言われたことがある」
との証言が残されているし、また、インドのガンジー財団関係の賞贈与にしても、きな臭い話が取りざたされており、その政府記録書も手元にある。
また、隣国、韓国の各都市から池田氏は最近、とみに名誉市民号などが贈られ始めている。海を渡ってこれらに付随する様々な情報も寄せられており、早晩、続報としてまとめてレポートしたい。
https://forum21jp.web.fc2.com/contents8-1.html
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池田への名誉称号授与の背景を探る!
「寄付者には名誉称号」各大学が規定
驚き!!池田大作・創価学会に対する認知度。中国からの名誉称号数は全体の3分の1以上!
『慧妙』紙 最新号
◆50万ドル以上の寄付者には名誉職位!!
◆寄付と称号の因果関係は濃厚
池田大作に贈られた海外からの名誉称号獲得数は、ギネス級である。大学からの名誉称号だけに限っても、2010年7月現在、293件に達している。
不思議な事に、学会は池田が「世界の知性が認める偉大な人物」であると喧伝するが、それにしては爆発的な賞賛ブームが起きるでもなく、毎年、コンスタントに20個前後の名誉学位が小出しで授与されている。この現象は、海外からの顕彰が相手からの自発的なものでなく、創価学会からの計画的な働きかけで発生していることの証左ではないか。つまり、学会から寄付や贈書を行ない、それへの対価として名誉学位を授与してもらうよう、工作しているのではないか。そういう疑念が世間に渦巻いている。
このように言うと学会は、「デマだ」とか「授与してくださった国や大学、団体に対して、あまりにも無礼、非礼、極まる話だ」と反発したり「各大学からの名誉称号は、あらゆる角度で厳正な審査が行われる。そして教授会等での決議を経た上で、大学の総意として決定されるものだ。そんなことも知らない。調査しない。どれだけ幼稚か。『焼きもち』か」(引用はすべて聖教新聞幹部座談会=2005年10月10日付)と反論するが、彼らこそ大学の名誉称号システムについて無知か、あるいは知っていて故意に隠蔽しているのではなかろうか。
池田が獲得した名誉称号のうち中国からの名誉称号数は圧倒的(現在111個)で、全体の3分の1以上を占めている。そこで本稿では、池田への名誉称号増産国である、中国の称号授与事情について説明する。後は推して知るべしだ。
中国は近年、経済成長が著しく、GDP世界第2位の経済大国になろうかという勢いであるが、大学教育界はまだまだその恩恵に与っておらず、各大学とも資金調達に汲々としているというのが実情である。
そこで多くの大学は教育基金会を設立し、大学への国内外からの寄付の窓口としている。これは中国の名門大学ではない。超エリート大学である北京大学にも清華大学にも基金会があり、資金調達すなわち寄付獲得に努力しているのだ。
では、寄付と名誉称号の因果関係はどうか。
今年5月に池田大作に名誉称号を授与した、清華大学の教育基金会ホームページに、その辺の説明がある。
「海外からの50万ドル以上の寄付者には(中略)条件が整えば、大学の名誉各位あるいは指導的職務にに就いていただく。(趣意)」
最近何かと訴訟沙汰の多い、日本の新興宗教「ワールドメイト」代表の深見東州も、清華大学に5百万元(約7千5百万円)を寄付して、深見東州文化基金を設立し、清華大学の”顧問教授”になっている。これは「指導的職務」の方と思われるが、池田大作が受けた”名誉教授”は「名誉職位」に相当する。
やはり、寄付と称号授与の因果関係はかなり濃厚、と言わざるを得ない。
さらに、寄付の対価としての名誉称号を明記している大学もある。池田大作が1990年に名誉教授号を受けた武漢大学だ。
同大学のホームページにある「武漢大学資金調達経営管理方法(試行)」によると、
「第5条 1千万元(1億5千万円)以上の寄付提供者で、その他の相当条件を備えた者には、武漢大学名誉博士号を授与する。」
これは5年前に明文化された規約であり、池田大作が武漢大学名誉教授号を授与された20年前の相場とは異なるかも知れないが、寄付で名誉教授になるには大枚をはたく必要があるようだ。
以上、紙幅の関係で2大学しか紹介できないが、このように寄付の募集や寄付への礼遇は、どの大学も当り前の慣習として行っているのだ。もちろん北京大学にもある。
日本の早稲田大学ホームページの「寄付礼遇」について説明したページにも「財政的な授助だけでなく、本学の事業を支援し、大学の発展に寄付していただいた方には、『校賓』および『名誉博士』の称号もございます」との案内がある。
「名誉称号は金で買えない」などという学校側の反論が無力であることは、以上のことからも明らかである。
池田大作の数多の名誉学術称号は、上述のシステムを最大限に利用したものであろう。
その推測があながち的外れでないことを示す資料がある。
上海大学のホームページにある「上海大学1997年大事記」(学事年表)だ。
それによると、1997年3月26日に、創価学会副会長三津木俊幸と池田大作の秘書潮田普二が、シドニー大学の学長を伴って、上海大学の学長と面会している。
シドニー大学の学長(当時)は、私立大学学長という教育者の側面の他に、第1上海投資管理有限公司(投資コンサルタント会社)の社外取締役という顔も持っている。つまり投資実業家だ。
そういう人物を伴って、学会副会長と池田の秘書が上海大学を訪れ、その1ヶ月半後の5月12日に、池田大作に名誉教授称号が授与されているのである。そこに因果関係を感じるのは筆者だけであろうか。
◆「池田氏は日蓮正宗を称賛」だって!?
◆中国・池田研究機関のお寒い認識
学会は「世界の知性が池田先生の思想を求めている」と喧伝し、それゆえ世界中の各大学が名誉称号を贈っているのだという。
しかし、それが本当なら、創価学会と利害関係のない立場で、池田大作に好意的に言及したり、その思想を宣揚したりしている、団体や個人のページがインターネット上で絶無、というのはどういうわけか(英語圏および中国語圏の範囲での調査)。
それどころか、学会と利害関係のある組織や個人のサイトですら、いったい池田大作の何を知っているのかといぶかしく見えるページがあったりするのだ。
例えば、東北師範大学の「池田大作哲学研究所」のホームページだ。
この研究所は、中国で近年「ブーム」になって次々と誕生している池田大作研究機関の一つだ。
それらの研究機関は、創価大学が研究用図書を贈呈したり、看板を贈ったり、研究組織の役員に創価学会関係者がいたりと、学会のヒモ付きである場合が多い(専用HPで確認できたことはすべてそうだった)。次の記述は、そんな池田研究機関が設立後に開設したホームページで掲載していた、池田大作プロフィールの一節である。つい最近(2006年)の記述だ。
《池田氏は、日蓮正宗は「人間のための宗教」であり、「平和、文化、教育」を推進するための宗教であり、人間の美徳を磨き輝かせる宗教である、と言う。(中略)
青年部は創価学会の考えを実践し、創価学会の精神を身に付け、生命尊厳を至上とする日蓮正宗の教義信条として、平和運動を展開していくことを固く誓っている。》
なんと、池田や青年部が日蓮正宗をべた褒めしているではないか。
「池田大作哲学研究所」と「哲学研究所」の看板を揚げている研究所でありながら、池田の現在の宗教的属性すら正しく紹介できていないのである。
じつは上述のプロフィールは、20年以上前、中国青年報あたりに載っていた学会概要を引き写したものだ。
インターネットのあちこちに転がっている内容だ。
また、その内容が青年部紹介に特化しているところを見ると、おそらく学会青年部と中華全国青年連合会とが交流を始めた頃(1984年)に、学会側が中国側に提供したプロフィール資料であろう。
いずれにしても、「池田大作の哲学や行動を正視眼で見ることができる」(学会の主張)という海外の知性が、池田の基本属性も知らずに、大昔の資料を無検証に引き写し、知ったかぶりをしている、という状況なのだ。研究所設立後4年が経っているが、上記述が訂正されないでいるところを見ると、彼らはまだ、池田の宗教属性の変化(変節)に気づいていないようだ。
彼らは、いったい池田の「哲学」の何を研究している、というのであろうか。
◆称号授与した側の驚きの理解度
◆「自民党総裁池田大作氏が講演」だって!?
もうひとつ、池田を理解しているはずの中国のある学者の論文を紹介する。ここにも驚くべき記述がある。
湖南大学教授の馬偉林教授が、中国南宋時代の思想家について研究した論文に一節である。ここで池田への言及がある。
「日本の徳州時代、朱子学は官学になった。昨年初秋、日本を訪れた際、自民党総裁池田大作氏の創価大学の入学式のスピーチを聴いたが、その3分の2は朱子の学説について講じたものだった。」(『源頭活水』2007年6月)
驚かされるではないか。馬氏は名誉称号教授側の来賓として招かれていたのだ。つまり「池田の価値」を最も知っている立場として臨席していたのだ。
にも拘わらず、その1年後に書かれた論文で言及した池田大作に対する理解度はこの「程度」だったというわけだ。
もちろん大学者とはいえ、専門外のことはよく知らない、ということは当然である。池田の素性を知っていようが知るまいが、馬氏の学者としての評価には影響しない。
ただ、学会側が池田の名誉称号を過大評価するためによく言う「海外の学者の方が日本人より池田先生を理解している」とか、「大学の最高決議機関である評議会に推薦があった数多くの候補者の中から、副学長が委員会を務める学位審査会が審査するという、慎重で細心の手続きをおこなって決定している」などという主張が、いかにでたらめなものであるかを指摘するための例として挙げたのである。
上の2例からも分かるとおり、中国の学術界における池田大作に関する認知度・理解度はそうとう低いといえる。池田大作の「偉大さ」については、創価学会パンフで自称宣伝していることを知っている、という程度だろう。
このような程度の認知度で、さしたる学術成果もない池田が、中国から111個もの名誉称号を受けるには、それなりの手法に頼る以外にはあるまい。
創価学会は名誉称号授与に付随する”抽選的な社交辞令”を最大に利用し、学会員に「池田先生は偉大」と印象付けようと腐心する。
おそらく中国側も、そうした創価学会の恥ずべき体質に苦笑いしつつも、資金調達のためにも今後もせっせと名誉称号を贈り続けるであろう。
世界の大学が求めているのは池田思想ではなく池田マネーなのだ!!
https://ameblo.jp/jmuzu10812/entry-10640997394.html
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