>18さん 天皇は「王政復古の大号令」による律令制で復活した。 英国とは直接関係ないでしょうね。江戸幕府の朱子学が官学となり、その儒学思想(革命を認めている)の易姓革命は日本で起きな かった。 即ち、武力をもって政権(王朝)交替が無かったとなり、天皇に徳があり、禅譲で王朝が継承 され、臣下も君臣の義を守り下剋上を起こさなかった。 記紀や古文書から儒学思想で解釈した。 で、国体とは、アマテラスからの皇統と後期水戸学。(国体wiki参照) 権力継承は三種の神器で あったが、盗まれたり、海に沈んだり、神器を持たずに天皇となったりとさほど重要視されない。 統治権は、アマテラスの天壌無窮の神勅で、始馭天下之天皇(はつくにしらす すめらみこと)を 初代天皇・神武天皇とした。 御肇國天皇(はつくにしらす すめらみこと)と同名の崇神天皇。 天皇を歴史伝統とするは、明治の教育。 アマテラスは地上の平定にともなって、地上は我が子孫が 永久に統治する国として孫ニニギに三種の神器を持たせて地上に降ろした(天孫降臨) 日本書紀の 神代下の本文ではなく、一書曰に「葦原千五百秋之瑞穗國、是吾子孫可王之地也。 ・・・」 ニニギの子・ホオリは海神の娘を妻とした。 妻はウガヤフキアエズの出産を見るなといったが、ニニギは 覗き見した。 「天孫猶不能忍、窃往覗之、豊玉姫方産化爲龍」 妻は龍となっていた。 ウガヤフキアエズは叔母(豊玉姫の妹)を妻にし、神武天皇は「神日本磐余彦尊、凡生四男」生まれた。 神武天皇 「神日本磐余彦天皇 ・・・ 母曰玉依姫、海童之少女也」 神武天皇は「自天祖降跡以逮 于今 一百七十九万二千四百七十余歳」、ニニギから179万年経つと兄弟や子供に話した。 日本書紀原文 http://www.seisaku.bz/shoki_index.html おそらく歴史伝統の天皇を使う人は、こういうことを知らないと思われる。 記紀を編纂させた天武天皇 の700年代からは、法(律令制)に天皇があり、以降は法に規定されている。 天皇は1300年の歴史 は辿れるが、それより前のアマテラスからは、神話や物語と考えればいいだけと思いますけどね。 幕末の政治史は儒学(儒教)を基本に観ることでしょう。 英国の政治体制については、坂本龍馬の 議会、同じ土佐の後藤象二郎もアーネスト・サトウに質問をしている。 薩長は尊王攘夷思想の行動、 大半は下級武士、政治体制の知識を持つ公家により、王政復古の律令制が布かれたと考えられる。
で、「法の支配」(マグナ・カルタ)を一考してみるのがいいですね。 民主主義思想と儒教思想を 混在させることで、「天皇陛下と首相の関係をグチャグチャにしたのです」となるのでしょう。 陰謀論のようなペリー来航以来の米国圧力。 こういう論調は人物や巷間の歴史観の迎合。 英一番館(ジャーディン・マセソン商会)、トーマス・グラバーは長崎代理店。 このルートで長州5傑は 英一番館を通じて、英国密航留学し、下関戦争の講和仲介に、伊藤博文と井上馨は帰郷する。 薩摩15傑もグラバーを通じて英国密航留学。 薩摩は五代友厚と寺島宗則が、生麦事件の英報復で 捕虜となる。 この4人はアーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」に出てくる。 外交官で機密は 書かれていないと思うが、この4人とは連絡や相互の相談のようなことが載っており、英国外交の手先と なっていた可能性はある。 サトウは、高杉晋作らの英国公使館焼討事件の犯人は政府高官にいると 書いており、伊藤博文や井上馨は弱みを握られたいたように思いますね。 英国密航留学生は帰国し 明治政府の高官となる。 必然的というのか英国の「お雇い外国人」も多くなる。 儒教・朱子学の忠孝 は社会の底流にあり、外国人技術者の下で指導をされる日本人は感化されやすい。 (一夫一婦制や 夫婦同姓は、キリスト教倫理観からと云われている) Nスペシャルは視聴していまませんが当時の海外 情勢は、ネット検索で現代人の我々は知ることができる。 英国はアヘン戦争で清(中国)を植民地化。 パークスや前任者オールコックは、清の外交官を経験し、幾つかの攻撃事件の時の外交官。 武力 攻撃後の条約交渉外交官でもある。 しかし、英国は、日本で植民地化の方法は使えなかった。 兵站の拠点が上海で、兵站が海上輸送。 日本は連合国家で海軍の攻撃で藩中枢(城下)を制圧し、 拠点確保しても、中央政府(江戸)への歩兵進軍は困難。 幕府は、東海道(熱田と桑名は海の渡し) の川の渡しで江戸の防御策を講じている。 オールコックは、富士山へ登山した。 江戸については 中枢部を占拠しても広大すぎる多数の住民に大軍を編成しない限り困難としている。 オールコックは 清との違うアプローチで、西欧に万博で日本を紹介する。 ペリーは長崎を無視し、浦賀へ来航。 江戸湾は軍艦の喫水では浅くて侵入できなかった。 軍事だけでなく、英国は財政上(クリミア戦争の 戦費)から、侵攻は議会で承認されなかった。 他にも、武器を使わず、アヘンによる麻薬中毒者を 利用する方法もあったと思われる。 しかし、ハリスと日米修好通商条約を結んだことで、アヘン流入は 阻止されたと思われる。 米国との条約締結を一番先にしたことは、幕府の外交力があったと思う。 ただ、幕府は金(小判)と銀(銀貨)の交換比率(為替レート)でハリスの交渉に負け、金が流出して インフレを招いた。 領事裁判権は幕法で当然で、関税は長州の賠償金が原因(改税約書) Nスペシャルで報道されたかは分かりませんが、当時の古文書での幕府外交を一読のすすめ。 和蘭告密 《オランダ国王の開国のすすめ》 http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_dutchnews_kingad_main.html 別段風説書 《ペリー来航はオランダより知らされていた》 http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_dutchnews_kaei6.html#kaei5 江戸の外交指南役 オランダ領事 《ドンケル・クルティウス》 http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_holand_front.html#%E6%9C%AC ハリスの来日と日本の開国 その1 《ハリスの通商条約の必要性演説内容》 http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_harris_front.html#r1 この条約に反対したのが、尊王攘夷の御三家水戸・徳川斉昭。 長州の吉田松陰は、 「ハルリスは僕深く畏れず、虚言甚はだ多し。征夷府中に是れをさえ弁析のなきは嘆ずべし。然れども ハルリスの言逐一行はるる時は神州実に危し。 ハルリスの言虚喝ならば幸なり」。 陰謀論始め? 北山安世宛(書簡) 吉田松陰 http://www.yoshida-shoin.com/message/soumoukukki.htm (歴史は読めるから面白くて、吉田松陰はペリー艦隊に乗船密航を試みた。 密航は、佐久間象山の ジョン万次郎(幕府旗本)の話という。 その万次郎は徳川斉昭にスパイ疑いで通訳できなかった) いつの時代も。 「幕末元治慶応の頃、水戸浪人、新徴組党の風俗を真似、朱鞘木綿の割羽織、 小倉の袴、朴歯の下駄という出でたちなせし者。 江戸市中を徘徊し、商人等をおどし押借をなし、 料理屋又は妓楼へ登り、無銭にて飲食遊興をなせし者ありしと言」(古田豊 著)、浪士真似と呼んだ。 戯文は「オランダ名 ロウシマネ また コケヲトシ共云う異鳥。 文字は分からず。 此の異鳥は近来 アメリカ渡来此の方、天気人気によりて生ず。・・・」 尊王攘夷の世は、アメリカがー、アメリカがー。 〈水戸浪人は、尊王攘夷思想で、桜田門外の変や天狗党の乱を起す。新徴組は、浪士組が京都で 分裂し、京都は新選組、江戸に戻り再編成された。 新徴組・庄内藩が江戸騒乱で薩摩藩邸焼討〉 幕末史は人物で描かれることは多い。 英国は艦船を使い諸藩の要人と会見している。 そして、 なによりも、当時のバックグランドを説明することだと思いますね。
|