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安倍元首相こそが日朝交渉失敗の“道化役”だった まるで右翼活動家のような経歴 永田町の裏を読む
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/311364
2022/09/15 日刊ゲンダイ
小泉首相(右)は、北朝鮮訪問記者発表の前日まで、安倍官房副長官(左)には一切知らせなかった(C)日刊ゲンダイ ※後段文字起こし
和田春樹東京大学名誉教授の新著「日朝交渉30年史」(ちくま新書、9月8日発売)が面白い。
冷戦終結の波がようやく東アジアにも押し寄せ、1991年から日朝国交正常化交渉が始まり、やがて95年の大韓航空機爆破事件後の金賢姫証言をきっかけに北朝鮮への拉致問題に光が当たり出した頃から、昨年10月に岸田文雄新首相が最初の所信表明で「拉致問題は我が内閣の最重要課題です」と、安倍晋三・菅義偉両元首相と寸分たがわぬむなしい言葉を吐いたところまでの約30年間の日朝交渉の通史である。このような簡にして要を得た記述を一気に読み通すと、流れがよく見えてきて、同書の帯にあるように「なぜ難渋するのか? 交渉失敗の背景」がよく理解できる。
全体を通じての主役というか、舞台回しの道化役を演ずるのは安倍である。95年に村山政権が「戦後50年」のタイミングで過去の侵略戦争への反省を盛った国会決議をしようとすると、自民党内の右翼タカ派議員らは、あの戦争の戦没者たちは「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたのだとして決議に反対する議員連盟を結成したが、その事務局次長はまだ議員3年生の安倍。97年には「歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長、「拉致議連」の事務局次長、そして同じ年に「日本会議」とそれを支える「国会議員懇談会」が発足し、その中心に座る(亡くなるまで特別顧問)。
そのように安倍はまるで右翼活動家のような経歴を積んでいたので、02年に小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問して平壌宣言を結ぶに際して、小泉は記者発表の前日まで官房副長官である安倍には一切知らせないという非常措置をとった。これが「安倍のプライドに深い傷を与えたことは間違いない」と和田は述べている。
その通りだろう。その屈辱をバネにして彼は、後に「一時帰国」した5人の拉致被害者を北朝鮮に戻さないという強硬手段に出て日朝交渉そのものをブチ壊してしまった。そのため、首相になって「拉致問題に全力で取り組む」と力んでみたところで、自分では北の指導者に電話1本をかけるルートも持っていないという自業自得に陥ったのである。
もしかしたら、統一教会教祖の文鮮明と金正日・金正恩のカネまみれのチャンネルで何とかつながらないかと最後の期待をかけていたのかもしれないが、それも今となれば空疎な話である。
高野孟 ジャーナリスト
1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。
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