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※紙面抜粋
※2022年3月24日 日刊ゲンダイ2面
【一瞬で国も世論も変わっていく】
— 笑い茸 (@gnXrZU3AtDTzsZo) March 24, 2022
この国会を見ていると日本も必ず戦争に巻き込まれる予感
日刊ゲンダイ pic.twitter.com/EjnnrxP3h5
※文字起こし
「ウクライナに対する具体的な支援に感謝しています。アジアで初めてロシアに対する圧力をかけ始めたのが日本です。引き続き、その継続をお願いします」
ロシアによる侵攻が続くウクライナのゼレンスキー大統領が23日、日本の国会で「オンライン演説」を行った。その様子をNHKはじめテレビ各局が生中継。衆院ウェブサイトでもネット中継され、夕方のテレビやモニター画面はゼレンスキーで埋め尽くされた。
原発が攻撃され、1000発以上のミサイルや多くの空爆で、数十もの街が破壊されたと訴える演説は、あらためてロシアの暴挙に対する怒り、そしてウクライナへの共感を高めたはずだ。数千人が殺され、そのうち121人が子どもだと聞けば、誰だって胸が締め付けられる。
「一日も早く戦争が終わって欲しいと願わずにいられません。ただ、戦争は力と力の論理であり、日本がウクライナ側についてロシアとの戦争という構図に踏み込んだことを忘れてはいけない。ゼレンスキー大統領の演説が、他国議会でのアジるような演説に比べて穏便で抽象的な内容だったのは救いです。侵略戦争を仕掛けたプーチン大統領が悪いのは間違いありませんが、単純な善悪二元論で判断すると、イケイケドンドンの好戦ムードが高まりかねない危険性がある。それを利用する為政者もいるし、戦争賛美にもつながりかねません」(法大名誉教授の五十嵐仁氏=政治学)
ゼレンスキーの演説後に挨拶した山東参院議長が、「貴国の人々が生命をかえりみず祖国のために戦う姿を拝見し、感動しております」と声を張り上げたことは象徴的だった。
戦争は「感動」するものではない
山東は元俳優だが、これは映画などではなく、現実に起きている戦争である。多くの人の命が失われ、生活が破壊されている。断じて、感動しながら拝見する類いのものではない。家族や生活を奪われたウクライナ国民に心を寄せていれば、こんな言葉は出てこないはずだ。あくまで「国家」の為政者目線なのである。
山東は最後に「ゼレンスキー閣下、そして親愛なる日本の国会議員の皆さま、ともに頑張ってまいりましょう」と鼓舞していたが、「頑張る」って何をだ? 戦争をともに頑張るよりも、戦争を終わらせるために知恵を絞るのが政治家の仕事ではないのか。
「戦争に良いも悪いもない。このまま戦争が続けば、ウクライナ国民だけでなく、ロシアの若い兵士もたくさん死ぬのです。とにかく早く戦争を終わらせること、もっと言えば起こさないことが重要で、即時停戦を強く訴えることが、平和憲法を持つ日本の責務でしょう。難民の支援など、日本ができる人道支援は必要ですが、争いを長引かせるような支援はすべきではない。連帯すべきは戦争を継続するウクライナ政府ではなく、戦火に襲われているウクライナ国民のはずです」(五十嵐仁氏=前出)
日本は防弾チョッキやヘルメットなど非殺傷の防衛装備をウクライナ政府に提供しているが、それは戦争を支援するための物資だ。
苦しんでいるウクライナの人を助けたい、少しでも自分にできることはないかと考え、金銭的な寄付を試みた人もいるだろう。
それが戦争を続けるための武器弾薬を買うのに使われ、若い兵士の命を奪う可能性もあるという想像力は持っていた方がいいかもしれない。
同調圧力が異論を封じ一方的な流れにのみ込まれていく
戦争の恐ろしさは、当事者たちが一気に理性を失ってしまうことだ。ロシアは悪、ウクライナが正義という構図の戦争では、直接的な戦争当事国ではない日本の世論もあっという間に“ロシア憎し”に染まった。
ただでさえ、同調圧力の強い日本だ。絶対的な「敵」が現れたら、一瞬で国も世論も変わっていく。
ゼレンスキーの国会演説にちょっとでも疑義を呈すれば、「ロシアの味方なのか」と袋叩きにされる。それを恐れて口をつぐみ、ますます加速する一方的な流れにのみ込まれていく。この国は、こうやって太平洋戦争に突き進んでいったのだと得心させられる。「この非国民!」の戦時中から、何も変わっていないのだ。
「いざ戦争になれば、この国の大メディアは進んで大本営発表を垂れ流す。そうして異論は封殺されていく。いまロシアが国内に嘘の情報を流して戦争を正当化していることを批判したり哀れんだりする意見がありますが、それは戦前戦中の日本がやっていたことです。大メディアはやすやすと権力に従うし、日本国の『敵』をつくりあげることにも加担する。大メディアに期待できない以上、政府の暴走で国民が戦争に巻き込まれないためには憲法9条の歯止めが必要なのに、自民党政権は解釈変更で平和憲法を破壊してしまった。さらには、核共有や敵基地攻撃能力の議論が進んでいることに危惧を覚えます」(政治評論家・本澤二郎氏)
憲法上の「たが」は外れ曖昧なまま
第2次安倍政権が憲法を“解釈変更”し、2015年に安全保障法制を強行して以来、武力行使を制約する憲法上の「たが」は外れたままになっていることについて、朝日新聞(19日付)インタビューで元内閣法制局長官の阪田雅裕氏はこう語っていた。
<安保法制ができて『密接な関係にある他国』まで守れるようになった。そのために憲法解釈を変えたのに武力行使の限界はあいまいなままです>
<専守防衛なのだと言い続けるなら、普通の国とどこが違うのか、9条による『たが』をこれまで以上に『見える化』すべきです>
<日本はこれまで自国の防衛にあたり敵基地攻撃を米国に頼ってきました。日米安保条約に基づく米国の日本防衛義務や米軍駐留は変わらないのに、政府はなぜいま持つことを検討するのか>
何ができて、何はできないのか。核戦争の恐れも排除できないほど世界がキナ臭くなっている今こそ、きっちりとした法整備が必要ということだ。
岸田首相は敵基地攻撃能力の保有について、今年末に改定する国家安保戦略と防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画の3文書に盛り込む方針でいる。すでに有識者会合を重ね、検討が進められているが、議事録は作成していないという。要点をまとめた議事概要はあるが非公表。敵基地攻撃能力の保有は、戦後日本外交・安全保障の大転換につながる重大案件なのに、国民不在で進められている。
「プーチンの戦争によって世界は新しい安全保障の時代に入ったなどと言って政治家が軍拡をあおる中、野党が大政翼賛会化している状況は非常に危うい。日本維新の会はもともと与党寄りだし、予算案に賛成した国民民主党も与党の一翼となった。立憲民主党も腰が引けています。今夏の参院選で戦争反対を訴える野党勢力は壊滅しかねない。そうなったら、敵基地攻撃能力も憲法改正も一気でしょう。いつ戦争に国民が駆り出されてもおかしくない。国会議員や、その家族は戦地に行かないから、『国家』のために戦えと簡単に国民に命ずることができる。ロシアに対するウクライナの徹底抗戦で、国のために命をかける精神は美しいという風潮が広まれば、国民の命より国家の誇りという安倍元首相が夢見た大日本帝国の精神に戻ってしまいかねない。流されやすい国民性だけに心配です」(本澤二郎氏=前出)
戦争は国益のぶつかり合いであり、為政者は国家のメンツのために国民の命を危険にさらす。口では「国民の命と安全を守る」と言うが、彼らが守りたいのは「国家」だ。
番組司会者などで活躍した故・大橋巨泉氏は生涯にわたって反戦を訴え、「戦争とは爺さんが始めて、おっさんが命令し、若者たちが死んでいくもの」という言葉を遺した。それが戦争の現実だ。
敵基地攻撃能力の保有で周辺国との緊張を高める先に何があるのか。感情論に流されず、国民はマジメに考えた方がいい。
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