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知覧・神風特攻基地(記録映像)”なでしこ隊” 太平洋戦争
http://www.asyura2.com/22/reki8/msg/106.html
投稿者 中川隆 日時 2022 年 3 月 27 日 20:40:14: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: テレビドラマ 堀北真希 藤原竜也『東京大空襲 日本テレビ 2008年』 投稿者 中川隆 日時 2022 年 3 月 26 日 19:00:32)

知覧・神風特攻基地【記録映像】”なでしこ隊” 太平洋戦争

 

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コメント
1. 2022年3月28日 07:21:39 : yLyxuEx3MU : cnZrM3pSdTBWNE0=[6] 報告
同期の桜




「同期の桜」 大村能章(1893年12月13日 - 1962年 1月23日)
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/683.html
2. 中川隆[-13415] koaQ7Jey 2022年3月28日 10:48:06 : yLyxuEx3MU : cnZrM3pSdTBWNE0=[7] 報告
フジテレビドラマ「戦場のなでしこ隊」の醜い嘘
http://www.tamanegiya.com/kako/nadesikotai20.11.1.html

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。

平成22年12月7日追記

平成20年10月28日火曜日晴れ ×
 右の写真は、特攻隊の出撃場面を写したものとして、有名な一枚です。桜の小枝を手に見送りをしているのは、知覧高等女学校のみなさん。そして、一式戦隼に搭乗し、敬礼し笑顔で答えているのは穴澤利夫少尉(二階級特進後大尉)です。
 SAPIO一〇月二二日号において、小林よしのり氏が、この写真がもとになり製作されたという九月二〇日に放送されたフジテレビのテレビ番組「戦場のなでしこ隊」について、その製作姿勢を批判していました。
 そのフジテレビの番組ホームページには、下記のような事が書かれている。http://www.fujitv.co.jp/nadeshiko/index2.html

<当時の新聞は、こう書いた。
「特攻隊員たちは、みんな笑顔で出撃していった」と─。
しかし、少女たちが目撃したのは、出撃にとまどい苦しむ特攻隊員たちの、壮絶なる葛藤の日々だった。「なでしこ隊」の生存者であり、鳥濱トメさんとも親交の深かった永崎笙子さんの証言と、当時の貴重な日記を元にドラマ化。
ドキュメンタリーを織り交ぜながら、少女たちだけが見た封印され続けた特攻隊の真実に迫る。
_ フジテレビ報道番組部・成田一樹プロデューサーから
「2年前、特攻機を女子生徒が見送る一枚の写真をスタッフが見つけたことが取材のスタートでした。そこで、笙子さんとお会いし、『なでしこ隊』の存在を知ったのです。笙子さんには当時の日記を読ませて頂いたのですが、そこには、今まで伝えられてこなかった特攻隊員の姿が克明に書かれていて胸を打たれました。
笙子役を演じる成海さんには、悲しく切ないなでしこ隊の胸の内を本当に自然に演じてもらっています。本番組では、誰にも言ってはいけないと命じられた少女たちが見た特攻隊員の真の姿を、ドラマとドキュメントを織り交ぜ伝えてゆきます。 単なる戦争の「記録」に留まらない、少女たちの「記憶」に基づいた番組です。」
_ 永崎笙子(旧姓・前田)さんから
強烈な体験と当時の日記がなかったら、これほどはっきりとは記憶できていないと思います。この番組を通じて、多くの方々に63年前の真実を知って頂ければ幸いです。それが、私たち残された者の心からの願いだからです。
成海璃子さんは現代に生きる15才ですから、戦争体験を想像するのは難しいと思いますが、精一杯演じて頂ければ、ありがたいです。


あらすじとして、

<略)基地に足を踏み入れた笙子たちは特攻隊員らの殺気立った様子に、ただならぬものを感じる。だが、次から次へと基地に送り込まれ、慌しく出撃の時を迎える特攻隊員たちを前に、皆別れを悲しんでいる間などなかった。
新しい部隊の到着とともに現れた上官(勝村政信)は、基地の存在が極秘事項であることを告げる。もし口外すれば、スパイ容疑で逮捕するというのだ。さらに「基地内で、涙を見せるな」と命じられる。笙子は、何か大きな力に巻き込まれていくような、漠然とした不安を感じ、基地での日々を日記に残しておこうと思い立つ。

同じ頃、富屋食堂の店主・鳥濱トメ(薬師丸ひろ子)もまた、特攻の悲劇に呑み込まれようとしていた。軍の指定食堂だった富屋食堂には、多くの特攻隊員たちが訪れるようになったのだ。極秘の任務のため、自分が特攻隊員であることを、家族にさえ告白することが出来なかった特攻隊員たち。トメは、そんな隊員たちの誰にも見せられない悲しみを、母親代わりとなり、受け止めるようになっていた。
穴澤利夫少尉(山根和馬)もそんな隊員の一人だった。英国製の洒落たマフラーをしていた穴澤は、5度の出撃に失敗、上官から厳しく叱責されていた。実は、穴澤には婚約したばかりの恋人があり、彼女に伝えることもないままに、知覧に来たのだった。穴澤が肌身離さず身につけていた女物のマフラーはその婚約者のものだったのだ。
当時、「笑って出撃する」と伝えられていた特攻隊員・・・だが、彼らはそれぞれに家族や恋人といった大切な人たちとの別れの悲しみを押し殺していたのだった。
基地での日々を重ねるにつれ、笙子もまた、次第に特攻隊員たちの隠された姿を知るようになっていた。笙子が、本島桂一少尉(成宮寛貴)と出会ったのは、そんな時だった。
出撃の覚悟の固い本島は、残された人々の命を守るためには、自らの命を差し出すしかない、そう考えていた。だが、そんな本島も実は、誰にも打ち明けられない苦悩を抱えていたのだ。
しかし、それぞれがどんな事情を抱えていようとも、特攻隊員たちの出撃は、刻一刻と迫って来ていた─。 >

 
なでしこ隊と特攻隊として、
<当時、なでしこ隊のリーダーだった永崎笙子さんは、知覧基地での23日間の体験を日記に綴っていました。
その名は…「特攻日記」。
「特攻隊員の皆さんのことを、決して忘れてはならない」
そう誓い、書き残した少女の「記憶」―。
15歳の少女だけが見た特攻隊の真実が、63年の時を経て、初めて明かされます。朝お洗濯物をして午后ちよつと兵舎の掃除をしたついでにお話しを承る。大櫃中尉・・・
「空から轟沈」のうたを唄ふ。ありつたけの声でうたふつもりだつたが何故か声がつまつて・・・
本島機が後れて目の前を出発線へと行くと隊長機が飛び立つ。つづいて岡安、柳生・・・
_永崎笙子さんコメント
「強烈な体験と当時の日記がなかったら、これほどはっきりとは記憶できていないと思います。この番組を通じて、多くの方々に63年前の真実を知って頂ければ幸いです。それが、私たち残された者の心からの願いだからです。」>

 つまり、「ドキュメンタリーを織り交ぜながら、少女たちだけが見た封印され続けた特攻隊の真実に迫る。」、「本番組では、誰にも言ってはいけないと命じられた少女たちが見た特攻隊員の真の姿を、ドラマとドキュメントを織り交ぜ伝えてゆきます。 単なる戦争の「記録」に留まらない、少女たちの「記憶」に基づいた番組です。」「この番組を通じて、多くの方々に63年前の真実を知って頂ければ幸いです。」「15歳の少女だけが見た特攻隊の真実が、63年の時を経て、初めて明かされます。」
と、「実録ドラマ」ということを強調しているが、小林氏は「悪質なデマで作られた詐欺ドラマなのだ!」とSAPIOに書いています。

 私は、この放送を見ていないので、テレビの放送内容はあくまでSAPIOの小林氏の漫画掲載されていた文言よりの引用とさせていただきます。
<本島少尉は四月一六日に再出撃して戦死する。ドラマではでは前夜、本島少尉が笙子一人に夜の校舎で会っている。
 しかも本島少尉が黒板を叩いて泣き叫ぶシーンが描かれているのだ!>
<それを見て笙子は思う。「三週間前、私たちは軍神と讃えられた特攻隊員の御奉仕にただ興奮していました。けれども基地には神様はいませんでした。」
・・・・これがドラマのクライマックスである>

 小林氏はこのドラマが参考にしたという「特攻の町・知覧」(佐藤早苗著)を読んで、本島少尉と笙子氏のドラマで描かれた人格が違うと。
 <笙子氏は特攻隊を「神鷲」と呼んでいるし、本島少尉はそんな弱い男ではない!>と書き、<本島少尉は自分のお金を知覧女学校に寄付して、隊長の後を追って喜んで飛び立っていった!>
<男の中の男という感じで、女の前で未練がましく泣くような男ではない!>
として、
 <出撃当日、本島少尉はこう記している。
 「大日本帝国万歳
 元気テ行カウヨ沖縄島ヘ敵艦メカケテ体当リ
 花ノ都靖国神社ノコスエニ咲ヒテ会ウヨ
 至誠 本島」
 最後の四文字は血書である。しかし、この遺書も、ドラマでは完全に無視している。特攻隊員にもそれぞれ将来の夢があり、生きたいという気持ちはあった。当然である。だが人間には私人生と公人生があり、ぎりぎりの状況で私心を捨て、公心を選んで死んでいったものが特攻隊員である。その崇高な精神を「神」として顕彰し、靖国神社は祀っているのだ。>
<フジテレビのこのドラマは、「公心」を示す資料は無視し、「私心」で出撃前夜に泣叫ぶ姿を創作(ねつ造)までして、「基地に神はいなかった」と言う。サヨク・イデオロギーで、事実をねじ曲げ、特攻隊員を愚弄しているのだ!>
と書いています。
 私もそのとおりだと思い、手許にある本から引用し、本島圭一大尉(二階級特進後)、穴澤利夫大尉(同じく二階級特進後)について少しこの日記に書きたく思います。

本島圭一大尉
10月29日水曜日晴れ △
 私の手元にある「いざさらば我はみくにの山桜」(靖国神社 平成六年)と「知覧特別攻撃隊」(村水薫 ジャプラン 一九八九)には本島圭一少尉(二階級特進後大尉)の遺書、遺されたノートの内容、永崎笙子さんの日記が掲載されている。本島少尉については下記のように書かれています。
 長野県出身
 陸軍特別操縦見習士官一期
 大正一二年三月一二日生まれ
 昭和二〇年四月一六日没
 昭和二〇年四月一二日、特別攻撃隊「第六九振武隊」隊員として「九七式戦闘機」に搭乗、知覧基地を出撃のため地上滑走中、爆弾落下により離陸できず一六日再出撃、沖縄周辺洋上にて戦死。


 本島少尉が遺したノートには、御両親や兄姉宛てのご遺書が書かれているが、その最後に記した略歴の中で、
 一四日 知覧女学校ニ金二〇〇円寄フス 校長感激シ特攻神社ヲ作ル由ニテ 我々ノ方ガ カヘツテ感激セリ

 (注 本島少尉は同校長宅を訪ねる前、同校三年生で、女子勤労奉仕隊員として特攻隊の世話をされた永崎笙子さん<旧姓・前田)宅へ寄り、笙子さんの学費にと金三八円を置いていった)

 一六日 午前六時 知覧飛行場ヲ出発 沖縄着九時頃 敵艦ト見參ノ予定
     
 大日本帝国万歳
 元気テ行カウヨ沖縄島ヘ敵艦メカケテ体当リ
 花ノ都靖国神社ノコスエニ咲ヒテ会ウヨ
 至誠 本島
 (注 この四文字は血書)
 と、一二日出撃できなかった無念さと、一六日晴れて出撃できる喜びを記している。

 永崎笙子さんの「特攻日記」は、このテレビ番組を製作した「ジン・ネット」のホームページに二三日間の記録とあるように、昭和二〇年三月二七日から四月一八日まで書かれた二三日分の日記が総べてです。「知覧特別攻撃隊」にはその二三日分の日記が、現代語訳ですが、全文掲載されています。その本島少尉出撃前後の様子がフジテレビのホームページでは、三月一九日、四月一一日、四月一二日の三日分の日記の一部が紹介されている。たとえば、四月一一日は下記の部分のみ引用掲載されている。
<四月一一日
壮行会にて
「空から轟沈」のうたを唄ふ。ありったけの声でうたうつもりだつたが何故下か声がつまつて涙が溢れ出て来た。森さんと「出ませう」といふて弊社の外で思ふ存分泣いた。
私達の涙は決して決して未練の涙ではなかったのです。明日はあの世へと敵艦もろともなくなられる身ながら今夜はにつこり笑つて酔ひ戯れていらつしやる姿を拝見したとき、ああこれでこそ日本は強いのだとあんまりにも嬉しく有難い涙だったのです。
岡安さん、酔うて自動車にぶら下がつてお礼を言われる。何と立派な方々はかりでせう。森さんと抱き合つて泣いた。>

ところが、この同じ一一日の日記だけでも、その前に
<午前中、洗濯、縫物、掃除をすませて食事の後片付けを終え、午後から同部隊の特攻機が五機つく筈なので迎えに行く。戦闘指揮所で隊長、本島、岡安、酒井さんと共に待つうち二機着陸する。隊長さんはことのほかお喜び、二人の部下の方々も大変喜んでおられた。今から出撃までお世話になるからと挨拶をなさる。
「明日出撃だ。おまえたちもくる草々征くか」とおっしゃると「一緒に征きます」と元気な声でおっしゃる。
 その晩、二〇振武隊、六九振武隊、三〇振武隊のお別れの会が食堂であった。特別九時まで時間をもらって給仕をする。
前に隊長さん住所を書いてやるから家に出撃したことを知らせてくれとお願いされていたことを思いつき、酔っていらっしゃったけど住所をお聞きする。酒臭い息を吹きかけながら優しく書いてくださる。>
とこれだけの文章が書かれている。
そして、この箇所にはフジテレビのドラマでは一切描かれなかった本島少尉が慕っていた池田亨少尉の事が書かれている。

 同じく、番組ホームページには一二日の日記として、
<本島機が遅れて目の前を出発線へと行く。と隊長機が飛び立つ。続いて岡安、柳生、持木機、九七戦は翼を左右に振りながら、どの機もどの機もにっこり笑った操縦者がちらっと見える。二〇振武隊の穴沢機が目の前を行き過ぎる。一生懸命お別れのさくら花を降ると、にっこり笑った鉢巻き姿の穴沢さんが何回と敬礼なされる。
 パチリ・・・・後ろを振り向くと映画の小父さんが私達をうつしている。特攻機が全部出ていってしまうとぼんやりたたずみ南の空を何時までも見ている自分だった。何時か目に涙が溢れ出ていた。>の部分が掲載されているが、その池田少尉との出撃する一二日の永崎笙子さんの日記には、
<四月一二日
 今日は晴れの出撃、征きて再び帰らぬ神鷲と私達をのせた自動車は誘導路を一目散に走り飛行機の待避させてあるところまで行く。途中「空から轟沈」の唄の絶え間はない。先生方と隊長機の擬装をとってあげる。腹に爆弾をかかえた隊長機のプロペラの回転はよかった。本島さんの飛行機もブンブンうなりをたてていた。どこまで優しい隊長さんでしょう。始動車(発進の時にプロペラの回転が自動でできない機のためのもの)にのせて戦闘指揮所まで送られる。うしろを振り返れば可憐なレンゲの首飾りをした隊長さん、本島さん、飛行機にのって振り向いていらっしゃる。桜花に埋まった飛行機が通り過ぎる。私達も差し上げなくてはと思って兵舎へ走る。途中、自転車に乗った河崎さんと会う。
 桜花をしっかり握り一生懸命駆けつけた時は出発線へ行ってしまい、すでに滑走しようとしている所だ。遠いため走って行けぬのが残念だった。本島機が遅れて目の前を出発線へと行く。と隊長機が飛び立つ。続いて岡安、柳生、持木機、九七戦は翼を左右に振りながら、どの機もどの機もにっこり笑った操縦者がちらっと見える。二〇振武隊の穴沢機が目の前を行き過ぎる。一生懸命お別れのさくら花を降ると、にっこり笑った鉢巻き姿の穴沢さんが何回と敬礼なされる。
 パチリ・・・・後ろを振り向くと映画の小父さんが私達をうつしている。特攻機が全部出ていってしまうとぼんやりたたずみ南の空を何時までも見ている自分だった。何時か目に涙が溢れ出ていた。
 何も話す気はせずみんなで帰ろうとすると、本島、渡井さん、
本島さんは男泣きに泣きながら・・・・・「どうしたの」とお聞きすると「今日ね、爆弾が落ちて行かれなかった。隊長さんのところへ行くと(本島、後からこいよ。俺はあの世で一足先に行ってまっておるぞ)と言われただ。思わず残念で隊長機の飛び去っていった後、一人で思う存分泣いた」とのこと。渡井さんも「本当にすみませんでした」と涙ぐんでいらっしゃる。私達も今までこらえていた涙が一度にこみあげてみんなで泣いた。その夜、隊長さんのお通夜だと言って酒も飲まれず、今日いらっしゃった堀井さんが冗談をおっしゃっても只ぼんやりときいていらっしゃるだけだった。「本島、本島」と部下愛の深かった隊長さんを思い出すと泣けるから黙っていてくれとおっしゃる。
 立派な隊長さんと一緒に体当たり出来得ず又第二次総攻撃に参加できなかった事が残念だったことでしょう。>と黄色の部分のみ掲載され、同じく池田隊長と出撃できなかった事を残念がる本島少尉の様子が書かれた部分が掲載されていない。
 
 本島少尉が遺したノートにも、御両親や兄姉宛てのご遺書が書かれているが、その最後に記した略歴の中で、
 <一二日 第二次沖縄総攻撃ノ命下ル 小官地上滑走中 爆弾落下ノタメ離陸出来ス、 隊長殿ト共ニ出発デキス実ニ残念至極
 誓ひてし心は同じ心にておくれ身こそ悲しかりけり>
と、小林氏が書かれている池田隊長と出撃できなかったことを残念がる記述がある。

 これも、小林氏が指摘されているように、ドラマでは、この池田隊長の事も本島少尉がこの隊長と一緒に死ねなかったことを残念がっていたことも描かれていない。もちろん、フジテレビのホームページにも紹介されていないが、永崎笙子さんは日記に本島少尉の人柄について下記のように書いている。
<四月一四日
 今朝、食事の後片付けをしてから、書置、辞世を書いて戴く。帰りの自動車の中で敵撃滅のうたを唄う。夜空を仰いで亡くなられた方々を偲ぶ。誘導路を走ることしばし・・・・途中整備の方々が飛行機に取り組んで整備に余念なく、機は青い火をふいて回転していた。本島さんはその方へいちいち敬礼される。整備の方へ有難うの感謝の敬礼をされる操縦者。又、一生懸命故障なく明日の出撃にそなえて徹夜までする整備の方々。私達はそれを目前に見て、これだからこそ日本の兵隊さんはえらいんだと思うことだった。>

 そして、ドラマで出撃の前日の四月一五日に永崎さんが本島少尉と会い、目撃したシーンとして、
<本島少尉は四月一六日に再出撃して戦死する。ドラマではでは前夜、本島少尉が笙子一人に夜の校舎で会っている。
 しかも本島少尉が黒板を叩いて泣き叫ぶシーンが描かれているのだ!>
<それを見て笙子は思う。「三週間前、私たちは軍神と讃えられた特攻隊員の御奉仕にただ興奮していました。けれども基地には神様はいませんでした。」
・・・・これがドラマのクライマックスである>
(SAPIOの小林氏の漫画の文章より引用)
とされた永崎さん四月一五日の日記は、下記のようになっている。
<四月一五日
 明日の出撃にそなえて大変忙しい。遺品のつつみかた、後片付け、お掃除等。本島さんよりお願いされてマスコット人形を二つ差し上げる。明日は隊長の後を追ってあの世に行けると大変喜んでいらっしゃった。本島少尉様は小さい時お母様を失われた方だそうで、私にも母がないことを知って大変同情してくださった。「母なき後は母がわりとなってよき姉として強く生きるんだよ」と教えてくださった。慰問団くる。>
と、これだけが記されている。ドラマにあるような本島少尉の姿はない。あるのは、特攻という必死の前にも思いやりがあり、そして毅然たる態度の武人の姿である。そのりっぱな姿は、出撃当日の四月一六日の日記にも伺える
<四月一六日
 今日はいよいよ出撃だ。朝四時、森さん迎えにくる。飛行場まで特攻隊の方と自動車に乗って行く。胸に殉職された方の遺骨を抱いて悲しい顔ひとつなさらず「男なら」「同期のさくら」のうたをうたっていらっしゃる。今朝に限ってどのうたも悲壮にきこえてならない。白鉢巻きに白きマフラー、りりしい姿のお兄様方が戦闘指揮所前に並んでいらっしゃる。みな同じ服装で暗くてよくわからない。自分達の受持ちの方々を探していると本島さんひょっこり「おはよう」と声をかけられる。「六九振武隊集合!」と本島さん。皆集まられて最後の話にふけることしばし。本島さんは隊長さんに戴いた菊水の鉢巻きをしていらっしゃる。散りかけた八重桜を差し上げると大変喜ばれた。二つのマスコットのうち一つを愛機に、一つを飛行時計へぶらさげられたとのこと。自動車で出発線のところまでいかれる。渡辺さん見えなくなるまでハンカチを振られる。滑走をはじめた飛行機がつぎつぎと離陸する。東の空が少し白みかけたころだった。薄暗い中にもはっきりと「もとしま」と書いた飛行機が飛び立つ。「アッ本島さんだ」と思うとすぐ「わたい」そして堀井機が飛ぶ。三機編隊を組んで飛んで行く。堀井機がものすごく低空をとぶ。思わず冷や汗が出る。最後までお送りして兵舎へ帰る。しかし何時までも何時までもぼんやりと考えこむ。日の出と共に最後の基地を飛び去って征かれた神鷲の御成功を祈りながら。今朝の感激を語り合っていると山下少尉一人帰っていらっしゃる。「すみませんでした」と紙片を渡される。五名(渡辺、堀井、渡井、中山、山下)の名が記されてある。これだけ五名ゆかれなかったんだ。そうすると征かれた方は本島さんと・・・・河村さん・・・・どんなことがあっても今日は征くと言っていらっしゃった御二人。午前九時半、本島、河村さん無事体当たりなさった頃、南へ向かって黙とうを捧ぐ。今でも元気な声で「空から轟沈」を唄う本島さんの声が聞こえるようだ。>

 この日記を基にしたというドラマにしては、私はあまりにも本島少尉の実像と懸け離れたものであると思わざるを得ません。<「公心」を示す資料は無視し、「私心」で出撃前夜に泣叫ぶ姿を創作(ねつ造)までして、「基地に神はいなかった」と言う。サヨク・イデオロギーで、事実をねじ曲げ、特攻隊員を愚弄しているのだ!>という小林氏の御指摘が正しいと私は思います。

特攻隊の笑顔
10月30日木曜日晴れ ××××××
 このドラマの副題に
 「少女達だけが見たメ特攻隊モ封印された23日間」となっているこの二三日間とは、永崎笙子さんの日記が昭和二〇年三月二七日から四月一八日まで書かれたものがすべてであるからです。
フジテレビ報道番組部プロデューサーの成田一樹氏はホームページで、
「笙子さんには当時の日記を読ませて頂いたのですが、そこには、今まで伝えられてこなかった特攻隊員の姿が克明に書かれていて胸を打たれました。」と書かれているが、その日記の全文は、手許にある「知覧特別攻撃隊」にも女史勤労奉仕隊員の記録と題され掲載されていますが、永崎さんの日記に克明に描かれていると成田氏がいう「今まで伝えられてこなかった特攻隊員の姿」とは一体なんなのでしょう。

 永崎さんの日記のどこにも泣叫ぶ本島少尉の姿も、悩む穴沢少尉の姿も描かれていません。あるのは、出撃の四月一二日に「一生懸命お別れのさくら花を降ると、にっこり笑った鉢巻き姿の穴沢さんが何回と敬礼なされる。」と描かれた穴沢少尉は、あの有名な、桜の枝で見送る知覧高等女学校生徒に対して、笑顔で敬礼しながら爆装一式戦「隼」にて出撃する姿です。

 本島少尉は「四月八日 本島さん、椿とつつじの花をくださる。今頃つつじの花がと皆で珍しがって松の木にさす。これが枯れたら本島さんが出撃なさって体当たりなさったときよと話し合ってさす。」そして、出撃の四月一六日には「 自分達の受持ちの方々を探していると本島さんひょっこり『おはよう』と声をかけられる。『六九振武隊集合!』と本島さん。皆集まられて最後の話にふけることしばし。本島さんは隊長さんに戴いた菊水の鉢巻きをしていらっしゃる。散りかけた八重桜を差し上げると大変喜ばれた。二つのマスコットのうち一つを愛機に、一つを飛行時計へぶらさげられたとのこと。」と日記に書かれています。
 本島少尉は出撃前に、「四月一四日 知覧女学校ニ金二〇〇円寄フス 校長感激シ特攻神社ヲ作ル由ニテ 我々ノ方ガ カヘツテ感激セリ」と自身のノートに遺しています。それだけでなく、永崎さん宅へ寄り、学費にと金三八円を置いていっています。私は、これらから思い浮かぶのは必死の特攻に臨むにあたってもなを感謝を忘れず、そして、他人を思いやる心を持つ優しき武人の姿です。

 元にしたという日記に書かれている事を無視するばかりでなく、書かれていない事を捏造までするこのフジテレビの意図はなんなのでしょう。 何度も書かせていただきましたが、特攻という作戦そのものについてはいろいろあるでしょうが、その作戦に武人として殉じた先人たちを屈辱する事は許されません。
 小林氏の書かれている<特攻隊員にもそれぞれ将来の夢があり、生きたいという気持ちはあった。当然である。だが人間には私人生と公人生があり、ぎりぎりの状況で私心を捨て、公心を選んで死んでいったものが特攻隊員である。>という言葉は重く、そのような先人の命により今の我々が生かされているということを忘れてはならないと思います。
 私は、このテレビ番組の制作スタッフは、自分もこうだから、きっと特攻隊員もそうに違いないと思い込んだのかもしれませんが、それは、先人の崇高な行い、思い、境地を認めぬという他人を見下したいかにも腐れマスコミらしい考え方です。そんな連中が作ったドラマがこのドラマだったのです。
 参考および引用
 SAPIO平成二〇年一〇月二二日号 小林まこと「ゴーマニズム宣言」P五九〜六一
 「いざさらば我はみくにの山桜」(靖国神社 平成六年)P八〇〜八二
 「知覧特別攻撃隊」(村水薫 ジャプラン 一九八九)P七六〜八八

いまさらながらですが


フジテレビドラマ「戦場のなでしこ隊」の醜い嘘 追記2


平成22年12月7日火曜日晴れのち雨 △

 今我が国の多くの放送局、あるいはその親会社が外国人により株式が買い占められています。

 たとえば、外国人株主が「建前」放送免許取り消しラインギリギリの十九・九九%というフジテレビ。

まあ、この数字についてもこう開き直っております。

<(1)名義書換の拒否について

当社は、平成20年10月1日を効力発生日とする新設分割及び商号変更を行い、従来の放送事業会社から認定放送持株会社に移行しました。

認定放送持株会社は、放送法で定める外国人等の有する議決権について、上掲@からBまでに掲げる者により直接に占められる議決権の割合とこれらの者によりCに掲げる者を通じて間接に占められる議決権の割合として総務省令で定める割合とを合計した割合が、議決権の20%以上となる場合には、放送法の規定により、認定放送持株会社の認定が取り消されることになります。そのため、このような状態に至るときには、外国人等からの株式の名義書換請求等による株主名簿への記載・記録を拒否し、又は、外国人等の議決権行使を制限することができるとされています(放送法第52条

の32第1項及び第2項)。>

http://www.c-direct.ne.jp/public/japanese/uj/pdf/10114676/20091021178336.pdf


つまり、「外国人等からの株式の名義書換請求等による株主名簿への記載・記録を拒否」して維持しているのが十九・九九%という数字です。

実際は、二五・八四%もの株式が外国人に握られています。

証券保管振替機構のホームページより

http://www.jasdec.com/reading/for_pubinfo.php


 こういった会社ですから、いろいろとやってくれます。


 有名なのは浅田真央選手に対しての扱い。

http://www.youtube.com/watch?v=wE3d5wB4NFw


 南朝鮮国歌は流すのに、日本選手が優勝しても国歌を流さない。

http://www.youtube.com/watch?v=nPKT0DznO7g


 サッカーでは二〇一〇年一〇月十二日の国際親善試合を「韓日戦」と放送。


 昨年の十月にフジテレビドラマ「戦場のなでしこ隊」の醜い嘘というのを書いたが、その後、すぐにこのテレビドラマを録画したDVDを、親しくさせていただいているIさんというお客様から観せていただく機会がありました。


当時、Iさんと話をしていて、すぐに私が否定したことがあります。


 それは、ドラマにも登場する穴澤利夫少尉(二階級特進後大尉)の婚約者である孫田智恵子さんの事です。


 このドラマを観ている人はほとんどは、穴澤少尉の婚約者であった智恵子さんという方が、戦後も穴澤少尉のことを思い続けて独身のままでいらしたと思っているのではないでしょうか。


 当然、Iさんもそうでした。


 Iさんがそう思ったその原因は、観ているものをそのように思わせるこのドラマの作り方にあると思います。


 残された孫田智恵子さんあての穴澤少尉の遺書には下記のような箇所があります。


「あなたの幸せを希う以外に何物もない。


 徒に過去の小羲に拘る勿れ。あなたは過去に生きるのではない。


 勇気を持って過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。


 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。


 穴沢は現実の世界にはもう存在しないのだ。


 略)


今更何を言うかと自分でも考へるが、ちょっぴり欲を言って見たい。


読みたい本 「万葉集」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」


観たい画 ラファエル 「聖母像」、芳崖「非母観音」 


智恵子 会いたい、話したい、無性に。


    今後は明るく明らかに。


    自分も負けずに明らかに笑って征く


   


     昭和二十年四月十二日       」


 孫田智恵子さんは、この穴澤少尉が「あなたの幸せを希う以外に何物もない。徒に過去の小羲に拘る勿れ。あなたは過去に生きるのではない。」と遺書に書かれたように、昭和二十九年、友人の紹介により伊達亟夫氏と結婚して、孫田より伊達に性が変わっているのです。


 (昭和四十八年に夫である伊達亟夫氏はお亡くなりになっている。)


 ところが、婚約者である孫田智恵子さんの苗字、「孫田」という苗字が一度もこのフジテレビのドラマにはただの一度も出てこない。


出て来るのは伊達智恵子という名前と「六十三年間ひとりの男性を思い続ける」というナレーション。

 


 

 「六十三年ぶりの対面」という穴澤少尉との軍服を抱いて嗚咽する場面でのナレーション。

 


 いずれも伊達智恵子さんと紹介されている。


 主人公のひとりであるなでしこ隊の前田笙子さんは、結婚して永崎笙子さんに変わったことなど、画面には何度も「永崎笙子(旧姓前田)」とわざわざ書かれている。

  

 


他のなでしこ隊の方も同じです。

「菊永トミ子(79歳)(旧姓上野)」


「前田要子(78歳)(旧姓森)」


 昭和四十四年に永崎笙子さんを訪ねる場面では画面には下記のように

「永崎笙子(35歳)旧姓前田」と表示される。

伊達知恵子さんの場合は、

「穴澤の婚約者 伊達智恵子 (45歳)」と表示される。


 「永崎笙子(旧姓前田)」とは表示しているのに、「伊達智恵子(旧姓孫田)」と表示しないのである。


  大東亜戦争時代の写真でも同じです。

 永崎笙子さんの場合は「前田笙子(当時15歳)」


 

 菊永トミ子さんの場合「上野トミ子(当時15歳)」

 


 伊達知恵子さんの場合は「穴澤の婚約者 知恵子(当時21歳)」

 だけです。

 

 

 伊達智恵子さんは、両足が不自由になった夫の伊達亟夫氏がお亡くなりになるまで一生懸命尽くしてこられたそうです。そして、その後の人生を、先の遺書の最後にあるように「智恵子 会いたい、話したい、無性に」と遺書に残された穴澤少尉との思い出に浸りながら生きてきたとしても何もウソはないでしょう。


 フジテレビのこのドラマは、そんな智恵子さんの結婚を隠すことにより、戦争の悲惨さを描こうとしたのかもしれないが、それは、知恵子さんの夫である伊達亟夫氏だけでなく、この遺書に記されている穴澤利夫少尉の思いを蔑ろにしているとしか私には思えない。

ちなみに、このゴミドラマを作ったのは

企 画

立松 嗣章

プロデュース

成田 一樹

中津留 誠(アニマ21)

西田 治彦(ジン・ネット)

中山 ケイ子(FCC)

演 出

田島 大輔(FCC)

大川 卓弥(ジン・ネット)

というクズどもです。


 

 このドラマが参考にしたという「特攻の町・知覧」の著者佐藤早苗氏は、続編である「特攻基地 知覧 始末記」(光人社 二〇〇八年刊)にあとがきとして下記のように書いています。


長くなりますが、その一部を引用したいと思います。


以下引用


<一番驚いたことは、日本人の変貌である。一分の隙もなく、今も厳然と存在しているのは、まさにぶれることなく敵艦めがけて目的を果たした特攻隊員たちだけだった。


 そしてそれをありのまま保ち、伝え続けているのは靖國神社や、特攻祈念館など、特別な場所だけだ。つまりそこに行って自分で確かめなければ、真実には出逢えないということだ。


 この「変貌」は、決して歴史の風化でもなければ忘却でもない。明らかに人為的意図的改竄である。


 現代人が、自分たちの価値観や好みに合わせて勝手に「特攻」を作り替えてしまった、ということだ。


 人間一人の命の重さとか、あの戦争は間違っていたとか、これらは戦後の考え方で、当時はなかった価値観だ。


 それぞれの考え方で、戦争や「特攻」を論ずるのは自由だが、「事実」を歪曲するのは間違っている。恐らく戦後教育を受けた世代に迎合した小説や映画を作っているうちに、徐々に本来の真実の姿までねじ曲げてしまったのだろう。


 

もっともわかりやすい例を一つあげると、「特攻隊員たちは、みんな嫌々出撃していった」という決めつけだ。これは、天皇陛下のためだの、国のためだの、肉親のために自分の命をかけて敵艦に突っ込むなど、絶対にできない現代人が、自分の能力で憶測し、作り上げたフィクションだ。


 平和な世の中に暮らす人たちが、たった六十三年前のこととはいえ、突然逆転した価値観を徹底的に植えつけられたことを思えば戦争中の切迫した状況は想像しにくいのは解る。


しかし、現実は現実として認めるべきだ。


 私も戦争には絶対に反対だし、まして特攻作戦などという無計画で刹那的な作戦は認めない。だが、それとこれとは別問題だ。いいことも悪いことも、納得できないことも、事実は事実として受け止め、公正な歴史を後世に伝えなければならない。どんな歴史であっても、それは決して切り離された「額の中の絵」ではない。時間は必ず繋がっていて、その上に新しい歴史を紡いで行くことになる。>


引用終わり


(「特攻基地 知覧 始末記」佐藤早苗 光人社 二〇〇八年刊)P二百二十五〜二百二十七


 このドラマのように「永崎笙子さんの証言と、当時の貴重な日記を元にドラマ化。ドキュメンタリーを織り交ぜながら、少女たちだけが見た封印され続けた特攻隊の真実に迫る。」といいながら、事実を隠し、なかった事を事実のように描くことが許される筈もありません。


 何度も書きますが、特攻という戦法については当然批判されるべきであるが、


国を守るために散華された先人については、その覚悟、生き様は事実を伝えるべきであると思います。

 今日、ちょうどこの「戦場のなでしこ隊」のビデオでお世話になったIさん来店。

 Kさん二名様で来店。

 Wさん御夫妻来店。

 江戸川橋でお店をやる事が本決まりだそうです。

 今日はサプライズと言うか何と言うか、大阪で地下鉄と喧嘩して負けて、右腕骨折で手術までして、禁酒中だというoresama777さんが、「医者もびっくりの回復力」(あくまで本人談)ということで、来店。

約束してあった「美丈夫 うすにごり」でドンチャン。

帰りは東西線の車両と喧嘩せんかったようです。

 ドンチャン。

 今日は記憶はあったと思ったが、

やっぱ、サル。

 でも、エビではない。


 このフジテレビのドラマはその他に、知覧の特攻の母と言われて有名な鳥濱トメさんについても非常に無礼な描き方をしているそうです。

http://www.tamanegiya.com/kako/nadesikotai20.11.1.html

3. 2022年3月28日 11:10:06 : yLyxuEx3MU : cnZrM3pSdTBWNE0=[8] 報告
特攻隊にみる日本人の死生観
http://www.tamanegiya.com/kako/totkoutaitoutukusisa.html

平成17年7月27日水曜日晴れ 台風一過メチャ暑い 
 右の写真を見ていただきたい。これは、写真集「特別攻撃隊」(国書刊行会昭和55年発行)に掲載されている写真です。この写真の特攻隊員、機付兵の方のお名前はお二人とも不明ですが、写真のキャプションとしては
<この点景、あまりに日本的、あまりに美しくそして悲しい。死に臨むものそして断腸の想いをもって送る者、共に風雅の心を失わなかった。それが日本人であり、その心根、今日も失われていないと信じたい。>となっています。

 これとともに、先の本「いざさらば我はみくにの山桜」に掲載されていた三名の特攻隊員の方をぜひ紹介しておきたく思います。

 時任正明海軍大尉
(中央大学)昭和二十年四月六日、神風特別攻撃隊「第一早薙隊」隊員として「九九式艦上爆撃機」に搭乗、第二国分基地を出撃、南西諸島洋上にて戦死。
 時任少尉(後に二階級特進にて大尉)は出撃前夜に御実家に連絡をとっている。


「国分の息手さんから電話です」役場の小使いさんの呼び出しに、時任少尉の、両親、祖母、姉は役場へ急行する。出撃前夜、第二国基地から時任少尉最後の電話だった。
父「正明か、征っておいで、家の事は何も心配いらない。立派に戦っておいで、成功を祈る」
母「正ちゃん、いよいよ征きますか。元気で征ってください」
姉「正ちゃん、元気でお征きなさい。心残りなく戦って下さい」
思い思いの声が受話器にすがる。
父「おばあさん、これが正明の最後の電話ですよ。・・・・・よく聞いておきない。涙声を出さないように・・・」
 促されて祖母は生まれて初めて受話器をとった。
祖母「正ちゃん、明日発ちますか。行っておいで。そして元気に帰っておいで・・・・」
後は言葉にならなかった。
 いよいよ明日は征く孫。精一杯励ましてはみたものの、二十余年育んだ断ち難い孫への愛着が、叶わぬ望みと知りながら「元気で帰っておいで」と言わせたのであろう。電話はきれた。零時半だった。

家に帰り、大急ぎでご飯を炊き、おにぎりをつくり、身支度をして午前二時、両親は家を出た。
 幼子を抱えた姉と祖母は家に残った。眠られぬまま夜が白む。姉は国分の方角に手を合わせ、はるかに門出を祝し、武運を祈った。
略)
夕方帰宅した、両親の眼の輝きに姉は驚く。「出発十五分前、機上の正明に会えた」ことを伝える輝きであった。
略)
ようやく飛行場に辿り着いた。11時15分だった。
 次から次へ離陸する飛行機。もうもうたる砂塵であたりに人も見えず、眼も開けられず、気ばかりあせった。
 何人かの人に尋ねて広い飛行場を走り回り、最後は親切な方々に手を引かれ、ようやく時任少尉機の側に駆けつけることかできた。

父「正明!」
正明「はい、お父さん。来られましたか」
父母「よかったね、元気で征きなさい」
正明「有難う。お父さん。お母さん。お体を大事に。おばあさん、お兄さん、お姉さんによろしく。近所の方にもよろしく」
正明「何も思い残すことはありません。喜んで征きます」

 ニコニコ顔で答える時任少尉に、両親は吾子でありながら神の子のような思いで心の中で手を合わせた。
死を前にして送る者、送られる者、まして両者は親と子。その胸中いかばかりであろう。私たちは言葉を知らない

 穴沢利夫陸軍大尉(中央大学) 昭和20年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」にて知覧を出撃、沖縄洋上にて戦死。
「にっこり笑つて出撃した」(当時、知覧高女学生で、出撃を見送った前田笙子さんの日記)穴沢少尉(後に二階級特進で大尉)は、白い飛行マフラーの下に婚約者の智恵子さんから贈られたマフラーを締めていた。「神聖な帽手や剣にはなりたくないが、替われるものならあの白いマフラーのように、いつも離れない存在になりたい」


 穴沢少尉は彼女の一途な思いに、このマフラーを彼女の身替りとして、肌身につけ出撃する。
 婚約者へのご遺書の中に「今更何を言ふか、と自分でも考へるが、ちよつぴり慾を言つてみたい」と三つあげている。「一、読みたい本」として「万菓」「旬集」「道程」「一点鏡」「故郷」を挙げ、「二、観たい画」としてラファエルの「聖母子像」と芳岸の「悲母観音」を挙げ、そして「三、智恵子」とあり「会ひ度ひ。.話したい。無性に」とあった。
 ご遺書は最後に「今後は明るく朗らかに。自分も負けずに朗らかに笑つて征く」と締めくくられていた。
 その日、穴沢少尉は、桜を打ち振り見送る前田笙子さんら女学生に、軽く手を挙げ笑みを返して飛び立って征った。
 戦後の長き年月、婚約者智恵子さんの生きる支えになったのは、穴沢少尉の日記に記された次の言葉である。

「智恵子よ、幸福であれ。真に他人を愛し得た人問ほど幸福なものはない」

 一度は見た事のある、桜の小枝を打ち振る知覧高女の女子学生に送られての隼の特攻隊出撃の写真ですが、穴沢少尉の機体だったのです。穴沢少尉はこの見送りに対して笑顔で挙手の礼にて応えています。

穴沢利夫陸軍大尉(フラッシュ)

 堀之内久俊海軍大尉(東京帝国大学) 昭和20年4月12日、神風特別攻撃隊「第二八幡護皇隊」九七式艦上攻撃機にて串良基地を出撃、南西諸島洋上にて戦死

 <けふは第四次護皇隊が出発した。われわれ学生からは、艦攻六名、艦爆十三名で、堀之内少尉も黒崎少尉も山て行つた。堀之内は台北高等学校から東大法科を出た男で、家は台湾に在り、此の三年のあひだ父上母上に会つてゐないのださうだ。さういへば、かつて水兵時代、予備学生時代、面会のたびに彼が手持無沙汰にさみしさうにしてゐたのを、自分はおもひ出すのである。いま彼がたどらうとしてゐる死出の道は、むかしかよひなれた帰省の道であり、三年目の家路である。堀之内は此のことを、感慨ぶかく静かにはなして出かけて行つた>とは、阿川払之の代表作『雲の墓標」の一節である。
 そして、この出撃前「これでいい。おれは、生まれたままの体で死なふ」というご遺書を残している。
ご遺影には、振り袖人形が写っているが、これは、当時、彼の心境を察した知人の町医者が贈ったものであり、山桜を背に刺して人杉をかかえる彼の姿からは、これより死出の旅に赴く者とは思えぬほど、晴れ晴れとした感じが伝わってくる。

 散華された特攻隊員の方々の数だけドラマがあります。

http://www.tamanegiya.com/kako/totkoutaitoutukusisa.html

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