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2023年3月29日 17時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/240659?rct=world
イラクの旧フセイン政権が、イラク北東部クルド人自治区ハラブジャを化学兵器で攻撃してから、16日で35年を迎えた。猛毒のマスタードガスやサリンが使われたとされ、約5000人が犠牲となった。クルド人を弾圧した旧政権は20年前に崩壊したものの、現在も政府の被害補償は行き届かず、生存者の多くが呼吸器疾患などの後遺症に苦しんでいる。(ハラブジャで、蜘手美鶴、写真も)
◆逃げ出すトラックから、意識を失った人が次々と落ちて
町の中心部にある巨大な慰霊碑を目指し、住民たちが静かに大通りを歩いて行く。16日は朝から雨だったが、祈りをささげる人の列は絶えない。慰霊碑内は虐殺の惨事を伝える記念館になっており、当時の現場写真や被害時の様子を再現した人形が展示されている。高齢者から幼児までが訪れ、町に起きた悲劇の記録を目に焼き付けていた。
慰霊碑の横に、さびたトラックが展示してある。「この荷台に28人が乗って町から脱出しようとしていた。生き残ったのは私を含めて4人だけだった」。当時13歳だったバクティアール・アブドラさん(48)が、当時を振り返る。
あの日、昼ごろから空爆が始まったという。ごう音とともに各所から赤や黄、緑など奇妙な色の煙が上がり、町を包んだ。リンゴのような果物系のにおいが漂い、住民がばたばたと倒れ始めた。「何か普通じゃない」。自宅にいたアブドラさん一家はそう感じ、水に浸した布で口を覆い、近所の伯父の家に走ったという。
親戚らと一緒に町を出るトラックに乗ると、異変が起きた。疾走するトラックの荷台から、意識を失った人たちが倒れて落ちていく。運転手は「何も見えない!」と叫んで車を止め、路上に倒れて動かなくなった。運転手は他におらず、アブドラさんは助けが来るまでの2日間、その場にとどまった。目の前で父(43)、母(36)、姉(16)、弟(10)が息絶えていったという。
◆いまなお後遺症に悩む 十分な補償や治療もなく
フセイン政権が化学兵器を使った背景には、当時泥沼化していたイラン・イラク戦争(1980〜88年)がある。ハラブジャはイランとの国境から約15キロに位置し、町のクルド人は政権側からイランへの協力を疑われていた。クルド人は「国を持たない世界最大の民族」とも呼ばれ、イラク、イラン、トルコ、シリアの山岳地に推定3、4000万人が暮らす。イラクでは80年代に独立運動が起き政権が目の敵にしていた。
実際、ハラブジャとイランの関係は近かったとみられ、化学兵器攻撃後にはイラン人兵士が駆けつけて住民を救助し、イランの病院に搬送している。フセイン政権は攻撃後数年間は住民の帰還を許さず、住民らはイラン国内の難民キャンプなどで生活した。
化学兵器攻撃から35年が経過するが、住民の多くは現在も呼吸器疾患などの後遺症に苦しんでいる。2003年には旧フセイン政権が崩壊し、06年にはクルド自治政府が誕生。被害者補償の拡充が期待されたものの、現在も十分な治療が受けられないという。
記念館広報のケシュワール・マウルードさん(52)は「フセイン政権崩壊後、経済は悪化し、私たちの生活はむしろ悪くなっている。被害者は今も苦しみ、ハラブジャの受けた傷が癒えることはない」と話した。
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