http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/609.html
Tweet |
プーチン大統領が「ウクライナのNATO加盟提案」に怒りを見せたワケ NATO諸国が守る「東方拡大の不文律」/篠田英朗・現代ビジネス
篠田 英朗 によるストーリー • 昨日 6:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%8C-%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%81%AEnato%E5%8A%A0%E7%9B%9F%E6%8F%90%E6%A1%88-%E3%81%AB%E6%80%92%E3%82%8A%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%9B%E3%81%9F%E3%83%AF%E3%82%B1-nato%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%8C%E5%AE%88%E3%82%8B-%E6%9D%B1%E6%96%B9%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%96%87%E5%BE%8B/ar-AA18ULmK?ocid=hpmsn&pc=EUPP_LCTE&cvid=4bf23bbd5ccc44718acf445d8603355c&ei=16
ロシア・ウクライナ戦争が1年以上にわたって続いている。
そもそも、なぜロシアはウクライナに侵攻したのか。西側諸国が踏み抜いたプーチン大統領の「禁忌」とは?
激動世界のしくみを深く読み解く話題の新刊『戦争の地政学』より一部を特別公開する。
NATO勢力圏拡大の「東限」
ロシア・ウクライナ戦争をめぐり、NATOの東方拡大が、論点として注目された。NATO加盟国数は、冷戦終焉時に16ヵ国であった。現在では30ヵ国を擁している。冷戦終焉時に、NATOは存在価値を失ったとさえ言われていたにもかかわらず、実際には劇的な拡大をした。
冷戦終焉時のブッシュ政権や、1993年に成立した第1期クリントン政権は、NATOの拡大に消極的であった。NATO拡大を望んだのは、「力の空白」状態に置かれ続けることを懸念した東欧諸国のほうであった。
しかし、たとえばスラブ系のセルビア人勢力と、クロアチア人勢力、そしてイスラム系のボスニアックと呼ばれる人々の勢力の間で凄惨な内戦となったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が、結局はNATOの軍事介入によってしか終結しえなかった状況などを見て、1990年代後半に拡大論者が優勢となっていったのである。
そこで論点となったのは、拡大の範囲であった。暗黙の合意として、NATOの拡大の対象は、旧東欧圏諸国と設定され、旧ソ連構成共和国から独立国となった諸国への拡大は忌避された。つまりNATOの拡大を、旧ソ連の国境で止めるのが、不文律であった。これはNATOとロシアが直接的に同じ国境を有して接することまではしない、両者の間に「緩衝地帯(バッファーゾーン)」を維持する、という理解でもあった。
例外に見えるのは、ロシアとの国境を有していながらNATO加盟を果たしたエストニアとラトビア(及びロシア領カリーニングラードと接しているリトアニアとポーランド)である。バルト三国は、旧ソ連への併合が歴史的に不当なものであったという立場をとっており、ソ連の崩壊の過程で「独立の回復」を達成していることもあり、例外扱いになっていると言える。
ブッシュ大統領が踏んだプーチン大統領の「禁忌」
焦点となるのは、旧ソ連から分離して独立国となったヨーロッパのウクライナ、モルドバ、ベラルーシ、コーカサス地方のジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン、そして中央アジア諸国である。
他の諸国に対するNATO東方拡大には静観を装ったロシアだが、2008年に当時のアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が、ウクライナとジョージアのNATO加盟を提案した際には、プーチン大統領はこれに猛然と怒りを表明した。
ドイツやフランスをはじめとする欧州のNATO構成諸国も、旧ソ連地域にまではNATOを拡大させないという不文律を変更する準備はなかったため、このブッシュ政権の提案は実現しなかった。
G・W・ブッシュ大統領(当時)とプーチン大統領 〔GettyImages〕
G・W・ブッシュ大統領(当時)とプーチン大統領 〔GettyImages〕
© 現代ビジネス
「対テロ戦争」を宣言し、軍事侵攻した相手国を次々と民主化していく野心的な政策も語っていたジョージ・W・ブッシュ政権のイメージから、NATO東方拡大は、アメリカの帝国主義的な政策に基づくものだ、という理解が主張される場合がある。
民主主義国家同士は戦争をしないという学説に依拠した「民主的平和」論により、民主主義の輸出こそが世界に平和を広げる政策だという理論が、広く信じられるようになった結果、そのための手段としてNATOの拡大も追求されるようになった、という理解も見られる。
だが、より正確に言えば、マッキンダーの英米系の地政学理論に基づいて東欧の重要性を認識した際、東欧諸国を「力の空白」に置き続けることの危険性が認識され、その結果、NATOの東方拡大が進んだ、と言うべきだろう。
その際、ロシアが不満を抱えることは、織り込み済みであった。そのため、一つの調整案として、旧ソ連地域にはNATOは拡大しない、という不文律が生まれた。シー・パワー連合であるNATOを拡大させてランド・パワーの封じ込めを図りながら、ロシアの外縁地域にあたる旧ソ連地域には拡大させず、ロシアの生存圏/勢力圏の考え方に配慮した政策を採ったのである。
その結果、旧ソ連構成共和国から独立した諸国が存在するロシアの外縁地域は、事実上の「緩衝地帯」となった。
この状態の中で、ベラルーシや中央アジア諸国は、もちろん微妙な要素は含み込みつつも、国内の独裁体制の維持と組み合わせたロシアとの良好な関係の維持を選択してきた。
ベラルーシは、文字通りロシアとNATOに挟まれた国家として、ロシアの外交政策との協調性を維持し続けている。アフガニスタンに巨大なNATO構成諸国の軍事プレゼンスが存在していた時期には、中央アジア諸国も、文字通りの緩衝地帯であった。
世界は緩衝地帯を維持できるか
緩衝地帯であるがゆえの紛争を抱え込んでしまった地域が、最も典型的には、アルメニアとアゼルバイジャンとの間の国家間紛争にまで発展しているナゴルノ・カラバフである。
同じように未承認の国家を抱え込んだ地域としては、モルドバの沿ドニエストルや、ジョージアのアブハジアや南オセチアの問題をあげることができる。
さらにはロシアの介入によって、独立共和国内に未承認国家が生まれる事態は、これらの地域に共通した問題であり、2014年以降のウクライナ東部地域の状況も同じパターンであった。
もともと旧ソ連の非ロシア共和国の地域には、複雑な民族問題と国境問題があり、ソ連時代に移植したロシア人居住者の問題がある。ロシアの外縁に弧を描いて不安定性を抱え込んでいる地域であると言える。
2022年に勃発したロシアとウクライナの間の全面的な戦争は、こうした緩衝地帯の管理が著しく難しいものであることを示した。ウクライナの大多数の人々は、2014年のマイダン革命にあたって、軍事介入を辞さなかったロシアへの不信を高めた。そのため、NATOやEUへの加盟を目指す政策を明確に採用するようになった。
国際社会の法原則からすれば、ウクライナに、自らが属する国際機構を決定する権利があることは、当然である。NATO構成諸国は、ウクライナをめぐる事態の進展に困惑と躊躇を見せながら、権利は尊重する態度を取り続けた。
プーチンは、この動きを、ロシアの生存圏/勢力圏をないがしろにする行為であるとみなし、アフガニスタンからの撤退で米国を中心とするNATO構成諸国が威信を低下させたタイミングを見計らって、ウクライナを力で「勢力圏」に置き続けようとする行動をとったのである。
この動きに対して、「攻撃的リアリズム」の理論で知られるアメリカの国際政治学者ジョン・ミアシャイマーが、NATO東方拡大こそが戦争の原因であるという主張を展開し、話題となった。
ミアシャイマーの「攻撃的リアリズム」の理論は、19世紀ヨーロッパの大国間政治をモデルにしている。そのモデルを現代にあてはめると、ロシアの「勢力圏」を認めるべきだ、という主張になるのは、ある意味では自明である。
この議論は、ロシア・ウクライナ戦争の背後に、国際社会全体の仕組みに対する世界観の争いがあることを示している。逆に言えば、ミアシャイマーが示すのは、それ以上のことではない。
ミアシャイマーにしたがっても、NATOの東方拡大を失敗だったとまで言えるかは、疑問である。NATO東方拡大の目的は、「力の空白」に置かれた東欧諸国を脅威から守ることであったので、それは現在でも達成され続けている。問題だったのは、緩衝地帯の管理である。これにはNATOもロシアも共に失敗した。
高齢のヘンリー・キッシンジャーが2022年5月のダボス会議で断片的に語った言葉が、ミアシャイマーに同調するものだったのではないか、との報道が出たこともあった。キッシンジャーは「リアリスト」であり、地政学を頻繁に語っていた、というイメージから、安易な印象論が独り歩きしたものと思われる。
実際のキッシンジャーの言葉を拾っていくと、実態は異なることがわかる。キッシンジャーは、領土の割譲が事態を打開するとか、ウクライナをロシアに献上すれば問題は解決する、といった安直なことは言っていなかった。「緩衝地帯」の管理が難しいことを率直に認めたうえで、新たな秩序の再構成と、それを支える新たな力の均衡の形成の重要性について語っただけであった。キッシンジャーは、英米系地政学の伝統にそっている。
ただ、いずれにせよ、ロシア・ウクライナ戦争が、マッキンダーの地政学理論が重視した東欧地域で勃発した大規模な戦争であるがゆえに、地政学に対する新たな関心を喚起したことは事実であろう。ロシアのウクライナ侵攻は、地政学理論をあらためて精査することが、喫緊の課題となっていることを強く印象付けた。
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。