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ペロシ米下院議長が戦乱の種を蒔いた台湾は大戦後も日本の軍人と深い関係がある
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202208040000/
2022.08.04 櫻井ジャーナル
台湾に戦乱の種を蒔いたナンシー・ペロシ米下院議長を乗せた航空機が8月3日に台湾を飛び立ち、韓国へ向かった。中国は台湾の周囲で軍事演習を実施、軽い海上封鎖を行うようだが、これは「予行演習」だともしている。
韓国は日本やアメリカと軍事演習を繰り返している国。今年5月から大統領に就任した尹錫悦は文在寅政権の時代、検察総長として文大統領に近い゙国法務部長官をソウル東部地検刑事6部に起訴させ、゙を辞任の追い込んでいる。文政権はアメリカに嫌われていた。
ロシアや中国との関係を強めていた文大統領と違い、尹はミルトン・フリードマンの新自由主義を信奉するアメリカ派。大統領に就任すると朝鮮半島の軍事的な緊張を高める発言をしている。ペロシは朝鮮半島でも緊張を高める行動をとるかもしれない。
中国はロシアと同じように、交易を盛んにして世界に影響を及ぼそうとしている。戦乱は避けたいため、戦乱の芽は建前と本音を使い分けて封印しようとしてきた。日本とは尖閣諸島の問題を「棚上げ」にし、台湾や香港など日米英などが大陸侵略の拠点にした地域は「一国二制度」を打ち出している。そうした取り決めで対立を封印し、交易を盛んにしようというわけだ。
この方式は経済的にも文化的にも成功したが、ユーラシア大陸の支配を諦めていないアングロ・サクソンは苦々しく思っていたはずだ。そして2010年6月8日に発足した菅直人内閣はすぐ尖閣諸島に関する質問主意書に対する答弁書を閣議決定、その中で「解決すべき領有権の問題は存在しない」とした。
つまり、1972年9月に田中角栄首相が北京で日中共同声明に調印する際、「棚上げ」にした尖閣諸島の領土問題を復活させたのだ。棚上げの合意で日中両国は日本の実効支配を認め、中国は実力で実効支配の変更を求めないことを決めているので、日本に有利な取り決めだった。菅政権は日中平和友好条約の基盤を壊したわけである。
一国二制度を認めてから台湾は発展したが、2016年に蔡英文が総統に就任すると状況が一変する。蔡は独立を目指している人物で、その思いを実現するためにアメリカの力を借りようとした。アメリカは台湾を侵略の拠点にしたいだけで、真の独立など認めるはずはないが、ここまでくると自分たちの立場を維持するためにはアメリカに従属するしかない。
明治維新以降、日本の支配者もアングロ・サクソン、より具体的にいうならばシティやウォール街を拠点にする金融資本に従属して権力を維持しようとしてきた。それが「天皇制官僚システム」。その従属構造を壊そうと試みた人たちもいたが、失敗している。
第2次世界大戦後、SCAP(連合国軍最高司令官)として日本へ乗り込んできたダグラス・マッカーサーがモルガン財閥と深く関係していることは本ブログでも何度か書いた。
戦後の日本を作り上げる上で重要な役割を果たしたジャパン・ロビーの中心的な存在であるジョセフ・グルーは1932年から開戦まで駐日大使を務めたが、彼のいとこはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻。大戦前から政界や官界だけでなく皇族にもウォール街のネットワークは張り巡らされていた。
マッカーサー司令官から「かわいいファシスト」、あるいは「小ヒトラー」と呼ばれていたチャールズ・ウィロビーはGHQのG2(情報担当)を指揮していた軍人だが、その下に旧日本軍の将校が集められ、秘密工作を任されていた。
中でも有名なグループは河辺虎四郎陸軍中将、有末精三陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、大前敏一海軍大佐、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将をメンバーとする「KATO機関」。「KATOH機関」と呼ばれていた。
辰巳を除く5名が拠点にしていた東京駅前の日本郵船ビルには「歴史課」と「地理課」があり、歴史課には杉田一次陸軍大佐、原四郎陸軍中佐、田中兼五郎陸軍中佐、藤原岩市陸軍中佐、加登川幸太郎陸軍少佐、大田庄次陸軍大尉、曲寿郎陸軍大尉、小松演陸軍大尉、大井篤海軍大佐、千早正隆海軍中佐らが、また地理課には山崎重三郎陸軍中佐などが出入りしていた。服部は市ヶ谷駅の近くに「史実研究所」を作って活動していたが、台湾での秘密工作にも協力している。
日本では戦争中、生物化学兵器を開発していた。軍医学校が東京帝国大学医学部や京都帝国大学医学部と共同で進められ、中国大陸では生体実験が行われている。そのために「関東軍防疫部(731部隊)」、「関東軍軍馬防疫廠(100部隊)」、「南方軍9420部隊」、「北支那方面軍1855部隊」、「南支那派遣軍8604部隊」などが編成された。
731部隊の部隊長を務めた石井四郎中将は素早く帰国、CIC(米陸軍対諜報部隊)の尋問を受けているが、その過程でウィロビーと親しくなる。それ以降、石井たちはウィロビーに守られることになった。
アメリカ軍は理不尽な理由で少なからぬ日本の軍人を処刑したが、その一方でアメリカ軍に保護された旧日本軍の将校は少なくない。そのひとりである岡村寧次大将の下へ蒋介石は1949年4月、曹士徴を密使として派遣した。
曹は岡村や富田直亮少将と東京の高輪で会談して台湾義勇軍を編成することで合意、富田少将が「白鴻亮」の名前で義勇軍を指揮することになった。そこで義勇軍は「白(パイ)団」と呼ばれている。
白団は1950年の正月頃に台湾へ渡り、日本軍の戦術や軍事情報を台湾軍に教育して国家総動員体制を伝授しはじめたが、その工作には陸軍士官学校34期の服部卓四郎、西浦進、堀場一雄、あるいは海軍の及川古四郎、大前敏一らが協力していた。服部と大前はKATO機関のメンバーだ。翌年の夏までに83名の旧日本軍参謀が台湾へ渡り、1969年頃まで顧問団として活動を続けた。その途中で工作の主導権はアメリカが握るが、大戦後も日本の軍人が台湾に深くコミットしていたわけである。
その一方、CIAの顧問団に率いられた約2000名の国民党軍は1951年4月に中国領内へ軍事侵攻、一時は片馬を占領したが、反撃にあって追い出された。翌年の8月にも国民党軍は中国へ侵攻したが、この時も人民解放軍の反撃で失敗に終わっている。
1958年8月から9月にかけて台湾海峡で軍事的な緊張が高まったが、ダニエル・エルズバーグによると、その際、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は金門島と馬祖に核兵器を投下する準備をしていた。同じことをジョー・バイデン政権は議論、アメリカの特殊部隊と海兵隊の隊員約20名が2021年から台湾で兵士を訓練しているという。そうしたことを中国が知らないわけはない。
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