このようにグラバーがイギリスのロスチャイルド家のために働く一方で、 フランスのロスチャイルド一族は、江戸幕府を支援していた。 このように日本の幕末から明治初期の動乱の間、 ロスチャイルド一族は、 幕府側と倒幕側の両方に武器を提供して大儲けを狙っていた。 つまりどちらが勝っても彼らが利益を手にし、 支配権を握る分断統治の仕組みであった。 これこそがヨーロッパで彼らが実践し、 今もなお世界各地で活用している常套手段である。 表向きにはイギリスとフランスは、 日本の支配権争いで対立しているように見えていたが、 これがロスチャイルド一族一流のやり方であって、 彼らは国を超えてつながっている。 しかしそのことは、当時の幕府側も倒幕側も知る由もなかった。 「明治維新」と言う言葉は、 昭和になってから2・26事件、5・15事件等に見られる ファシズム運動によって一般化した言葉で 幕末の御一新の時には 全く使われていなかったものであることも 私たち現代人は理解しておく必要がある。 維新と言う言葉は水戸学の藤田幽谷が生み出した言葉、 攘夷という言葉も彼の造語である。 一番大きなポイントは、 薩摩、長州の倒幕をした下級武士には、 討幕後の体制の展望が何もなかったことである。 すべて、その後始末をしたのが、 幕府の老中、阿部正弘等が育てた能吏たちであったことも 大きな声で語られない日本の近代史である。 http://www.yamamotomasaki.com/archives/2063
テロリスト集団、長州藩 https://diamond.jp/articles/-/111464 吉田松陰はテロリストだった!? 原田 伊織 三流の維新 一流の江戸 2016.12.24 4:50
江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。 私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか? ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。 そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。 『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「吉田松陰の正体」を聞いた。
吉田松陰はテロリストだった!? 安直な歴史物語が生まれる理由 原田伊織(Iori Harada) 作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など 「尊皇攘夷」や「勤皇」という言葉を薩摩・長州藩士の代名詞のように受け止めることが多く、彼らのことを「尊攘派(そんじょうは)」と呼ぶことも行われているが、これほど幕末期の政治情勢を無視した話はない。 多くの人が勤皇=尊皇攘夷と解釈し、勤皇と佐幕を対立語として使っているが、これもまた当時の実態から著しく乖離(かいり)しており、こういうレベルで幕末史を語るから、史実とかけ離れた安直な歴史物語が生まれるのである。 もう一つ例を挙げれば、勤皇の志士と呼んでいる、先に挙げた薩長土肥の人物像がでたらめに麗(うるわ)しく語られている。 結論だけを述べれば、彼らは現代流にいえば暗殺者集団、つまりテロリストたちである。 我が国の初代内閣総理大臣は、この暗殺者集団の構成員であり、自らもテロ行為に手を染めていることを知っておくべきである。 こういう指摘をすると、直ぐまた「反日主義者」などとヒステリックに反撥する輩(やから)が出てくるが、私は幕末史の実相をあからさまにしてこの社会のこれからを考えようとしているのであって、平成という今の政治感覚で「反日主義者」「左翼」などという古臭いレッテルを貼るという行為に賛同はできない。
また、維新の精神的支柱とまでいわれる吉田松陰が、事あるごとにどれほど暗殺を主張したか、それゆえに当の長州藩が如何(いか)にこの男に手を焼いたか、はたまたどういう対外侵略思想をもっていたか、もうそろそろ実像を知っておくべきであろう。 もし、己の政治信条や政治的欲求を実現するためにはテロもやむなしという立場を肯定するならば、彼らを内輪だけで志士と呼んで英雄視するのもいいだろう。 しかし、正史として彼らを英雄視することはできず、私は、テロリズムは断固容認しない。 テロを容認しないことが、当時も今も正義の一つであると信じている。 従って、彼らを志士と評価することなどあり得ようはずがなく、テロリストはどこまでもテロリストに過ぎない。 そのテロの実態については、前述の『明治維新という過ち』などを参照していただきたい。 「復古!」「復古!」と喚き、奈良朝以来の伝統的な仏教施設を暴力的に破壊する「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という歴史的にも恥ずべき文化破壊活動を繰り広げた維新新興勢力が、後世にでもこれを恥じたかと問えばそういう事実はない。 世代(よがわ)りとは、動乱を伴うものである。 そして、動乱とは武力によって成立するものであるから、後世からみればそういう愚かなムーブメントが一時的にせよ社会を支配することは、避けられないことかも知れない。 しかし、仕方がないでは済まされない、回復不能な文化的損失が甚大であったことを、この先も忘れてはいけないのだ。 「復古」とは、そもそも「王政復古」という国学者の唱えた政治スローガンがもたらした時代の気分であった。 そして、維新や幕末といわれる一定のスパンをもつ時代の台風の目が、「王政復古」であり「大政奉還」であった。 このたび、『三流の維新 一流の江戸――「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』を渾身の気持ちをこめて書いた。江戸を描くのは初めてである。
江戸という時代は、明治近代政権によって全否定された。 歴史から抹殺されたといっても過言ではない位置づけをされて、今日に至っているのである。 その存在力は、新政権の正統性を示すためだけに土深く埋められたといっていいだろう。 しかし、今、世界がこの「江戸」という時代とその様式、価値観に何かを求めて視線を当てている。 国内でも、リーマンショックで覚醒させられたかのように、無意識であろうが「江戸」へ回帰する「時代の気分」が、特に「江戸」が何たるかを全く知らないであろう若年層を中心に充満している。 私は、一連の著作に於いて、史実に忠実に従えば、明治維新とは民族としての過ちではなかったかと問いかけてきた。 これは、一度国家を壊しながらも今もなお政権を維持している薩長政権に対する問いかけでもある。 もし、明治維新が過ちであったとすれば、その最大の過ちが直前の時代である江戸を全否定したことである。 或いは、少なくとも江戸を全否定したことだけは、明白な過ちであったといえるのではないか。 本書は、その是非を問うことをメインテーマとするものではなく、埋められたままの江戸を一度掘り返してみて引き継ぐべきDNAを解き明かしてみようと試みるものである。 しかし、江戸は多様であり、多彩である。 この拙い一篇の書き物で解き明かせるような貧弱な仕組みで成り立っていたものではない。 そのことを理解しながら、その一端でも掘り起こすことができれば、私たちが子どもたちの時代の「無事」のために何を為すべきかのヒントが得られるものと信じたい。 そして、世の諸賢が“寄ってたかって”全容を解明すれば、江戸は確かに未来構築の一つの指針になるであろうことを、私自身が固く信じたいのである。
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