祖国解放戦争第1段階の戦略的方針 祖国解放戦争第1段階の戦略的方針は、敵の武力侵攻を挫折させて迅速に反撃へ移り、アメリカ帝国主義の大兵力が投入される前に高い機動力と連続的な打撃をもって敵の基本集団を短時日内に撃滅掃討して共和国南半部を解放することでした。 祖国解放戦争第1段階の期間は、1950年6月25日から9月15日まででした。 その間、朝鮮人民軍部隊は5回の作戦を連続的に進めました。 ソウル解放作戦、大田解放作戦、安東解放戦闘、洛東江渡河戦闘、注文津沖海戦など数々の作戦と戦いを進め、「常勝師団」を壮語する米第24歩兵師団をはじめ傀儡軍第2、第5、第7歩兵師団を壊滅させ、米第1騎兵師団と第25歩兵師団、傀儡軍第1、第3、第6、第8師団及び首都師団に甚大な損失を与えました。 海軍は米極東艦隊に強力な打撃を加え、飛行隊は「空の要塞」を豪語する「B29」戦略爆撃機をはじめ多くの敵機を撃墜、撃破しました。 朝鮮人民軍は、戦争開始後わずか1カ月半余りの間に、南半部地域の90%以上と人口の92%以上を解放しました。 http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ptype=cfougi&mtype=view&no=4548 20世紀50年代に米国が起こした朝鮮戦争の真相と 米国の対朝鮮敵視政策の侵略的で略奪的な本性 百数十年前から、米国はアジア大陸の関門である朝鮮を侵略して自分らの支配下に入れることを国家政策とし、その実現のための対朝鮮敵視政策に必死になって執着した。 米国の支配層は、1845年2月に「朝鮮開放案」を議会に上程させ、1866年に「シャーマン」号侵入事件、1868年に「シナンドアー」号と「チャイナ」号侵入事件、1871年に大規模の武力侵攻事件を次々と起こした。 米国は1905年の「桂・タフト協定」の締結後、日帝の朝鮮占領と植民地支配をあおり立てて、将来、朝鮮を自分らの植民地につくるための策動を系統的に強行したし、第2次世界大戦の末期には朝鮮に対する占領計画を完成した。 米国は、世界制覇戦略に従って朝鮮を「米国の軍事機構とアジア本土の間の唯一の接触点」「思想戦争の場」、世界制覇実現のための決戦の「試験場」、戦後パニックの唯一の活路に選定した。 朝鮮戦争の準備を主導した米国の侵略的正体は、戦争計画の作成を通じてもよく分かる。 米国は、極東侵略のための計画を3段階に分け、第1段階は朝鮮戦争から始め(A)、第2段階は戦争の炎を中国に拡大(B)し、最後の段階にシベリアへ侵攻(C)することにし、作戦開始を1949年に予見した。 綿密な打算と具体的な準備の下で、米国は1950年6月25日4時、ついにかいらい軍をあおり立てて朝鮮戦争を挑発した。 戦争前夜に米軍事顧問団団長のロバートは、「われわれがなぜ6月25日を選ぶようになるのか?これにわれわれの慎重な意図がある。25日は日曜日である。キリスト教国家である米国や南朝鮮は日曜日を安息日に定めている。われわれが日曜日に戦争を開始したということを信じる人はおそらくいないであろう。言い換えればわれわれが戦争を起こしていないということを人々に信じさせるためである」と言った。 米国は朝鮮戦争を挑発した後、自分らの侵略的本性を覆い隠すために狡猾(こうかつ)に策動した。 6月25日、米国は国連安保理を招集し、朝鮮を「侵略者」に規定する国連安保理「決議」第82号をつくり上げたのに続けて、7月7日には同盟諸国の兵力を「米国の指揮下にある統一司令部」に配属させることを「勧告」し、米国にその司令官を任命することを「要請」し、国連旗の使用を「許可」することに関する国連安保理「決議」第84号を次々とつくり上げた。 これにより、朝鮮は戦争を起こした「挑発者」に、朝鮮人民の祖国解放戦争(朝鮮戦争)は「侵略」にまどわされ、交戦当事者として「国連軍」が出現するようになった。 「国連軍司令部」が国連管轄の機構ではなく、ただ米国の戦争道具であることについては歴代国連事務総長らも公式に認めた。 苛烈を極めた戦争は、偉大な領袖の指導を受ける英雄的朝鮮人民の奇跡的勝利に終わったが、朝鮮民族が受けた人的・物的被害は実に莫大であった。 公式の統計によっても、米帝は朝鮮戦争の時期に朝鮮で123万人余り、南朝鮮で124万人余りを虐殺し、化学兵器、細菌兵器まで使用して朝鮮民族を全滅させようとした。 戦争が終わった後、朝鮮人民に残ったものは事実上、灰じんしかなかった。 しかし米国は朝鮮人民をなんとしても奴隷につくり、全朝鮮半島を併呑しようとする野望から停戦協定に署名したインクが乾く前に、停戦協定に乱暴に違反して情勢を戦争の瀬戸際へ追い込んだ。 米国は、朝鮮から全ての外国軍隊を撤退させ、朝鮮問題を平和的に解決することを規定した停戦協定第4条第60項を反故(ほご)にした。 1953年10月26日から板門店(パンムンジョム)で開かれた政治会議招集のための予備会議で米国は人為的な障害をきたし、妨害策動をこととして同年12月12日、会議場から一方的に退場したので政治会議は本会議に入れなかったまま、予備会議の段階で決裂した。 その後、朝鮮問題の平和的解決のためのジュネーブ会議が招集されたが、米国は会議を故意に破綻(はたん)させた。 米国は、米軍の南朝鮮永久駐屯を合法化するために1953年8月8日、南朝鮮と「相互防衛条約」を締結した。 1955年1月2日、当時の米統合参謀本部議長は米軍が世界制覇の実現において重要な戦略的意義を持つ南朝鮮に無期限駐屯し、引き続き朝鮮問題の平和的調整を妨げると言いふらした。 1975年11月、第30回国連総会で朝鮮半島における恒久平和のために「国連軍司令部」を解体することに関する決議が採択された以降、米国は米国・南朝鮮「連合軍司令部」のつくり上げで永久占領の陰謀を露骨にした。 2006年3月初め、米国は朝鮮戦争の各参戦国の役割を強め、それらの国々を有事の際および作戦計画の樹立にはもちろん、細部的活動にも参加させて有名無実になった「国連軍司令部」を恒久的な多国籍連合武力機構に拡大、再編成することに関する計画を出し、その実行に取り掛かった。 結局、停戦協定を平和協定に変えるための過程は挫折し、朝鮮半島では戦争でも平和でもない不安定な状態が持続している。 米国は、朝鮮境外からの全ての武装装備の搬入を一切禁止することに関する停戦協定第2条第13項D目を破棄し、南朝鮮を世界的な武器展示場に変貌(へんぼう)させた。 米国は、1950年代末から1980年代に至る期間におおよそ1000基がはるかに超える核兵器を南朝鮮に搬入して南朝鮮を「NATO」加盟国に比べて4倍が超える世界的に核兵器の配備密度が最も高い地域に、核戦争勃発(ぼっぱつ)のための前哨基地に転変させたし、1982年3月には第14回米国・南朝鮮定例安保協議会なるところで南朝鮮に対する米国の核の傘の提供を公式化した。 21世紀の初めには「核戦略態勢の見直し(NPR)」を通じて朝鮮を核先制攻撃対象のリストにのせた米国は、核兵器と共に天文学的金額に及ぶ戦争装備を南朝鮮に搬入した。 米国は、停戦協定履行の最後の監督機構であった軍事停戦委員会と中立国監督委員会までなくした。 米国は、朝鮮での敵対行為と一切の武装行動の完全な停止を保障することに関する停戦協定の序言と第12項も破棄した。 米国は、1954年に初めて南朝鮮と合同軍事演習「フォーカス・レンズ」を行った時から現在に至る期間、「フリーダム・ボルト」「チーム・スピリット」「ウルチ・フォーカス・レンズ」「連合戦時増援演習」「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」など、各種の戦争演習を絶え間なく行った。 演習の回数と規模も、世界のどの地域で行われる戦争演習をはるかにしのぎ、原子力空母、原子力潜水艦、核戦略爆撃機など、3大核戦略資産が朝鮮を狙った核戦争演習に総動員された。 米国の対朝鮮敵視政策と絶え間ない核威嚇・恐喝によって、朝鮮半島は任意の瞬間に核戦争が勃発しかねない世界最大のホットスポットと化した。 もし、われわれが自衛的抑止力を非常に強化しなかったなら、朝鮮半島は数百回も戦争の惨禍に陥ったはずであり、第3次世界大戦という大災難がすでに起こったであろう。 われわれを力で圧殺し、アジア太平洋地域で軍事的優勢を占め、ひいては世界制覇野望を必ず実現しようとする米国の策動は、日を追っていっそう露骨になっている。 朝鮮政府が数多くの平和の提案と発起を打ち出したが、米国はこれら全てのものをあくまでも拒否した。 かえって、米国はあらゆる不法のレッテルを張り付けた。 はては、わが国家の「完全破壊」という妄言までためらうことなく吐いたし、われわれの思想と体制を転覆するために血眼になって狂奔した。 米国の対朝鮮敵対行為は、われわれに対する核兵器の使用を公言し、核威嚇を加えた事実だけを通じてもよく分かる。 朝鮮戦争の期間、われわれに対する原爆使用を公然と唱えた米国は、停戦協定が締結された後も核威嚇をエスカレートした。 われわれに対する米国の核威嚇は、2017年に極に達した。 米国は、超大型原子力空母であるカール・ビンソン、ロナルド・レーガン、核戦略爆撃機であるB1B、B52H、B2A、原潜であるコロンブス、トゥーサン、ミシガンをはじめとする核戦略資産と最新戦争装備を南朝鮮とその周辺に投入して朝鮮半島を核戦争の瀬戸際に立たせた。 米国の核威嚇を取り除くために朝鮮政府は、対話を通じた努力も、国際法に基づいた努力もやってみたが、全部水泡に帰した。 残った最後の選択はただ一つ、核には核で対抗することだけであった。 結局、米国がわれわれをあくまで核保有に進ませたのである。 諸般の事実は朝鮮半島情勢激化の根源が米国の対朝鮮敵視政策と核威嚇にあるということを明白に実証しており、米国が朝鮮を敵に、交戦相手国に対する敵視政策を撤回しない限り、朝鮮半島で核戦争の暗雲は絶対に消えない。 http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ptype=cfougi&mtype=view&no=4550 何を狙った同盟か 最近日本反動層がより傲慢に振舞っている。 その傲慢の背景には軍国主義野望に駆られている日本を自国の利益実現に利用しようとする米国がある。 先日行われた米・日首脳会談などで米国は、「敵基地攻撃能力」の保有と防衛費増額を陰に陽に推し進めている岸田政府を強力支持し、中国南海と台湾海峡問題において日本と共同に対応することなどで日本が「戦争が可能な国」としての軍事的地位を獲得する名分を与えた。 また米国は過去史問題、独島問題、経済報復措置問題などで対立している日本・南朝鮮間に口をはさみ日本に勝機を与えた。 とくに見過ごすことができないのは米国が米日同盟を「世界戦略を苦慮し合う同盟」とおだてながら国際問題に対する米国と日本の共助強化について論議したことである。すなわち日本反動層が世界各所に介入するよう「支持」したこと。 ここには再侵略の野望に徹している島国の連中を大陸侵略と対中国けん制の突撃隊に使い、侍の後裔を駆り立てて東北アジアに必ず戦争の火をつけようとする危険きわまりない企図が含まれている。 血塗られた過去を必死に否定し軍国主義再侵略策動に血眼となって「自衛隊」の海外進出を合法化、本格化しようと狂奔している日本にとって「世界戦略を苦慮し合う同盟」などとは実にありがたいことである。 日本には米国の云々する「世界戦略」なるものが世界制覇の野望を実現する侵略と戦争を意味することがよくも分かってくるだろう。同時に対朝鮮、対アジア侵略の機会を狙って海外膨張の夢に浮かされている自己の侵略的政策にも一致すると思っている。 それでこの機会をどうしても逃そうとしない。 日本は5年内に防衛費を国内総生産額の1パーセントから2パーセントに増額し、短期間に「国家安全保障戦略」と「防衛計画大綱」などの安保戦略指針を改定して「戦争遂行が可能な国」につくろうと計っている。 ああいう日本の危険極まりない無分別な軍事大国化策動に対してアジア諸国はもとより自国内からも憂慮を禁じ得ない。 米国に拍車を掛けられ、より猛烈に走っている日本という軍国主義馬車が世人の憂慮と警戒心を起こさせるのは当然であろう。 ところが民族的自尊心に欠けているユン・ソクヨル一味が米国の圧力に屈して千年来の敵に「関係改善」を要請しているさまはまったく間抜けなことである。 世界平和と安定を破壊する悪性腫瘍も同然な岸田一味を突撃隊にして世界制覇を遂げようとする米国のもくろみは、日本軍国主義の復活を望まない世界平和愛護勢力の強力な糾弾と排撃により、破綻を喫するであろう。 http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ptype=cfougi&mtype=view&no=4535
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