正直、驚いたが、とてもユニークであり、 支援者ももちろんだが、大変な努力家だということが分かった。 ______________________________________________>自己紹介 天畠 大輔(てんばた だいすけ) http://tennohatakenimihanarunoka.com/profile/index.html 14歳の時、医療ミスにより、四肢麻痺・発話障がい・視覚障がい・嚥下障がいを負い、重度の障がい者となり車椅子生活を余儀なくされる。 ルーテル学院大学を経て、立命館大学大学院先端総合学術研究科先端総合学術専攻一貫制博士課程修了【2019年3月博士号(学術)取得】。現在は、灰ai-job highを運営する傍ら、立命館大学にて重度身体障がい者の当事者事業所や介助付き就労にまつわる当事者研究を行う。立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。同大学生存学研究所客員研究員。中央大学社会科学研究所客員研究員。日本で最も重い障害をもつ研究者。東京都武蔵野市在住。1981年生まれ。 研究テーマ 将来の夢 研究者として、「障がい者とコミュニケーション」を専門に研究し、 障がい者がよりよい生活を送れるようにすること。ロックトインシンドロームの支援者の財団を立ち上げること。(ロックトインシンドローム=閉じ込め症候群、頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺状態だが意識や知能はまったくもとのまま。自分という人間の内側に閉じ込められてしまうといった状態。映画「潜水服は蝶の夢をみる」の主人公にもみられるもの。) 資格 相談支援専門員(2019年7月取得)認定心理士(2011年6月取得) 趣味・特技 昔から映画が好きで、邦画はほとんど見ている。翻訳家の戸田奈津子に憧れて英語の勉強を始めた。音楽鑑賞(サザンオールスターズ、Mr. Children、スピッツ、斉藤和義ほか)。オシャレすること。聴覚だけで英検準2級取得。 症状 14歳の時、急性糖尿病で倒れた際の医療ミスにより、それ以来四肢麻痺になった。心停止の状態が20分以上続いたことにより、脳の運動野が破壊されたからである。視力にも障害があるが、全く見えないわけではなく、立体や色、もちろん人の顔も認識できる。ただし、紙面やパソコンの画面など、平面のものは見えにくい。知能における障がいはなく、情報を受けとる際は聴覚情報が中心。発話が困難なためコミュニケーションには時間を要するが、本人の手を引いて一語一語を確認することでコミュニケーション可能。 コミュニケーション方法 介助者が私の手を持つ。介助者が「あ・か・さ・た・な・・・」と子音を言う。私が伝えたい子音の所で手を引く。子音が決まる。例えば「あ」で止まった場合、今度は介助者が「あ・い・う・え・お」と母音を言う。「う」で止まったら、最初の言葉は「う」となる。この繰り返しで会話していく。 2022年4月 立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員着任。 2021年6月 「一般社団法人脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会」理事退任。 2020年3月 「一般社団法人わをん」を立ち上げ、代表理事に就任。 2019年5月 立命館大学生存学研究所客員研究員としても、研究に携わる。 2019年4月 日本学術振興会特別研究員(PD)として、中央大学にて研究開始。 「特定非営利活動法人境を越えて」理事就任。 2019年3月 立命館大学大学院先端総合学術研究科先端総合学術専攻一貫制博士課程修了。博士論文「『発話困難な重度身体障がい者』の新たな自己決定概念について――天畠大輔が『情報生産者』になる過程を通して」。「灰ai-job high」代表取締役辞任。 2017年10月 指定障害福祉サービス事業所「灰ai-job high」 を立ち上げ、代表取締役に就任。 2015年10月 「一般社団法人脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会」理事に就任。 2015年9月 東京都武蔵野市にて一人暮らし開始。 2012年5月「NPOダイジョブ+」代表として、東京都立光明特別支援学校の連絡協議会の委員に就任。 2012年4月 日本学術振興会特別研究員(DC1)として、研究開始。 2011年8月 指定障害福祉サービス事業所営業開始。 2011年6月 認定心理士資格を取得。 2010年8月 HK障害福祉賞45年を記念して出版された『雨のち曇り、そして晴れ〜障害を生きる13の物語』(NHK厚生文化事業団出版)において、自身の作品『「あ・か・さ・た・な」で大学に行く』が収録される。武蔵野市御殿山の事業所を兼ねた新居へ引っ越し。 2010年6月 公益財団法人 在宅医療助成 勇美記念財団より助成金を受け、研究を始める。「インターネットテレビ電話を活用した在宅療養患者の社会参加について 〜高等教育における重度障害学生への支援の取り組みから〜」 2010年4月 立命館大学大学院先端総合学術研究科入学。 重度障がい者として初めての大学院入学ということで京都新聞の一面に載る。 2010年3月 立命館大学大学院自己推薦入学試験を受験し合格。ルーテル学院大学退学。 2009年7月 ヘルパー派遣事業所の運営を目指して、会社設立。 2009年4月 ルーテル学院大学総合人間学部臨床心理学科へ編入。認定心理士の資格取得を目指す。 2008年9月 卒論完成、ルーテル学院大学卒業。卒業論文「わが国の肢体不自由養護学校高等部における進路支援のあり方について――障害者の大学進学を進めるためには」。年末にNHK障がい福祉賞・優秀賞受賞。ルーテル学院大学第一回パイオニア学長賞受賞。 2006年9月医療過誤裁判結審「勝訴」する。 2006年4月大学3年。障がい学生の大学生活をサポートする団体、LSS(ルーテル・サポート・サービス)を設立。その後、大学の公認団体に成長。 2005年4月大学2年。社会福祉学科に編入。社会福祉、介護等の勉強を本格的に始める。 2004年9月千葉市から大学の近郊である武蔵野市に転居。 2004年4月 ルーテル学院大学総合人間学部神学科合格。念願の大学入学を果たす。 2003年2月ルーテル学院大学を特別な配慮で受験したが不合格。しかし大学は、1年間の聴講を勧めてくれた。来年再受験することを期して、1年間の徹底的な受験モードに。 2002年9月大学受験の勉強をやりながら、幾つかの私大にアプローチしたが悉く断られる。ただルーテル学院大学だけ受験許可をもらう。 2002年5月ボトックス治療で、拘縮した腕の筋肉は緩和し、歩行器で歩けるようになる。だが、3ヵ月過ぎると薬の効果は減少し、元の状態に。この治療を断念し、約5ヶ月で帰国。 2002年2月家族で再渡米。シカゴのリハビリ病院に入院し、ボトックス治療を受ける。その後、病院近くにアパートを借り、病院に通う日々。 2001年4月シカゴのリハビリ病院でドクターからの診察を受ける。ボトックス治療で治癒する可能性があることを言われ、取りあえず帰国する。 2000年4月一筆啓上賞(日本一短い手紙)佳作入選。NHKイメージ番組として放映される。 2000年3月千葉市袖ヶ浦養護学校高等部卒業。平日は家庭教師による勉強、およびドーマン法による数人のリハビリ、日曜日もリハビリという生活。 1999年7月医療過誤裁判スタート。全国高校生作文コンクール佳作入選。 1999年3月リハビリテーションセンターを退院。自宅から通学する。 1997年4月千葉市袖ヶ浦養護学校高等部に進学。 1996年12月千葉県立リハビリテーションセンターに転院。併設の千葉市袖ヶ浦養護学校中等部に入学し、病院から学校に通う。 1996年8月ICUを出て、一般病棟に移る。四肢麻痺、発語不能、嚥下障がい、視覚障がい等多くの障がいを抱える。 🔴はじめて「あ、か、さ、た、なコミュニケーション」で、自身の意思を母に伝えることができた。! この年、一種一級最重度の障がい者と認定され、常時車椅子生活で、24時間介助を必要とするようになる。 1996年5月ICUにて約3週間の昏睡状態。気管切開。横隔膜麻痺の疑いあり。意識は戻らない日々。 1996年4月 ストレスによる精神疾患および過換気症候群と誤診される。再度救急搬送後、若年性急性糖尿病と診断され、急遽インシュリン投与を受けるが、処置が悪く、心停止(約20分)を起こす。ICUに搬送され、生死の境を迷う。 1996年2月イギリス留学中に体調不良(ドクターストップ)で帰国。 1994年4月千葉大学教育学部付属小学校を卒業後、同中学校入学。春休みはオーストラリアでホームステイをする。 1981年12月広島県呉市安芸津町にて生まれる。 ______________________________________________
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