https://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_8d61.html 2007年9月19日 (水) サンスクリット語、中国語、韓国語の「般若心経」 ずっと気になっていた『中国語での般若心経』を聞いた。予想に反して、まったくの中国語だった。(まあ当然だが・・・) ひょんなことで、丸山勇という仏教写真家の事を知り、氏の「CD付 般若心教の世界」という本を買ってしまった。 その本に、サンスクリット語・中国語・韓国語の般若心経の読経のCDが付いていた。 実は、中国語での般若心経の読み方に興味があった。 何故かというと、漢字で書いてある仏典は日本も中国も同じはず。これは、日本に仏典が入ってきたときに、その神聖さを保つためにあえて日本語に訳さなかった、と聞く。 そして、どこかで『中国語は日本の音読みに似ている』と聞いたことがあった(これが間違い)。日本の読経を聞いてみても、とうてい日本語とは思えない。 ・・・とすると、『意外と中国の読経の読み方も日本の読み方も、同じかも知れないな・・・』ナンテ思ったのが間違いのもと・・・・。 CDを聞いてみると、中国語はまるで分からない。むしろ韓国語の方が少し日本語に似ている・・・・。(同じ漢字を読んでいるのだろう・・・) <中国語の般若心経> Scan103111_2 中国語で、何となく発音が日本語に似ているのは、 「舎利子(ソオリイツ)」「菩提薩捶(プウティサアト)」「三貌三菩提(サンミャウサンプウテイ)」くらい・・。 最後の真言に至っては「羯諦羯諦波羅羯諦(チエティ チエティ ポロチエティ)波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ポロスンチエティ プウティサアポホ)」という発音。 <サンスクリット語の般若心経> Scan103101_2 同じく、サンスクリット語では、 「舎利子(シャーリプトゥラ)」「三貌三菩提(サンヤクサンボーディム)」。 最後の真言は「羯諦羯諦波羅羯諦(ガテーガテー パーラガテー)波羅僧羯諦菩提薩婆訶(パーラサンガテー ボーディ スヴァ−ハー)」という発音。 こっちの方がよっぽど良く聞く発音だ。 <韓国語の般若心経> Scan103121_2 韓国語では、 「舎利子(サリジャ)」「菩提薩捶(ボリサルタ)」「三貌三菩提(サンミャッサムボリ)」。 最後の真言は「羯諦羯諦波羅羯諦(アゼ アゼ バラアゼ)波羅僧羯諦菩提薩婆訶(バラスアゼ モジサバハ)」という発音。 こう並べてみると何か変だ。そもそも「訳すのがもったいないので音写した」と言われている部分が、何故この様に発音が違うのだ。 幾ら言葉は違っても、音をいわゆる「カタカナ」で表現したにしては、あまりに違い過ぎる。 しかし、日本の読経は『全くの日本語』だということが改めて分かった。読経は漢字を『日本語読み』で通読しているのだ。 でもこれは当然か・・・? 昔、そもそも日本語(発音)が最初にあって、文字が無かったので日本語を無理に漢字に当てはめた・・・? それが現在の日本語なのかも・・・ (先日寺子屋に行ったときに、東大名誉教授である先生に「中国語での読経は日本のと同じか?」と聞こうと思ったが、止めて良かった・・・・。バカ丸出しになる所だった。ホッ・・) (本記事は07/4/24の一部改です) (関連記事) 「般若心経」勝手帖-03 全文 コメント まとめ:中国ー呉音ー日本 般若心経の各家庭での普及 参「続日本紀」
投稿: totatota | 2010年10月 8日 (金) 16:18 日本において漢字の発音は、日本人が漢字を学んで、伝わった時代や場所により、漢音、呉音、唐音があり、例えば、"行"の場合は、漢音は“コウ(カウ:旧仮名遣)呉音は“ギョウ(ギャウ:旧仮名遣)、唐音は“アン”となります。 現代の中国語の標準語(普通話)は、入声が脱落し、日本語の漢字の発音との乖離が甚だしいため、違和感を覚えられたんでしょう。 脱落した入声とは、日本の漢字で言えば、漢数字の一:イチ、六:ロク、十:シフ(旧仮名遣)で、チ-t,く-k、フ(プ)-pとなります。韓国語では、-tは、-l(エル)に変わって、-k、-pは、現在でも漢字の発音に残っています。一:il、六:ryuk,yuk(因みに、韓国では、日本語のら行で始まる漢字は、rがとれて、yukとなります。韓国大統領、李明博氏をイ・ミョンバク・と呼ぶの箱のためで加えて言うなら、rの後にくる母音によっては、rからnに変わるため、盧武鉉前大統領はノ・ムヒョンとなります。北朝鮮ではr の脱落、nへの変化は見られないそうです。)中国語方言には入声は残っているものもあり、香港、マカオ、広東省で話される漢字の発音は、韓国語の感じの発音と極めてよく似ています。 音読み - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E8%AA%AD%E3%81%BF
【エムズの片割れより】 ご教示ありがとうございます。WIKIをじっくり読みました。いやはや奥が深い・・。自分の無知を思い知らされました。勉強が足りなかったようで反省・・・ 投稿: Jonathan | 2012年2月26日 (日) 11:44 バッサ・バサケンでがす。 マイド。
中国語は南方の話者の發音です。できれば、広東語にしていただくと、日本語の音に近いために違和感がないかもしれません。 日本語の般若心経は変なところで息を止めますが、これは中国語のsyntaxを理解してゐないがためでせう。韓国語のversionは初めて聴きましたが、上述のsyntaxを適切に理解されてをられることが推測されます。 sktの原文(中村元先生のtext)は全文を読むのに漢文に比べて非常に長い時間を使ひます。当たり前です。実は、こちらの方が波長は日本語の翻訳に近いのです。理由は語順が漢文のSVOではなくて、SOVであることと、接続語が多いためです。でも、読めば読むほど、判らなくなってゆきます。喩へば、ねえ、唐突にzaariputraが出てきますが、その師匠の釈迦は一切でてきません。どうなつてんだろ。とか、観音様は深い瞑想に入つてゐない時には、一体なにをされてゐるのか、とかです。あっしゃ凡夫なので、さっぱり理解できやせん。 では、 バッサ・バサバサ・バサケンケーン もしとつおまけにバサケンケーン 投稿: バッサ・バサケン | 2009年7月15日 (水) 19:49 http://www5b.biglobe.ne.jp/~freema/singyou.html 「般若心経」の真実を公開。「空」とは何かの真説。 >「広本」と「略本」の二種類があり、世間一般に流布しているのは略本の方
>仏教の世尊であるゴータマ・シッタルダー(ブッダ=釈迦牟尼=釈尊)が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法中に、 ブッダの弟子であるシャーリープトラ(舎利子=舎利弗)に対してアポロキティシュヴァラー(観自在菩薩=観世音菩薩) が説いたものとなっています >本文は「空」という言葉がキーワードになり、その解説という進行で内容は進みますが、 >最後は真言(マントラ=呪文)でしめくくられています >もともと古代インド語であるサンスクリット語(梵語)で書かれており >日本で流布しているものは中国語(古代中国語=漢文)に翻訳されたもの >中国語訳も数種類があり >インド人の鳩摩羅什(クマラジーヴァ)が翻訳したもの >三蔵法師として有名な玄奘が翻訳したもの 本文解説
観自在菩薩 サンスクリット語ではアポロギータシュヴァラ・ボディサトヴァ(avalokitesvara bodhisattva) クマラージは「観世音菩薩」と訳・・・「svara(音)」を「avaloKika(見る)」 玄奘は「観自在菩薩」と訳・・・「isvara」は漢訳で「自在」 「観世音」・・・「音(乙)姫の世を見る」 「観自在」・・・「自在の世を見る」 (神界の秘め事にかかわる重大な意味がある) 「観世音菩薩」と「聖観音」は全く別の存在 「聖観音」・・・天地創造の時に実際に地球と人類をお創りになった神様の別名で、 六次元神霊界に御出現になり、次の第五次元神霊界を統治なさっている神様、すなわち聖書でいう「ヤハエの神様」のこと 「観世音」・・・実在の人物、南インド・南海大師。善財童子(Sudhana若い頃のゴータマ・シッタルダー)が教えを請うた人(華厳経に出てくる話は事実と違っている) 「菩薩」・・・「ボデイサトヴァ(bodhisattova)」の「音訳」の「菩提薩土垂」を縮めたもの ※このような漢字は本来「表意文字」である「漢字」を全く「表音文字」として使っているわけで、ただ「発音」を示しているにすぎず、漢字自体には全く意味はありません 「ボディサトヴァ」を「言霊」で説くと、「炎去った場」であり「炎から出て去った場」
すなわち、神様の世界である五次元以上の神界・神霊界からホドケて仏(ほとけ)となり、人々の救済のために四次元界(第四兜率天=Tusita界)の内因(霊界)にまで天下られた御存在 ※四次元界の「外院」がいわゆる人間が死んでから行く死後の世界=幽界
※「言霊」は万国で統一して造られているもの ※釈迦が教えを説いたのはクシャトリヤばかりでなく、無学なバイシャやスードラさえ対象にしていた そんなスードラたちに今の仏教哲学のような宏遠な内容を説いたところで、理解できただろうか? 釈迦が説いたのはもっと誰にでも分かる簡単な理論だった 神理とは本来分かりやすいもの聞いたらすぐに実践できるもの 真如逆法ほど難解で、人知の哲学でこねくり回した訳の分からないものになっている 「空」・・・「霊」のことであり「虚しい」とか「実体のないもの」という解釈は誤まり「霊」の本質が「火」「体」の本質が「水」「人間」の本質は「霊」であり物質でできた「体」はその「入れ物」「火」である霊と「水」である体という相反するものが「十字」に結ばれて「生命」が生じているがあくまで「霊が主体」 「五蘊皆空」・・・「物質」だけでなく「感覚」も「想念」も「行為」も「認識」 も、すべてが「霊が主体」であるということを看破したということ霊の世界こそ実相の世界でこの世は仮の現象界であるということ 「色=物質」・・・「空=霊」の「対極」であって「対極」ではない
※物質と霊は別のものではなく同じもので、「物質の世界」と「霊界」は「地続き」 相即相入・不即不離・密実一体 ※原子核の集合体=霊(主魂・魂) 電子の数がゼロ「零」=「霊」=「無」=「空」 ※「魂」は「死」とともに「肉体」を離れて「幽界生活」に入りさらに「転生再生」を繰り返す・・・輪廻転生 ※「霊界」とこの世は密接に連動し、互いにその影響下にある 「神界」「幽界」「現界」の三大霊界は観念界や哲学界のものではなく 実在界、実相界であって、相互に連動し合っている ※「大霊界」は「現界」のような物質が主体の損得勘定、利害関係が通用しない世界で一切の執着とは無縁の世界 その執着を断ち切ったときにはじめて「ボディサトヴァ」の境地になり、パンニャ智を得て自由無碍界に到ることになる 肉の目に見えないものを信じないものは本当は偽善者で、信じるものは必ず光明の世界を見る これが「パーラミター(至霊眼)」の本体で、霊の世界こそ不可視(unseeen)の力(power)界 そこはこの世の物質的な煩悩に振り回されることは決してなく、輪廻よりも解脱して神と人との差を取る「差取り(悟り)」、すなわち神人合一の境地に達する ※「神界」「幽界」「現界」の「大三千世界」・・・「天・空・地」「日・月・地」 「火・水・土」「霊・心・体」の「三位(さんみ)」で構成されている
「霊数」で示すと「「五・六・七」の“ミロク” ※「三世諸仏」の「仏」は「ブッダ」であり「ほとけ(日本の神道用語)」ではない 「ブッダ」は究極のサトリを得て輪廻から解脱し神霊界に神上がりすれば「ブッダ」と呼ばれる
人が死ぬと「霊」が「体」からほどける このほどけた状態が「ほとけさん」 死んだ人が「ブッダ」になるという「訳」ではない 「真言(マントラ)」・・・偉大なる叡智に至ることを祈願する「呪文」 「真(まこと)の言霊」で、言葉の持つ「霊力」によって神霊に祈り、儀式に効力を与え、あるいは他者に恩恵・祝福を与え、自身を守り、精神を統一し、サトリの智慧を獲得するために誦する神秘的な呪文 唱えるだけで言霊の力の恩恵に預かれるもの クマラージュも玄奘も「真言(マントラ)」の部分だけは「漢訳」せず、サンスクリットの「原音」を漢字を使って「音訳」 ※「真言(マントラ)」以外の「経文」は「唱える」ことや「理解」よりも己の血肉とし生活の中で実践することに主眼が置かれている
実践が伴わないもの・・・「空念仏」 「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶」
「gate gate para-gate para-samagate bodhi svaha」・・・サンスクリット語原文の「発音」 意味・・・「霊智よ 霊智よ 霊眼への霊智よ 霊眼に到達する霊智よ 智慧を完成させよ」 ※単に自分だけがサトリの智慧を獲得するのみならず、一人ひとりが己の魂の使命を自覚し、全人類がともに手をとりあってこのサトリの世界に入り、神界・神霊界の「写し絵」である 地上天国をこの世に顕現しましょうという意味(祈り=意乗り)も含まれている
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