壬申の乱は「タブー」だそうである 「律令体制」の手本とされたのは実際は 「中国・唐」というより「統一朝鮮・新羅国」だったように推察する 「新羅系・天武天皇」の「武」は「武力」で国家や外交を取り仕切る ことの顕れではなかろうかと 「天武」系統がいったん終了を迎えた時の女性天皇が「孝謙≃称徳(重祚)」 唯一「女性皇太子」の地位に就いた人物で「道鏡」という禅僧との強い 結びつきをきっかけに天皇政治に「仏教」を持ち込んだことで大変有名な方 その禅僧を自分の後継天皇にするかどうかの決定時に利用されたのが 九州の宇佐八幡 「神祇・地祇」を仏教のコントロール下に置くことに利用されている いわば「神仏習合」であり「八百万の神=多様性の神」という考え方も クーデターで国家支配権力を奪取したと思しき「新羅系・天武」勢力による 「武力政治」支配体制を正当化・正統化するための「方便」として 一般民衆に刷り込まれたのではなかろうかと 聖武天皇に光明皇后が進言した奈良の大仏建立に使用される 大量の「金」を融通したのが新羅国の大商人だったと伝えられている 明治の「神仏分離」や「廃仏毀釈」の際に存続のために多くの仏教寺が 神社へと変態を遂げているのはどちらでも大差はない支障は来さないと 日本書紀だか古事記だか天から国の始祖が降り立つ場所が朝鮮半島の新羅 だと記されているのは「新羅系・天武天皇」勢力による「国盗り」の 真相が反映されたものだと 「鉄生産」のために必要とされる燃料森林資源が枯渇した朝鮮半島から 軸足を日本列島に移したという推察とリンクしている 朝鮮半島征伐を企図したり軍事行動を起こそうとした時の権力者らは 必ず九州で妨害工作に遭い頓挫させられたり病気にかかり急死している 更には「遣新羅使」の一行が「天然痘」に罹り畿内での流行を呼び込む という災難にも遭っているいる 因みにウィキ情報によると「孝謙≃称徳(重祚)」天皇は 自身の意向に従わない気にらない相手に対し 軽蔑するような呪うようなネーミングを行っていたそうで 要はひとつの「呪詛行為」である TVタレントの有吉が行っている行為などはまさにこれである 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>大神神社の拝殿の正中の蛙股には、龍馬の彫刻が見られます
>龍馬というぐらいですから、基本的には馬なんですが、 >龍の頭から角が二本出ているのが特徴の霊獣です https://narayado.info/oomiwa/ryuba.html 大神神社の龍馬鈴!拝殿正中の蟇股 大神神社のお守りの一つに龍馬鈴があります。 霊獣の龍馬(りゅうば)をモチーフにしたお守りで、人気の昇運守として知られます。 龍馬といえば、幕末に活躍した坂本龍馬を思い出すのですが、坂本龍馬の名前の由来にも、果たして霊獣の龍馬が関係しているのでしょうか。天翔ける馬には、ペガサスにも似た神秘的な雰囲気が漂います。 大神神社の龍馬鈴 大神神社のお守り「龍馬鈴」。 以前に大神神社の境内で「みわ鈴」というお守りを購入したことがあります。 みわ鈴には三つの金色の鈴が付いていて、清らかな音を奏でます。 丸く円形に模られた木に、大神神社の神紋である三本杉がデザインされています。みわ鈴を所持していることもあり、今回は龍馬鈴の購入を見合わせましたが、近い将来に買ってみようかなと思っています。 源気うさぎ守と縁結うさぎ守@大神神社参集殿 大神神社の参集殿に兎のお守りが案内されていました。 参集殿といえば、なでうさぎがご鎮座されている場所ですよね。 初詣シーズンには祈祷殿前にお引越しをされますが、普段は参集殿の玄関口で参拝客を出迎えています。 大神神... 三蔵法師を乗せた霊獣の龍馬 龍馬鈴をよく見てみると、背中に甲羅のようなものを背負っていますね。 龍馬というぐらいですから、基本的には馬なんですが、龍の頭から角が二本出ているのが特徴の霊獣です。霊獣は実在しないからこそ、それだけ人々を惹き付けてやみません。私は小さい頃、大相撲が大好きだったんですが、突っ張りで人気を呼んだ麒麟児という力士がいました。キリンビールのマークでもおなじみですが、麒麟なども霊獣のひとつに数えられます。 三輪山の石標 大神神社と檜原神社の間の山の辺の道途上に、三輪山と刻まれた石標が埋め込まれていました。 玄奘三蔵が活躍した西遊記においても、霊獣の龍馬が登場していることをご存知でしょうか。 三蔵法師を乗せて天竺まで歩いた白い馬こそ、何を隠そう龍馬だったのです。三蔵法師に夏目雅子、孫悟空に境正章が扮していたTVドラマの「西遊記」。毎週楽しみにしていたテレビ番組でしたが、龍馬の玉龍(ぎょくりゅう)を演じていたのは俳優の藤村俊二さんでしたよね。 大神神社の拝殿の正中の蛙股には、龍馬の彫刻が見られます。 昇り龍に天翔ける馬が合わさったような吉運の龍馬。運気上昇を祈願するなら、身近に置いておきたいお守りです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://syakeassi.xsrv.jp/5633
2019.04.10 神社・仏閣 三ツ鳥居(三輪鳥居)(大神神社・檜原神社) 出典:三輪明神大神神社 その1:大神神社の三ツ鳥居(三輪鳥居) 『三ツ鳥居』は別名『三輪鳥居』ともいい、我が国最古の神社の一つとして知られる大神神社(大和国一之宮)において、神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立ち、本殿にかわるものとして神聖視されてきたものである。 この大神神社の拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所であり、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居と瑞垣が設けられている。 三ツ鳥居の起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきたことが知られている。 出典:三輪明神大神神社 この三ツ鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で、両脇の鳥居の左右には瑞垣が延びる特殊な形式で「三輪鳥居」とも呼ばれている。 中央の鳥居には御扉があり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居は本殿の御扉の役割を果たしていると言える。 現在の三ツ鳥居は明治16(1883)年に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。 この三ツ鳥居は拝殿の真後ろにあるため、真っ正面から拝むことはできない。 ただし、拝殿でお参りをするとその奥に三ツ鳥居があり、三ツ鳥居越しに三輪山をお参りしている形になっていて、遠目には三ツ鳥居を見ることができる。 また、参集殿で申し込みをすれは、神職の案内のもと、お祓いを受けた上で、拝殿の側面から拝観をすることが可能である。但し、写真などを撮ることはできない。 所在地→奈良県桜井市三輪1422 その2:檜原神社の三ツ鳥居 檜原神社は大神神社の摂社で、大神神社と同じく三輪山を神山体として崇拝する古い神社形態の神社である。 また、檜原神社は日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社と同じく、三ツ鳥居を有していたことが室町時代以来の古図で明らかであるという。 尚、現在の檜原神社は本殿も拝殿もなく三輪山に向かって三ツ鳥居が建つのみである。 が、境内はよく整備されていて「玉垣で囲まれた三ツ鳥居が建つだけ」というのが、逆に三ツ鳥居の存在を否でも応でも引き立てていて、とても神秘的で身が引き締まるような空間となっている。 また、この周辺は、崇神天皇が皇居に祀られていた天照大神を移し、伊勢神宮鎮座前に宮があった笠縫邑の伝承地であることから、元伊勢とも呼ばれている。 ちなみにこちらの三ツ鳥居は大神神社のそれと違って写真を撮ることができる。 所在地→奈良県桜井市三輪1422
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