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※2021年12月29日 日刊ゲンダイ5面 紙面クリック拡大
内田樹氏「おとこたちよ!『思考停止社会』に正しく絶望せよ」 賢人に聞く
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/299120
2022/01/04 日刊ゲンダイ
内田樹(思想家・武道家) |
内田樹氏(C)日刊ゲンダイ
鳥取県の智頭という町で天然酵母のパンとビールを作っているタルマーリーという店がある。店を切り盛りする渡邉格・麻里子ご夫妻が、先日神戸のわが家まで遊びに来てくれた。
その時の最初の話題が、「日本の男たちはどうしてこんなにダメになってしまったのだろう」という嘆きだった。
「日本の男たちは」というような大雑把な括り方で問題を立ててはいけないのだが、あえて「大雑把に」とらえた方が問題の輪郭がはっきりするということがたまにある。そういう場合は方便として、あえて「雑な論じ方」を採用する。
男はこれまで“下駄”をはかされてきた |
タルマーリーのお二人からは、採用しても男子は仕事ができず、こらえ性がなく、すぐに「きつい」と言って辞めてしまう、残って一人前に育つのは女子ばかりだ、という嘆きを聴いた。そうだろうなと思った。
私の主宰する武道の道場である凱風館には、「部活」というものがある。スキー部とか登山部とか麻雀同好会とか、そういうものである。
次々と新しい「部活」ができるのだが、この数年を振り返ると、発案するのも、運営するのも、参加するのも女性たちである。乗馬部、滝行部、修学旅行部など、面白そうな部活がいろいろ誕生したのだが、部員はほとんどが女性。先般、羽黒山伏の宿坊に泊まった時も、集まった山伏たちは大半が若い女性であった。『日刊ゲンダイ』の読者はたぶんご存じないだろうが、現代修験道は若い女性たちが支えているのである。なんと。
何年か前に「医学部受験で女子受験生だけ減点していた」という事件があったのをご記憶だろうか。あれはペーパーテストの点で上から順に取ると、女子学生が過半を占めてしまうので、女子の面接点を減らしていたのだという内情を後から医学部の先生から聴いた。
「パリテ」とか「クォータ制」とかいう議論を表面だけ聴くと、日本におけるジェンダー問題は「女性に下駄を履かせないと、バランスがとれない」ことのように思えるが、実は話は逆なのである。「男子に下駄を履かせないと、バランスがとれない」というのが、日本におけるジェンダー問題の実相なのである。
制度的に「男に下駄を履かせる」ということは、わが家父長制の伝統である。かつて男は正味の人間的実力とはかかわりなく、「ポスト」が与えられた。それで何とかなった。「ポスト」は定型を要求するからである。
家長には子弟の進学や就職や結婚についての決定権があった。戦前の民法では、家長の判断に従わないメンバーには勘当されるリスクがあった。家長にはそれだけの権限があった。だから、それらしい顔つきで、それらしいことを言っていれば家族は黙って彼に服したのである。
しかし、今、そんな制度の支えはない。男たちは正味の人間的実力だけで家族からの敬意を勝ち得なければならない。でも、そんなことができる男は申し訳ないけれど、きわめて少数に止まる。
「自分は思考停止していない」と思っていないことの異常さ
内田樹氏(C)日刊ゲンダイ
日刊ゲンダイの記者からの依頼は、「思考停止している中高年サラリーマンに年頭の一言」をというものである。彼らはもう定年まで勤め上げて、花束をもらって見送られ、悠々自適の年金生活を送るというようなのどかな未来を期待することができない。
人口減やパンデミックやAIによる雇用消失が目の前に迫っている。彼らは明日にも路頭に迷うかもしれない、というリスクにさらされている。しかし、そのシリアスな現実を直視する勇気がなく、砂の中に頭を突っ込んでいる駝鳥のように思考停止に陥っているというのが記者氏の診立てであった。
どうしたらいいのか問われても、私に妙案があるわけではない。とりあえず中高年サラリーマン諸氏にはとりあえず、「私は思考停止しているのではないか」という病識を持ってもらうしかない。病気になるのは「よくあること」である。病気になったら治療すればいいだけの話である。
けれども、病気なのに「病気じゃない」と思い込んでいると、いずれ危機的な事態になる。問題は、おそらく中高年サラリーマンの多くが「自分は思考停止なんかしてない」と思っていることである。だって、「周りの人間たちと同じことをしている」からである。
ふつうは「みんながしていること」が「正常」で、「みんながしてないこと」が「異常」である。みんなが思考停止している社会では、思考停止していることが「ふつう」なのである。そして、これが現代日本社会のほんとうの病態なのだと私は思う。
とりあえず「しょんぼり」してみる |
例えば、全国紙や民放テレビは、遠からずビジネスモデルとしては立ち行かなくなる。いくつもの新聞やテレビ局が消えるだろうが、その場合、これまでそういうメディアが果たしていた社会的機能は、何が代替するのか。重要な問いのはずだが、メディアはそれについては口をつぐんで語ろうとしない。「なぜ私たちは存在理由を失ったのでしょうか?」と自問するのがつらい仕事だということはわかる。
だが、おのれ自身の足元が崩れている時に、それを報道することも分析することもできないほど知的に非力なメディアには、冷たいようだがもう存在理由がない。
思考停止から脱出するのは、それほど難しいことではない。自分の足元をみつめ、未来をみつめる。そして、ただしく絶望することである。思い切って「しょんぼりする」のである。
武道を稽古しているとわかるが、「しょんぼりする」というのは、構えとしてはきわめて安定的で、しなやかなのである。どこにも力みがなく、こわばりもない。何か起きてもすぐに対処できる。
「明るさは滅びの姿であろうか、人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」と、太宰治は『右大臣実朝』に記している。
暗いうちはまだ滅亡しない。とりあえず日本の男たちには、適切に「しょんぼりする」ところから始めることをお勧めしたい。
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