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五木寛之氏・年頭特別寄稿「新しい抵抗への予感」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/299377
2022/01/01 日刊ゲンダイ
五木寛之氏(C)日刊ゲンダイ
「寝そべり族」という無気力な若者の生態が中国で話題になっているという。
上昇志向も、積極的な勤労意欲もなく、物質的な豊かさも求めない。ミニマムな収入で、ごろりと横になって暮すという世捨て人的な生き方だ。
どんな社会にも<親ガチャ>と階級の固定化はある。がんばれば何とかなるという幻想から醒めた若者たちの、消極的な反抗からくるライフスタイルだろうか。
19世紀の農奴制ロシアにも、同じような現象が発生した。オブローモフ主義者と呼ばれる怠惰な若者たちの登場である。エリート教育を受け、才能も教養もある青年が、食べることと寝ることにしか興味をもたず、無為に日を過ごす現象だ。作家ゴンチャロフが長篇の一部として描いたオブローモフという人物への共感が、社会的現象にまで拡散して<余計者>というキャラクターを生み出した。いわば帝政ロシアの<寝そべり族>である。
韓国でも似たような現象が見られる、と新聞が報じていた。一流大学を出て、有名企業に就職し、結婚して高級住宅地にマンションを買うという夢が、どうやら非現実的な希望であるらしいと気付いた青年たちの「寝そべり現象」である。
「努力すれば成功する」という時代は過ぎた、という感覚が世界に広がりつつあるようだ。圧倒的な経済格差と既得権力の壁は、資本主義国であろうと社会主義国であろうと変りはない。
乗りこえ難い壁を実感したとき、そこに消極的な抵抗として生まれてくるのが無為徒食の生き方である。啄木の言う「時代閉塞の現状」に捨身で起ち向うのではなく、ゴロリと寝そべることで「NO」と言う姿勢である。
そういう生き方に、時代や社会に対する抵抗の力はあるのか。ない、というのが普通の見方だろう。しかし、私は必ずしもそうではないような気が、かすかにではあるが、するのだ。
圧倒的多数の「寝そべり族」が登場したとすれば、それは無視できない圧力となる。警官隊と対峙するだけが抵抗ではないのかもしれない。
「寝そべり」も一つの意志表示である。量は質を左右するのだ。
抵抗の姿勢もさまざまである。世界に静かに広がりつつある「寝そべり」の動きを、単なる風俗的現象として見過ごすことはできない。すべては変化する。予測不可能な明日が待っているのだ。
▽五木寛之(いつき・ひろゆき)
1932年福岡県生まれ。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。66年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞。76年「青春の門 筑豊篇」ほかで吉川英治文学賞を受賞。2002年には菊池寛賞、09年NHK放送文化賞、10年毎日出版文化賞特別賞を受賞。本紙連載「流されゆく日々」は16年9月5日に連載10000回を迎え、ギネス記録を更新中。小説以外にも幅広い批評活動を続ける。代表作に「風に吹かれて」「戒厳令の夜」「風の王国」「大河の一滴」「TARIKI」「親鸞」(三部作)など。最新作に「新 青春の門 第九部 漂流篇」「」などがある。
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