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最後まで金目!落ち目の石原伸晃に放った父・慎太郎の冷たい一言
https://friday.kodansha.co.jp/article/220741
2021年12月23日 FRIDAYデジタル
しばらくは国会でこの顔を見ることもないのか…(AFLO)
わずか1週間で内閣官房参与を辞職した石原伸晃前衆院議員への批判が止まらない。失言が相次いでも自民党幹事長経験者として一定の政治権力を保ち、派閥を率いてきた石原氏だが、10月の総選挙で落選。
さらに自らが代表を務める政党支部で国の雇用調整助成金を受領していたことが明らかとなり、ネット上には「最後も金目か」「どこまで国民をなめているのか」などと厳しい声が飛び交った。父は作家で元東京都知事、叔父は昭和の大スターという「石原ブランド」はいよいよ消えてしまうのか。
「勝負は時の運」
「まだ私は十分に体力、能力ともにあると思っているので、国や地域などのために役に立てるアドバイスをしていきたい」
盟友関係にあった岸田文雄首相から内閣官房参与に任命された石原氏は12月6日、記者団に意気込みをこう力説した。選挙結果については「勝負は時の運だと思っている」とも語った石原氏。総選挙で敗北した人物が内閣官房参与として「再就職」することには批判が渦巻いていたが、その負い目を感じさせることはなかった。
岸田政権は12月17日の閣議で「石原氏は国土交通大臣や観光立国の担当大臣を務めるなど、観光分野をはじめとした幅広い知識と経験を有していることなどを踏まえて任命したものであり、『失業者の救済』との指摘は当たらない」とする答弁書を決定している。
ただ、新型コロナウイルスの感染拡大で苦しむ国民には2年の間に10万円の給付金が配られたものの、内閣官房参与の石原氏には1日2万6400円、4日間で10万円超の報酬が支払われるとあって、国民の理解を十分に得ることはできなかったようだ。
全国紙政治部記者が語る。
「伸晃氏は、そういうキャラクターなんですよ。一言でいえば、空気が読めない。『岸田首相から請われて任命されるのに、なんで国民から文句を言われなければいけないんだ!』という感じでしょう。助成金の受領も法令や制度に基づいてやっているのに『なにが問題なんだよ』というスタンスではないでしょうか」
石原氏のホームページをのぞくと、そのプロフィール欄には輝かしい歩みが掲載されている。1957年に神奈川県鎌倉市で生まれた石原氏は、76年に慶應義塾高等学校を卒業し、78年にニューヨーク・エルマイラ大学留学。81年に慶應義塾大学文学部を卒業後、日本テレビに入社。政治部記者として、旧大蔵省や外務省、首相官邸などを担当した。90年の総選挙で旧東京4区から出馬し、初当選している。
石原氏の地元の中小企業経営者はこう憤る。
「あまり熱心に陳情を聞いてくれるということがなかった。こっちは必死でお願いをしているのに、理解ができないのか、私の陳情をそもそも聞く気がないのか。党では『石原慎太郎』がみんな怖くて丁重に扱うし、選挙では『石原軍団』がやってきたら当選してしまう。他の陳情を熱心にやっていたという話も聞かない」
その後の「スピード出世」ぶりは有名で、94年に自民党財政部会長に就くと、96年には第2次橋本龍太郎内閣で通商産業政務次官に就任。2001年には第1次小泉純一郎内閣で行革担当相として初入閣を果たした。03年に国土交通相や観光立国担当相、10年には自民党幹事長に君臨した。
略歴の「主な役職」欄にも党政調会長や経済再生相、環境相などの重要ポストがこれでもかとばかりにズラリと並び、「将来の宰相候補」として階段をのぼっていたことがうかがえる。
「石原氏は、父親の慎太郎氏と叔父の石原裕次郎氏という『石原ブランド』を背景に、2人と交流があった人々から可愛がられていました。森喜朗元首相や青木幹雄元参院議員会長も寵愛し、入閣時や2012年の自民党総裁選出馬の際などには、党重鎮格から支持を受けていましたね」(自民党担当記者)
2度目の挑戦となった12年の総裁選は、「平成の明智光秀問題」とも呼ばれた。野党・自民党総裁の谷垣禎一氏が再選を目指して準備を進めていた矢先、谷垣総裁を支えるはずの幹事長である石原氏が出馬の意向を表明。背後から足をすくわれた形の現職総裁が政権奪還直前の総裁選に出馬することは叶わず、麻生太郎元首相は「下剋上とか、平成の明智光秀とか、ありがたくない冠をこの人は当分いただくことになる」と石原氏を痛烈に批判した。
結局、5氏が立候補した総裁選は安倍晋三元首相が勝利し、出馬を強行した石原氏は4位に終わっている。
「失言の数々」
政治活動以上にメディアの注目を浴びたのは「失言」の数々である。東京電力福島第1原発事故に伴う汚染土の保管場所を「サティアン」と呼び、胃ろう措置を見学した際は「エイリアン」と発言。環境相として除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の交渉に当たっていた時には「最後は金目でしょ」と述べて、猛批判を浴びた。
被災地域への「金目」発言にはじまった石原氏の凋落は、雇用調整助成金を受領という「金目」で終幕を迎える形となってしまった。
2007年12月、山崎拓元副総裁が率いていた派閥「近未来政治研究会」に入会し、その5年後には同派リーダー格の甘利明前幹事長を追い出す形で自ら派閥会長に就いた石原氏。だが、最盛期に40人近く所属した山崎派は、石原派になると勢力を失い小派閥に。総選挙で落選した石原氏の後継会長には森山裕前国対委員長が就いたが、その所属議員は7人にまで減少している。
「甘利氏の幹事長辞任、石原氏の内閣官房参与辞任に加え、山崎氏は総選挙で他党候補を応援したことで1年間の自民党員資格停止処分を12月13日に受けている。『石原氏の周辺は今年、呪われているのではないか』との声も出ているほどですよ」(別の自民党担当記者)
石原氏は、12月5日放送された「そこまで言って委員会NP」で、落選を石原慎太郎氏に報告したところ、「がんばれよ」の一言だったと明かした。
昭和の大スター、石原裕次郎氏が設立した「石原プロモーション」は今年1月に解散し、89歳となった慎太郎元都知事も政界から身を引いた今、「石原ブランド」はこのまま消えていくのだろうか。
取材・文:小倉健一 写真:AFLO
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